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秘蔵コレクションと東南アジアの危機


 創作活動に役立つ場所……。

 その言葉に甚だ怪しさを感じていた俺だったが、鈴音ちゃんに連れられてやってきたのは、意外にも怪しさの欠片もない健全の極致のような場所だった。


「ここって……」

「図書室です。実は私、今年から図書委員をやっているのですが、ここが最近の私のお気に入りの場所です」

「まあ確かに役立つと言えば役立つけど……」

「ごめんなさい。期待外れでした? 保健室とかの方がよかったですか?」

「いや、むしろ安心してるぐらいなんだが……」


 鈴音ちゃんのことだから、本気で保健室にでも連れていかれるのかとハラハラしていたが、図書室というチョイスは正直なところ安心した。灯台下暗しというかなんというか、確かにここにノートパソコンでも持ち込めば、静かに執筆もできるし、官能小説に役立つかはともかく資料集めはできそうだ。


「ごめん、俺は鈴音ちゃんのことを誤解してたよ」

「誤解……ですか?」


 鈴音ちゃんはきょとんとした顔で俺を見上げる。


「ああ、鈴音ちゃんが思っていたよりも分別のできる女の子で安心したよ」


 そう答えると鈴音ちゃんはちょっとだけ不服そうに頬を膨らませる。


「先輩。私は確かに他の女の子よりもその……ちょっとだけはしたないところはあるかもしれませんが、それでもちゃんと人の目は気にしています」

「そ、そうだよな。変なこと言って悪かったな」


 これでも鈴音ちゃんは学園一の淑女で通っているのだ。たとえ本性がド変態だとしても、そう思わせない能力は備わっているはずだ。


「じゃ、じゃあ、入りましょうか……」


 そう言って鈴音ちゃんは俺を先導するように図書室に入るので、俺も彼女の後に続く。


 今になって気づいたが、入学して以来、図書室に入るのはこれが初めてだ。そもそも読みたい本はいつも本屋で買っているし、俺の読むようなライトノベルの類はこの学校の図書室には置かれていないことも、友人から聞いていた。


 図書室に入った瞬間、ほのかに香るカビの匂いと埃っぽさ。教室を二つくっつけたほどの広さの図書室の奥半分は本棚に占領されており、手前側に置かれた大きなテーブルでは生徒が二、三人ほど読書に勤しんでいた。


 鈴音ちゃんはまずカウンターに向かうと、今日受付当番の生徒に軽く挨拶をして、本棚のある奥へと歩いていく。静かな図書室では俺と鈴音ちゃんの足音でも室内に響いてしまう。そして、鈴音ちゃんは図書室の一番奥の本棚の前までやってくると、丁寧にスカートの裾を折って、その場にしゃがみ込んだので、俺もその隣にしゃがみ込む。


「ここです……」


 彼女は声を抑えて天井まで続く巨大な本棚の一番下の棚を指さした。


「ここがどうかしたのか?」

「…………」


 鈴音ちゃんは俺の問いかけには何も答えず、何故か恥ずかしそうに頬を赤らめる。俺は本棚を見やった。どうやらこの棚は東南アジア諸国の文化について書かれた本が並んでいるようで、背表紙を見る限り『インドネシアとイスラム文化』『カンボジア宗教旅行記』など、言い方は悪いが高校生があまり手を付けなさそうな本が並んでいる。

 俺は首を傾げる。なんで鈴音ちゃんは俺をこんなところに連れて来たんだ? 少なくともそれらの書籍は俺の小説の資料にはあまり役立ちそうには感じられなかった。


 そんな俺に鈴音ちゃんは相変わらず頬を染めていた。そして、顔を真っ赤にしたまま俺を見つめるとようやく口を開く。


「わ、私のコレクションです……」

「コレクション? 鈴音ちゃんって外国の文化に興味でもあるの?」


 が、鈴音ちゃんは顔を赤らめたまま首を横に振る。

 その表情からはまるで、私の口から説明させないでとでも言っているようだった。この健全な空間で何が彼女をそんな表情にさせるのか?


 とりあえず俺は、今後一生読まなさそうな背表紙を眺めると、その中の一冊を引き抜いた。


 そして、一ページ目を捲った瞬間、心臓が止まりそうになった。


「鈴音ちゃん、これっ!?」


 俺がそう言うと、彼女は慌てた様子であたりを見渡して指を口に当てる。


「せ、先輩っ、声が大きいです……」

「ご、ごめん……だけど……」


 俺が手に取ったのは確かに東南アジアの文化を伝える文庫本だったはずだ。表紙を再度確認するが、そこには確かに、アンコールワットらしき写真と堅苦しいタイトルが書かれている。が、一ページめくるとそこには『背徳の補習授業 鈴香の場合 フランツ書院』と書かれている。


 やっぱりこの子ド変態だ……。


 俺は頭を抱える。どうやら、鈴音ちゃんは俺以外の作品にも手をつけているらしい……。


 呆れた顔をする俺に鈴音ちゃんは泣きそうになりながら俺を見つめる。


「せ、先輩だから教えたんです……そんな軽蔑するような目で私を見ないでください……」

「い、いや、軽蔑なんてしてないよ。ってか、なんでこんな本がこの健全な図書館に置かれているんだよ……」

「そ、それは……」


 と、そこで鈴音ちゃんは少しバツの悪そうな顔で俺から目を逸らす。


「せ、先輩はさっき図書館の入り口に置かれた寄贈ボックスと書かれた箱を見ましたか?」

「え? あ、ああそう言えばあったような……」

「あれは生徒たちのいらない本を収集する箱です。図書委員はその箱に入っている本を先生に検閲してもらってから寄贈本として図書室の本棚に並べるんです」

「いや、検閲って、こんな本が検閲を通るわけないだろ」

「検閲なんて名ばかりです。実際には入っている大量の本の表紙だけを見て、大丈夫なものに先生が『寄贈本』のスタンプを押すだけです」

「つまり鈴音ちゃんは表紙だけをそれっぽい本にすり替えて寄贈本に混ぜたってことか?」

「そ、そうです……」


 とんだ変態策士が目の前にいた。この手を使えば堂々と鈴音ちゃん好みの小説を図書室の本棚に並べることができるのだ。きっと東南アジア文化の棚に混ぜたのは、この棚がこの図書室でひと際人目につかない場所に配置されているからだ。


「だけどよ。こんなもん図書室に並べてどうするんだよ」

「よ、読むんです……バレないように……」

「っ……」


 俺は遠くのカウンターに座る図書委員の女子生徒を見やった。彼女は退屈そうに文庫本を眺めている。

 なるほど、鈴音ちゃんは当番の日にあそこに座りながらこっそりコレクションを読んでいるというわけか……。


これが学園一のアイドルにして淑女である鈴音ちゃんの実態である……。


「わざわざそんなリスクをとらなくても、家から持ってくればいいじゃねえかよ」


 と、尋ねるが鈴音ちゃんは激しく首を横に振る。


「部屋には隠せません。お兄ちゃんが時々私の部屋をこっそり物色しているみたいなので……。そ、それに……部屋で読むよりもここでみんなの視線を気にしながら読んだ方が、なんだかドキドキします」


 と、鈴音ちゃんはさらっと兄のとんでもない性癖と、自身のとんでもない性癖も告白する。


 開いた口がふさがらない俺だったが、ふと思う。


「ちょっと待て……」


 そういや鈴音ちゃんはさっきコレクションとか言ってたよな。


 俺はハッとしてそこに並んだ文庫本を手あたり次第抜き取って表紙をめくる。


『野球部マネージャーの裏の献身』

『東京変態女子校生』

『友達の兄は私の家庭教師で……』


 OH……NO……。


 大切な東南アジアの文化が、鈴音ちゃんによって根絶の危機に瀕していた……。


「先輩……」

「なんだよ……」

「わ、私、先輩にはお礼なんかでは伝えられないぐらいの感謝をしているんです。ですから微力ながらも先輩の創作活動に役立ちたいんです」


 と、水晶玉よりも穢れのないまっすぐな瞳で俺を見つめる鈴音ちゃん。

 鈴音ちゃんよ。きみはどうしてそんな純粋な心でそんなド変態なんだ……。


 鈴音ちゃんは本棚に目を落すと、コレクションの中から一冊抜き取って、それを胸に抱えた。


「先輩、せっかくですから少し読んで帰りませんか?」


 鈴音ちゃんはそう言って小首を傾げてわずかに微笑む。


 可愛い……。


 彼女がとんでもないことを口にしているのはわかるのだけど、その可愛い笑顔のせいで、まるでなんだかそれがとても健全な行為のように錯覚してしまう。


 結局、俺は断りきれず彼女の提案を了承した……。

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