新たな変態トロフィーを獲得しました
先生ごめんなさい。そしてお父さんお母さんごめんなさい。俺はいまこの図書室という学内でもっとも知的な空間で、学園一可愛い女の子と変態談義をしています……。
閉館三〇分を切った放課後の図書室。彼女の言う通りこの時間になると図書室を訪れる生徒など皆無だ。その結果、もう一時間近く、この図書室は俺と鈴音ちゃんの貸し切り状態になっていた。
「わ、私……こ、これまでハルカちゃんのことを勘違いしていたかもしれません……。ハルカちゃんは受け身な女の子で、なんというかその……Mの女の子だと思っていたんです……」
読書用のテーブルを挟んで向かい合って座る俺と鈴音ちゃん。会話を誰かに聞かれる心配のない図書室で、鈴音ちゃんはエンジン全開だ。
「だ、だけど何度も読み直しているうちに私、ようやく気がついたんです……。ハルカちゃんは確かにお淑やかで控えめな女の子ですが、心の中に悪戯好きで積極的なもう一人のハルカちゃんを飼っているんです……」
鈴音ちゃんの瞳はこれまで見てきたどんな彼女の瞳よりもキラキラと輝いていた。これまで抑えてきた俺の作品への愛が一気に爆発したようだ。
嬉しいよ。もちろん嬉しいさ。今まで生きてきてここまで俺の作品を深く読み込んでくれた人はいない。そして、彼女は俺よりも俺の作品を深く読み込み、ヒロインハルカの心を深く理解している。ここまで素晴らしい読者を少なくとも俺は知らない。
だけどね……だけど、さっきから鈴音ちゃんの話を真剣に聞きながら、時折頭をよぎるの。
俺たち図書室で何をやってるんだ……。
わかってるよ。わかってる。それは俺の心が邪だからなんだ。それは俺自身が官能小説というものを後ろめたいものだと捉えているんだ。
ほら、鈴音ちゃんの瞳を見てみろよ。竜太郎。
あんなにキラキラと輝いた無垢で澱みのない瞳をお前は見たことがあるか?
あれは七夕の夜に、流れ星に向かって世界平和を祈る女の子の目だぞ。鈴音ちゃんは邪な感情など一切抱かずに、ただただ純粋に俺の官能小説がより変態的で、多くの人間をいやらしい気持ちにする作品になることを願っているのだ。
それなのにお前という奴は……。
と、そこでそれまで熱弁をふるっていた鈴音ちゃんがふと我に戻ったようにはっとした顔をして頬を赤らめる。
「ご、ごめんなさい……ちょっと熱くなり過ぎました……。せ、先輩は……どう思われますか?」
と、彼女は俺に委ねるようにそう尋ねる。
正直なことを言おう。
俺はそこまで深く考えてこの作品を書いていない。
何か官能小説にうってつけのシチュエーションはないかな? そうだ、翔太の妹って可愛かったよな。実は翔太と鈴音ちゃんが禁断の愛を育んでいて、それを竿役が寝取るって展開とか受けるんじゃね? ぐらいのノリで書いた……。
だけど、そんなこと恥ずかしくて、口が裂けても言えない。いや、かっこよく言いなおそう。俺は鈴音ちゃんの気持ちを裏切るような真似はしたくない。
「アドバイスありがとう。だけど、正直俺にそれが書ける自信はないかな……」
「そ、そんなことないです……先輩の小説を読んでいると、私はなんというかその……ハルカちゃんに感情移入してしまいますし、先輩の表現力は素晴らしいと思います」
と、純粋に俺の小説を称賛してくれる鈴音ちゃん。
だけど、俺は鈴音ちゃんの言うような描写が書ける自信はちっともなかった。
「こ、こういうのを人に話すのは恥ずかしいけど、俺はこういうシチュエーションになったらいいなって、願望でシーンを考えることが多いんだよ。なんというか俺は女の子から攻められて喜ぶような性癖は――」
「ありますよ?」
と、そこで鈴音ちゃんは珍しく俺の言葉を遮るようにそう言った。
「え、ええ?」
「先輩には女の子から攻められて喜ぶような性癖がありますよ」
鈴音ちゃんはまるで俺の心でも読めるのかと思うほどに、はっきりとそう言った。
「な、なんでそう思うんだよ」
「せ、先輩は昨日の喫茶店でのことは覚えていますか?」
「お、覚えてるけど……」
忘れるわけがない。何せ、昨日俺は目の前の少女から自身の性癖を赤裸々に語られたのだ。忘れたくても忘れられないぐらいに強烈に覚えている。
「あ、あのとき私が先輩に餡蜜を食べさせてあげたことも覚えていますか?」
「ああ、そういえば……」
「あ、あの時、先輩の口に入れたスプーンを、わざとしばらくそのままにしたんです……」
ああ、そうだ。思い出した。鈴音ちゃんは餡蜜の乗ったスプーンを俺の口の中に入れたまましばらく引き抜いてくれなかった。それどころか俺の口の中を弄ぶようにスプーンを口の中で回転させたりしてたっけ……。
「わ、私がスプーンを回しているとき、先輩はその……少し照れるような顔をしていました。そ、それに私が先輩の唾液の付いたスプーンでそのまま餡蜜を食べたときも、少しドキッとした顔をしていました。せ、先輩には女の子から悪戯をされるのに興奮する性癖はあると思います……」
「そ、それはその……」
彼女の指摘はあまりにも的確で、俺は何も言い返せない……。
あぁ……死にたい……。
ぜ、全部見透かされてますやん……。
「せ、先輩……」
と、そこで鈴音ちゃんは恥ずかしそうに俺を呼ぶ。
「な、なんだよ……」
「せ、先輩の性癖をもっと引き出してもいいですか?」
「え?」
ごめん、鈴音ちゃんが何を言ってるのかちっともわからないよ。
俺が呆然としていると、鈴音ちゃんは不意に鞄からペンケースを取り出した。そして、ファスナーを開けるとそこからボールペンを一本出した。
「こ、このボールペンを見ていてください……」
そう言って手に持ったボールペンをテーブルに置いた。
なんだ? 俺、催眠術にでもかけられるのか?
すると鈴音ちゃんはそのボールペンをおもむろに手で払った。当たり前だがボールペンはテーブルから落下して図書室の床の上をコロコロと転がる。そして、彼女は俺を見つめるとわずかに口角を上げる。
「せ、先輩……ボールペンを拾ってください」
「は、はあ?」
「先輩、ボールペンを拾っていただけませんか?」
「べ、別にいいけど……」
鈴音ちゃんの行動の意図が理解できなかった。俺はポカンと漫画のように頭にクエスチョンマークを浮かべながらも立ち上がった。すると、鈴音ちゃんもまた何故か立ち上がった。
俺はテーブルをぐるりと回って鈴音ちゃんに近寄ると、彼女の足元にボールペンが落ちていることに気がついた。
「これを拾えばいいのか?」
「はい、お願いします……」
わけがわからん。が、ここは鈴音ちゃんに従うほかない。鈴音ちゃんの足元にしゃがみ込みボールペンを拾い上げると顔を上げる。そこで気がつく。彼女の目の前でしゃがみ込んだ俺が顔を上げると、目の前に彼女のプリーツの学生スカート。そこからは彼女のきめ細やかな肌に覆われた足が伸びている。
俺はさらに顔を上げて鈴音ちゃんを見やった。彼女はしゃがんだ俺を見下ろしながら彼女一番のチャームポイントである可憐な笑みを浮かべている。俺はそんな彼女にボールペンを差し出すと彼女はそれを受け取った。
「よくできました。えらいえらい」
彼女はそう言って、俺の髪に触れると、まるで子どもでも褒めるように「よしよし」と言いながら笑みを浮かべたまま頭を撫でた。
あぁ……ダメだ……。
と、そこで鈴音ちゃんはポッと頬を染める。
「せ、先輩……年下の女の子からこんな風に子どもみたいに褒められて、どう思いましたか?」
「そ、それは……」
「せ、先輩、少し嬉しそうな顔をしてますね? ほ、本当ならば年下の女の子にこんな風にされたら腹が立ちますよね? それなのに先輩はどうして嬉しそうな顔をするのですか?」
やばい……俺の性癖は完全に目の前の女の子に管理されている……。
と、そこでピコーン!! と、頭の中で音がした。
新たな変態トロフィー『年下の女の子からなでなでされて喜ぶ』を獲得しました。
そんな文字が脳内に表示された瞬間、俺は恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。




