その花はアングレカム
「いいかい?あの祠の前で“ありがとう”と言ってはいけないよ」
「どうして?」
「それはね…」
ピピピ!ピピピ!
枕元に置いているアラームがけたたましく鳴る。またここで目が覚めた。最近同じような夢を見る。姿はぼんやりしていてうろ覚えだが、同じ男の人に声をかけられる。森の中にあるボロボロの祠を指さしていつも同じことを言う。言葉は注意しているにも関わらず怒っている風でもなく、優しく諭すようにゆっくりと教えてくれる。
「“ありがとう”と言ってはいけないよ、か」つい口に出していた。なぜ言ってはいけないのだろうか。言われて嬉しい言葉のランキング上位に入っていると思うのだが、一体どうしてだろう。いくら頭をひねっても首が痛くなるだけで、私にはさっぱり分からない。
朝ご飯を食べて学校へ行こう。トーストをかじりながら空いた片手で眠い目を擦る。夢のせいでろくに眠れていない気がする。困ったものだな、今日は小テストがあるというのに。私はすこぶる眠いので、点数が低くても“眠いながらも頑張ったで賞”と表彰されてもおかしくはないし、少しぐらい加点をしてほしいものだ。家を出て学校に着き、始業のチャイムが鳴る。授業が始まり、小テストも無事終わりお昼休みのチャイムが鳴る。
「サキ!購買行こうよ!」と同じクラスで幼馴染のハルが声をかけてきた。いいよ、と返事をして一緒について行く。私はお弁当があるので購買に行く必要はないのだが、パン屋さんのミニドーナツが好きでハルについて行くたびに買ってしまっている。「サキ眠たそうだけど夜更かしでもしたの?」「え?」「だってずっとあくびしてるじゃん」「ああ、まあね。最近夢を見ているからぐっすり眠れていないのかもね」「そうなんだ」「そうなんです、眠いのなんのって大変だよ」「今日はよく眠れると良いね!」「ありがと…」言いかけてハッとした。“ありがとう”と言ってはいけないよ、という夢の中の声が頭の中で再生される。「サキ、どうしたの?」「…ん?何でもないよ」「あ!見て今日はメロンパン残ってる!ラッキー!」ハルはメロンパンとサンドイッチを買い、私はドーナツを買って教室へ戻った。教室へ戻るとクラスの子が数人集まって騒いでいる。まあ騒がしいのはいつものことだが。
「なーに?何かあったのー?」ハルがクラスの子に問いかける。こういう時のハルはすごいと思う。クラスの子は全員友達!みたいなそういう所、私には絶対に真似出来ないし、真似はしない。「あ!ハル!聞いて、コトミのお願い事が叶ったんだってー!」「絶対に無理って思ってたからテンション爆上がりだよね!」「マジそれ!」「え!コトミのお願いって何なの?」話の中心人物はコトミだった。私とコトミは中学の時に同じ部活に所属しており、よく一緒に遊んでいた。真面目で消極的なコトミだったが、高校に入ってからイメチェンをして性格も明るくなった。そのおかげでコトミは友達が増え、私と違い今では誰とでも仲良くやっている。周りの皆がコトミの方を見ると、コトミは少し照れながら「サッカー部のヒカル先輩と…付き合えることになったの」と教えてくれた。「え!?」びっくりして思わず声を出してしまった。サッカー部のヒカル先輩といえば…。「嘘でしょ!?ヒカル先輩って彼女いるから絶対に無理だって言ってたじゃん!何で急に?」とハルが代弁してくれた。「1年付き合っている彼女がいるし、登下校も常に一緒でラブラブだから別れる気配なんて全くなかったのにね」「そうそう、だけど“祠様”の噂を聞いてさー!確かめてみようってなって」「コトミが祠にお願いに行った次の日に喧嘩して別れたんだって!それからコトミがアピールして付き合えるようになったの!マジすごくない?」「ただの迷信だと思っていたのにね」ねー!と周囲の子が顔を見合わせてテンションを上げている。“祠”という言葉を聞いて、夢に出てきたボロボロの祠が頭を過る。盛り上がっているテンションをぶった切るようで申し訳ないが、私は聞かずにいられなかった。「その祠って…どこにあるの?」「あ!サキも気になる感じ?」「なんなら一緒に行ってみる?」どこにあるのかを教えてくれたらそれで良いんだけど、と思っているとコトミが「学校の近くにある神社の森だよ」と言ってくれた。あー、あの神社か。普段は誰もお参りしないような静かな神社。たまに開催される行事の時だけ近所の人が集まるぐらいの神社。「“祠様”の噂ってどんなものなの?」ハルが興味津々で尋ねる。「森の中にある小さな祠なんだけど、祠の前に花を置いてお願いすると願いが叶うらしいの!」「そう!志望校に受かりますようにとか試合で勝てますように、とかね!どんな願いでも叶うらしいよ!」それはすごいな。どんな願いでも叶うって都合良すぎない?でもまあ迷信って大体叶った声しか広まらないからなあ、と考えていると「ねえ!サキは放課後って空いてる?私たちも行ってみようよー!」ハルが私の事をキラキラした目で見てくる。私は二つ返事をした。
放課後、ハルと一緒に神社へ向かう。とりあえず森の中へ入ってみるが、こんなに広い森の中で祠がどこにあるか見当がつかない。「祠ってどこにあるんだろうねー?」「本当だね」「コトミ連れて来たら良かったかもねー」「でもバイトだって言っていたからね」「仕方ないかー」探し疲れてその辺にあった木の根に座り込んだ。
ガサガサ
「びゃあ!?」ハルがびっくりして妙な声を上げる。その声の方が私には心臓に悪い。動物だろうか?「あっちから音がしたよね」ちょっと見てみる、と言って静かに音の方へ向かう。ガサガサ、という音が大きくなる。じっと身を潜めて葉っぱの間から音の正体を確認する。…え?「コトミが居る」「どういうこと?」コトミが道なき道をどんどん歩いて行く。「あれ?バイトじゃなかったっけ?」「そのはずだったけど…どうする?」「ついて行こう!」ハルは楽しそうにニヤリと白い歯を見せる。コトミの後ろをついて行くと少し広い場所に出た。そして、そこにはボロボロの祠があった。それは夢の中に出てきた祠とそっくりだった。あれが例の“祠様”だろうか。祠の前でコトミがしゃがみ、手を合わせる。声は聞こえないが、何か呟いているように見える。
“あの祠の前でありがとうと言ってはいけないよ”
また夢の中の声が頭で再生される。私は思わずぞわっと身震いした。夢の中の言葉とはいえ、妙に引っかかる。コトミは“ありがとう”と言ったのだろうか。「コトミ何をしているんだろうね?また何かお願いかな?」「…何だろうね」「ちょっと声かけてみる?」それはどうかな、と言いかける前にハルは「コトミ!」と元気良く声をかけていた。
「ハル?サキ?どうしたの!」「コトミこそバイトじゃなかったの?」「何か急にシフト代わってって言われちゃってね」「コトミまた何かお願いでもしていたの?」と私は聞く。コトミは首を横に振って答えた。「違うよ。祠様にお礼を言っていたの。願い事を叶えてくれて“ありがとう”って」ありがとうって言ったんだ…。いやいや冷静になれ、私が見たのはただの夢だ。普通の事じゃないか。願い事を叶えてくれたからお礼を言う、何もおかしなところはない。「そうなんだー!コトミってば偉いね!」ハルは笑顔でコトミを褒めている。そう、これはきっと褒めるべき内容。何もおかしなところはない、と再び自分に言い聞かせた。「これが願い事を叶えてくれる祠なんだねー!」「ハルも何かお願いするの?」「全人類が幸せになれますように!とか?」ハルが少し得意げな顔をしてこちらを見る。「規模が大きいね」さすがハルだ。脳内お花畑ハッピーガールって感じ。いや良い意味でね。「ハル、お願い事するならお花は持って来た?噂ではお花が無いと効果がないらしいよ」「なんてこった!ざーんねん…。でも今日は祠を見られたんだから良い日だね!満足!」表情をコロコロ変えながらハルは笑っている。ポジティブで切り替えが早い所は素晴らしいと思う。3人で一緒に森を出て、それぞれの家に帰る。「ばいばい!」「まったねー!」「じゃあね」と手を振って別れた。帰宅してご飯を食べて、お風呂に入り宿題を終わらせて眠りにつく。なんだか今日は疲れた。久しぶりにたくさん歩いたからだろうか。そんなことを考えているうちに深い眠りについていた。
「いいかい?あの祠の前で“ありがとう”と言ってはいけないよ」…まただ。またあの男の人が指をさして優しく教えてくれる。「どうして?」右隣にいる男の人を見上げてみる。黄緑色の着物姿で髪の毛は白髪。腰のあたりまで伸びた長い髪の毛が風に揺れている。祠を見つめて悲しそうな顔をする。「どうして言ってはいけないの?」灰色の瞳がこちらを見下ろす。「それはね…。嬉しくなってしまうからだよ」「嬉しくなってしまうから?それって良いことなんじゃないの?」「…そうだね」男の人は祠の前に立ち、愛おしそうに屋根を触った。まるで誰かの頭を撫でているような、そんな風に見えた。「でもハジキは寂しがり屋だからね」
ピピピ!ピピピ!
アラームが鳴り私は目を覚ます。「ハジキって…何だ?」忘れないうちにネットで検索してみるが、おはじきや弾く、といった言葉しか出てこなかった。何なのか分からない。それから夢の中の男の人の顔を思い出してみた。随分と綺麗で整った顔をしていた。真っ白い長髪で着物姿って、どこかのアニメのキャラにいそうだな、と思いながら朝食のトーストをかじっていた。
学校に着くと、先に教室にいたハルがニコニコして話しかけてきた。「じゃじゃーん!」効果音付きで見せてきたのはパステルカラーの花束だった。「これでお願いが出来るね!」「おー!綺麗だね」「でしょ?お花屋さんで買ってみたんだー!」気合十分だね、と言って席に着く。先生が出席をとる時に、コトミが居ないことに気が付いた。どうしたんだろう。後ろの席でコトミの友人たちがひそひそ話をしていた。耳を澄ませて聞いていると、どうやらコトミの母が入院しているらしい。昨夜、急に体調が悪くなり病院に運ばれたのだと言う。心配なので今日は学校を休むようだ。…なるほど。ひそひそ話が、こうも簡単に第三者に聞かれてしまうようでは友人同士の秘密なんて有って無い様なものだな、と私は1人頷いた。
「え!コトミのお母さんが!?」昼食中にハルに話すと口から物をこぼしそうなぐらいに驚いていた。というか実際、少しこぼしている。スカートに落ちた物を取りながら「コトミ大丈夫かなー」と呟いていた。それから閃いた!というような顔をして急にこちらを見る。「コトミのお母さんのお見舞いに行こう!」「え!行くの?病院分からないじゃん」「そんなのコトミに連絡すれば良いだけじゃん!」素早い指の動きでコトミに文章を打っている。「そうしーん!」ピコンという可愛らしい音とともに言葉はコトミに送られた。しばらくしてからピコンと通知が鳴る。「コトミからだー!」嬉しそうに画面を見せてくる。そこには心配ありがとう、という様な文章の後に学校の近くの病院名が書かれていた。「今日の授業のノートもコピーして持って行こうか」と提案するとハルはナイス!と笑っていた。
放課後になり、ハルと一緒に病院へ向かう。「私が持って来た花束が役に立つなんてねー!」「そうだね」タイミングが良いというか、良すぎるというか。病院に着くとコトミが待合室まで迎えに来てくれた。「コトミー!お母さんの具合どう?」私はコピーしたノートと配られたプリントを渡して、大丈夫?と聞く。コトミは目を逸らして「大丈夫だよ」と言うが、その様子からはとても大丈夫だと思えない。「コトミ!ほら見て!花束持って来たのー!お母さんに渡しに行っても良い?」ハルが尋ねると、聞こえないような小さな声で「花」と呟いた。花束を見て顔色を変えたコトミが渡したプリントを手からバラバラと落とし、ハルの持っていた花束を奪い取って走り出す。「え!」「コトミ!?」突然の出来事に驚いて動けずにいたが、私はコトミを追いかけた。「待ってサキ!」と言って、慌ててハルも走り出す。コトミは病院から抜け出しずっと走っている。一体どこに向かうつもりだろうか。追いかけていると神社が見えてきた。…まさか。真っ直ぐ神社の方へ向かい、昨日通った森に入り、例の祠の前でコトミは足を止めた。息を切らしながら私たちも足を止めた。ハルは膝に両手をつけて肩で息をしている。私も相当に疲れた。コトミは祠に花束を置いて両手を合わせて瞳を閉じた。「お母さんが…目を、覚ましますように」と震える声で祈っている。目を覚ましますように?そんなに悪いのだろうか?色々と混乱していると、コトミに着信がかかって来た。「もしもし、はい…はい!すぐ行きます!」電話を切るとコトミは再び走り出した。どこからそんな体力が出て来るのだろうか。もう私たちには追いかける力は残っていないので、小さくなっていくコトミの背中をただ見つめていた。「コトミ、どう、したんだろうね?」「お願いを、していたように見えた、けど」2人とも息も絶え絶えに言葉を交わす。ボロボロの祠に置かれたパステルカラーの花束は随分とミスマッチで、何だか気味が悪かった。
“ハジキは寂しがり屋だからね”
夢で男の人が言っていた言葉が頭をよぎる。「寂しがり屋…」ひとり言を呟いているとハルに何か言った?と言われたが、何でもないと嘘をついた。しばらく座り込んで祠の前で休んでいると、コトミから着信があった。『もしもし、サキ?さっきはごめんね』コトミが電話越しに謝る。私はハルに画面を見せてコトミからの電話だとアピールする。「コトミ?大丈夫なの?」とハルが呼びかける。『ハル!さっきはごめんね。私どうかしていたみたい』「そんなの良いよー!今どこにいるの?」『病院だよ。お母さんが目を覚ましたの!』コトミに詳しく話を聞くと、母が昨夜倒れて病院に搬送されてから、ずっと意識が戻らなかったらしい。「良かった」とハルと口を揃えて言うと『“祠様”にお願いしたからだね』と答えた。そして『またお礼を言いに行かないと』と明るい声で続ける。そんなコトミを、私は不気味だと思った。
森を出てハルと話しながら帰った。お母さんが心配で私たちにあんな態度をとってしまったのだろう、明日は学校に来られたら良いね、等と言うハルに平静を装って話を合わせていた。「サキ?また眠れなかったの?」「え?」「だってさっきから適当な相槌ばっかりなんだもん」「あ、ごめん」「ほらー!やっぱり眠れなかったんだ?また夢でも見たの?」ハルには何でもお見通しだな。「うーん。そうだね、夢だね」「それってどんな夢なの?」キラキラした目でこちらを見る。…話しても信じてもらえるだろうか。最近同じ夢ばかり見て、夢の中とそっくりの祠が現実にもある事。そして祠に“ありがとう”と言ってはいけない事。悩んでいるとハルが「あ、今何か悩んでいるでしょ?顎に手を置いて悩む癖が出ていますよー!」と指摘された。何でもお見通しのハルに隠し事は無理だと悟り、私は夢の話を全て打ち明けた。
聞き終わったハルは「何で“ありがとう”って言っちゃいけないんだろうね?言われたら嬉しいのに!」と私と同じ感想を持っていた。「嬉しくなってしまうから、らしいよ」と言うとますます意味が分からないような顔をして、首を傾げた。「どういう事だろうね?」「まあ、ただの夢の話だからね」「でも祠は存在しているんでしょう?それって…」ハルが神妙な顔つきになる。「…すごくない!?正夢じゃん!私も正夢見てみたーい!」まさにハルらしい回答、素晴らしい。私の悩みもどこかに飛ばされるぐらいに明るくて助かる。そのまま話していると、分かれ道に着いた。「まったねー!」「じゃあね」と挨拶をして帰宅する。色々と済ませて、また今日も眠りにつく。
「いいかい?あの祠の前で“ありがとう”と言ってはいけないよ」また今日も、あの男の人が夢に出て来た。いつものように、指をさす先には祠。「“ありがとう”って言ったら…どうなるの?」私は白髪をなびかせている男の人を見上げた。辛そうに目を細めて「不幸になる」と静かに言った。「不幸になる?何で?ありがとうって言っただけでしょう」「ハジキは寂しがり屋だからね」…またハジキ。「ハジキって何なの?友達がありがとうと言ってしまったんだけど、どうしたら良いか教えて」と私が言うと男の人が灰色の瞳を見開いてこちらを見た。私の肩を掴んで揺らし「言ったのかい?」と髪を振り乱して問い詰める。すごい力だ。今までの穏やかで優しい声からは想像できない恐ろしさ。あまりの出来事に何も言えずにいると「どうして…」と言って、男の人は涙を流しながら顔を両手で覆い、祠の前に座り込んだ。「ハジキ…もういいだろう」
ピピピ!ピピピ!
アラームの音で私は飛び起きた。まるで悪夢だ。夢の中であんな怖い思いをしたのは初めてかもしれない。「いたっ」アラームを止めようと手を伸ばした時に肩に違和感があった。着替える時に確認してみると、知らないうちに青あざが出来ていた。夢のせいもあって何だか怖くなった。心霊の類を信じているわけではないが、絶対にいないという証明も出来ないので、私はただ心臓を速く鳴らしていた。
「おはよー!サキどうしたの!?目の下にクマ出来てるよ」「ああ、これね」「また変な夢でも見たのー?」「ちょっとね」あくびをしながら返事をする。始業のチャイムが鳴り、先生が出席をとる。今日もコトミは欠席だった。何だか嫌な予感がする。
お昼休みになり、ハルと一緒に購買へ行く。「コトミ、今日も休みだねー」とハルは残念そうに言う。連絡しても返事がないらしい。廊下を歩いているとコトミの彼氏、ヒカル先輩を発見した。「ねえサキ!ヒカル先輩ならコトミの事、何か知っているかもしれないよね!聞いてみようよ!」と言って意気揚々と話しかける。「ヒカル先輩!コトミどうしているか知りませんか?返事が無くて心配で」「それが俺も返事が無くて困っているんだ」と頭を搔きながら答える。「一昨日コトミのお母さんが倒れて、今日はコトミと連絡が取れないなんて…どうして」
“どうして”と夢の中で泣いていた男の人と姿が重なる。
「ヒカル先輩にも返事が無いなんて心配だねー」「そうだね」「今日も病院に行ってみる?もしかしたら今日もお母さんの付き添いで病院に居るかもしれないし!」たしかに、と思ったが私はコトミがまた祠に行っているのではないかと心配になった。
放課後、また昨日と同じ病院へ向かう。今度はコトミの迎えが無いので受付で尋ねてみるが、分かるのは苗字だけでコトミの母の名前までは分からない。結果、私とハルは病院を出て帰ることになった。
「どうするー?コトミの家に行ってみる?」「うーん。悩むね」私は2つの事で悩んでいた。コトミの家を訪ねるか、夢の話をハルに話すか。「あ、サキ別の事を考えているでしょう?」「え?」「サキが唇を噛んで下を向いている時は何か別の事を考えている時だもん!」ケラケラと笑いながらハルは言う。幼馴染ってこんなに何でも分かるもんだっけ?と思いながら夢の話をした。
「ありがとうって言ったら不幸になるって言われたの!?何その人、謎すぎるんだけど!」全くもってその通りである。「まあ夢の話なんだけど。コトミと連絡が取れないし、ちょっと気になってね」「それは気になるよー」祠に行ってみる?と言いかけたが、何だか怖いので口を閉じた。明日もコトミと連絡が取れなかったら家に行くことにしよう、と相談して決めた。
ハルと別れた帰り道に、道路の向かい側にある花屋さんが目に入った。いつもならただの景色に過ぎないが、今はやけに花が目に付く。花屋さんを横目に私は家に向かう。その時、見覚えのある姿が目に映った。「…コトミ?」しっかりと確認しようとして正面を向くが、大型トラックがそれを邪魔する。通り過ぎた後にはもうコトミらしき人は居なくなっていた。見間違いだろうか?それともまたコトミは、祠にお願いをするために花でも買ったのだろうか。そんな事を考えながら歩いていると家に着いていた。
また今日もベッドに横になる。きっと今日も明日も同じ夢を見るのだろう。そう思うと目を閉じるのは怖い。怖いのだが、少しずつ何か分かる気がする。それから大きく深呼吸をして眠りにつく。
森の中で誰かの声がする。いつもの男の人の声ではなく、女の子の声だ。どうやら誰かを捜しているようだ。声のする方へ向かうと綺麗な祠が出て来た。今まで夢で見たボロボロの祠ではなく、つい最近建ったような綺麗な祠。祠の周りには雑草は生えておらず、可愛らしい花が咲いている。「ウキ、どこだい?」黄緑色の着物姿。肩の辺りで綺麗に切り揃えられた髪をふわふわ揺らしながら女の子が声をかけている。ガサガサ、と木々がこすれる音がして誰かが出て来た。「やあ、ハジキ。どうしたんだい?」穏やかで優しい声がして、青い着物姿の男の人が出て来た。灰色の瞳は嬉しそうに女の子を見る。いつも夢に出て来る男の人だ。この人が“ウキ”なのか。「ウキ、これを見ておくれ!」そう言って満面の笑みで花束を見せる。男の人が話していた“ハジキ”とは、この女の子のことだったのだと理解する。ハジキが見せた花束は、花屋さんで売っているラッピングされているようなものではなく、森の中に生えているタンポポやシロツメクサを1つにまとめたものだった。「綺麗だね、ハジキが作ったのかい?」「いや、私じゃないんだ。この前、祠にお願いをしに来た幼子が作って持って来てくれたのだよ」「それは良かったね」「それにね、“お願いを叶えてくれてありがとう”と言われたのだ。こんなに嬉しいことはないね!」ハジキは貰った花束を嬉しそうに見つめている。ウキはハジキの頭をふんわりと2回撫でて「良かったね」と、もう一度言った。
急に場面が変わり、今度はシトシトと雨が降る森の中。「ウキ、どこだい?」ガサガサ、と音がしてウキが出て来る。「どうしたんだい、ハジキ?」ハジキは何だか元気がない様子で、ずっと俯いている。「…最近、誰も私たちに会いに来ないのだ」と悲しそうに言う。「最近は雨ばかり降るからね。ただ外に出ないのかもしれないよ」「それなら“雨が降りませんように”と私たちに願えば良いのだ!そうだろう?」声を荒げるハジキをウキがなだめる。「そうだね。ハジキに願えばきっと雨は降らないだろうね。でもハジキが好きなタンポポやシロツメクサが枯れてしまうかもしれないね」ハジキは「寂しい」とだけ答えた。「僕はハジキのそばにいるからね」と言って、ウキはハジキの頭をふんわりと2回撫でた。
「ウキ、どこだい?」声をかけてもいつものようにウキは現れず、ハジキの声だけが森に響く。「ウキ?出てきておくれ」何度も呼ぶがウキは現れない。泣き出しそうなハジキは森の中を探し回る。「ウキ、返事をしておくれ」歩き疲れたハジキは地面に座り込んだ。「…ハジキ」と微かに声が聞こえる。その声は弱弱しくハジキを呼んでいた。ウキの名前を呼びながら木々をかき分け辺りを捜す。ウキの青い着物が見えた。ハジキが急いで向かうと、ウキはうつぶせで地面に倒れていた。急いで駆け寄りウキを抱き起す。「何があったのだ?」「何でもないよ…少し転んだだけだ」「嘘を吐くな!こんなに力が弱くなっているじゃないか」ハジキは涙目でウキを見る。「…大丈夫だよ」そう言ってウキは再び目を閉じて動かなくなった。「…どうした、ウキ?しっかりしろ、ウキ!」ハジキは急いで自分よりも随分と体が大きなウキを祠の前まで運び、そっと静かに寝かせた。祠の前でハジキが何かを呟くと、ウキは眩しい光に全身を包まれた。その光がフワッと消えた後、ウキは目を開けた。「…良かった」そう言ってハジキはウキを抱き締める。「また助けて貰っちゃったね。ありがとうハジキ」「ウキは力が弱いのだから、無理をしてはいけないよ」「ごめんね。でもきっと今日は良いご縁があるよ」そう言ってウキは祠へ繋がる道を指さした。しばらくすると女の子とそのお母さんらしき女の人が手を繋いで、祠の前へやって来る。「母様!こちらです!」「サキ待って」サキ?私と同じ名前なので、つい反応してしまう。この子がハジキに花束をあげた女の子だろうか。ハジキは表情をパッと輝かせると「花束をくれたあの子だ!」と嬉しそうに女の子と母親を見る。母親は祠を眺めると「綺麗ねえ」と、頬に手を当てうっとりとした表情浮かべた。それから祠の横にある立て看板の文字を口に出して「我らはメハジキとメボウキ。誰かの為に願う者の望みを叶えよう…?」と言い、首を傾げた。“メハジキ”と“メボウキ”という名前が2人の本当の名前なのだろうか。「サキが“母様の病が治りますように”とお願いをしたら叶えてくれたのです!」と母親に伝える。母親が病で倒れ、祠に願い、花束を渡す。まるでコトミのようじゃないか。「そうだったのですか。ありがとうございます、メハジキ様、メボウキ様」女の子と母親が頭を下げて祠の前で手を合わせる。どうやらハジキとウキの姿は見えていないようで、2人の目の前にいるのに気が付く様子は微塵も無い。ハジキは嬉しそうにその姿を眺め「“ありがとう”という言葉は美しいものなのだな」と微笑んだ。「そうだね」2人が下山していく背中を見ながらハジキは尋ねた。「ウキの言っていた通りだ。今日は素敵なご縁があったけれど、どうして分かったんだい?」「ふふ、僕だって神様だよ?それぐらい分かってしまうんだ」と言ってハジキの頭をふんわりと2回撫でた。と、思うと次の瞬間、視界がグニャリと曲がり辺りが真っ暗になった。真っ暗闇に囲まれた私はその場を一歩も動けずにいた。どうしよう、早く目を覚まさなければ。そう思うのだが目を覚ます事が出来ない。早くアラーム鳴ってくれ、私を起こしてくれと願うがどうにもならない。
「あの祠の前で“ありがとう”と言ってはいけないよ」と聞き覚えのある声が鼓膜を揺らす。声の方向を見るとウキが立っていた。薄暗いがいつもの森の祠の前だ。「ハジキは嬉しそうだったけれど、どうして言ってはいけないの?」「ハジキは随分と寂しがり屋だからね。それでいてあまりにも力が強すぎる。力が強すぎて、一度だけ取り返しのつかない事をしてしまったのだ」「それって何なの?」ウキは黙って口を閉じる。ボロボロの祠を切なそうに見つめて、昔話をしてくれた。「あの親子が来てから、噂を聞いた村の人間が祠へやって来て度々お願いをしたのだ。ハジキは誰かの為に願う人間の姿は綺麗だと嬉しそうに話してくれたよ。願いが叶うと、人間はお礼に花束を持って祠へ来る。それがいつしか花束を渡してからお願い事をするように変わっていったのだ。次から次へ願いにやって来るのだから、祠の前に花が絶える事は無かった。沢山の花束を抱えたハジキはとても幸せそうだった。でもハジキは願い事をする人間の言葉をそのまま受け取りすぎたのだ」ウキが視線を落とす。「どういう意味?」「例えば“母の病が治りますように”と願い事をされると、ハジキは“すぐに病気を治す”事が出来る。“兄が無事に帰って来ますように”と願うと“必ず無事に帰って来る”のだ。最初は誰かの為に願う者の望みしか叶えていなかったハジキだったが、最初に花束をくれたサキのような幼子の願いはどのようなものでも叶えるようになった。だから幼子が友と喧嘩をした後に祠の前で“あの子が居なくなりますように”と願った時も…願いを叶えてしまったのだ」「それって…」「そう、その子は二度と姿を現す事は無かった。村は大騒ぎで神隠しだと叫んだ。その子の母親は祠の前で我が子が無事に戻って来ますようにと願うが、その願いは決して叶わない」「どうして?ハジキは力が強いなら何でも叶うんじゃないの?」「ハジキは力が強すぎるのだ。だから一度でも願いを叶えると、その後にどれだけ願おうとも覆らない」ウキは辛そうに話す。「ハジキは、まだ幼かったのだ。願い事の良し悪し、内容など気にしてはいない。ただ“ありがとう”と言われる事が好きだった。その為ならハジキは何だって願いを叶えたのだ」“ありがとうという言葉は美しいものだな”と言っていたハジキの笑顔が頭に浮かぶ。「それから村の人は、幼子が居なくなったのはきっと祠の呪いだと噂するようになった。自分の為だけに願い、その願いが叶わなかった村の者が腹いせに言いふらしたのだろう。…ここからの出来事はとても僕の口からは言えない」ウキがそう言うとまた辺りが真っ暗になった。
「ウキ、どうして?私は願いを叶えただけじゃないか」ハジキの声がする。段々と辺りが明るくなり、2人の姿が目に映る。ボロボロの祠を見てハジキは呟く。「なぜ村の人たちは石を投げる?なぜ私たちの祠を棒で叩き壊す?」「ハジキ…」「どうしてだ?願いが叶うとあんなに喜んでいたじゃないか。私はまた皆に“ありがとう”と言って笑って欲しかっただけなのに、どうして…」ハジキの薄紅色の瞳が段々と赤色に変わっていく。「ハジキ!落ち着くんだ!」ウキが抱き締めるがハジキの瞳は真っ赤になり、太陽のように明るい橙色の髪の毛は黒く染まっていった。「…ウキ、私たちは忘れられてしまうのだろうか?もう“ありがとう”と言っては貰えないのだろうか?」「そんな事はない、覚えているさ」「そうだろうか。村の人は私たちを“バケモノ”だと言った。そんな祠に誰が願いに来るものか」「大丈夫だよ」ウキはハジキの頭を何度も撫でている。「忘れられるのは…嫌だ。私はどうすれば良いのだろうか」俯いていたハジキが、そっと顔を上げる。「…そうか。願いに来る者はいつも不幸だった。ならば願いを叶えてやった者を“もう一度不幸”にしてしまえば、また“ありがとう”と言って貰えるのではないか…?」「ハジキ、何を言っている…」赤い瞳を見開いてハジキは続ける。「そうだろう?また不幸になれば何か願いに祠へやって来る。私たちの所へやって来るのだよ、ウキ!そうすれば忘れられる事は無い!私は願いを叶える代わりにずっとずっと、何度だって“ありがとう”が聞けるじゃないか!」「ハジキ、違う!僕たちは誰かを不幸にしてまで“ありがとう”と言って欲しいのではない。また不幸になるのに願って欲しいなどと思ってはいない」ウキがハジキの両肩を持って諭すが、ハジキはウキを睨みつける。「うるさいぞ、ウキ」そう言った瞬間、ウキは見えない何かに弾き飛ばされて倒れた。「ハ、ジキ…?」飛ばされた衝撃でゴホゴホと咳をしながらウキはハジキを見る。ハジキは倒れたウキを見下ろして「私の邪魔をするつもりか」と冷たく言い放った。それは今までの笑顔溢れるハジキではなく、全く別の者だった。その姿はまるで…。「バケモノ」と私は口に出していた。ハジキは村の人たちが言うような“バケモノ”になってしまったのだ。「あいつらは私たちを“バケモノ”だと言った!呪いの祠だと罵倒した!今まで散々願いを叶えてやったというのに、こんな仕打ちはあんまりではないか!」すっかり姿が変わってしまったハジキは怒り叫ぶ。「お前たちが私たちの事を“バケモノ”だと言うのなら、私は“バケモノ”になってやろう。それがお前たちの願いなら、私はその願いを叶えてやろうではないか」そう言うと両手を合わせて何かを口にした。黒い光が辺りを包んで森に暗い影を落とす。祠の周りにあった色とりどりの草花は一瞬にして枯れ、辺りは荒れ果てた。「ハジキ、やめてくれ」倒れたウキが声をかけるがハジキの怒りは静まらない。「私は願いを叶えているだけだ!己の事ばかり考え、誰かの為に願う事を辞めてしまった欲深き人間ども。思い知るが良い」「ハジキ!メハジキ!」ウキは倒れたまま両手を合わせ、何かを呟く。白い光がハジキの体を取り囲んだ。「何をするつもりだ!?」ハジキはその言葉を残して、光と共に祠の中に吸い込まれていった。ハジキの姿が見えなくなり、ウキの体は半透明になる。
「全て僕のせいだ」と声が聞こえる。ウキが隣に居てこちらを見る。気が付けば、またあの祠の前に戻っている。「ハジキはどうなったの?」「僕が祠に閉じ込めた。あれ以上、負の力を発揮すると、どうなってしまうか分からないからね」「じゃあ、何でウキのせいなの?」「僕は力が弱くてね。願いを叶える神様として存在しているのだけれど、それはハジキと一緒だからであって、願いを叶える力は僕には無いのだよ。僕は祠と人間のご縁を結ぶ力しか持ち合わせていない。でもハジキは、どんな願いでも叶えてしまう強い力を持っている。僕たちは2人で成り立つ存在なのだよ。祠を見付けて貰えなければ、願いを叶える事だって出来ないからね。…ハジキがあんなに“ありがとう”という言葉に執着するようになったきっかけは僕だ。僕があの女の子、サキとのご縁を結んでしまったから、ハジキはあんな風になってしまった。そして人が寄り付かなくなった祠で、ずっと誰かを待つ寂しそうなハジキを見るのが耐えられなかった。僕は人に見付けて貰えなくなった祠に人間が来るように、と自分の力を使った。僕が人間とのご縁なんて結ばなければ良かったのだ」「…そんな事ない。願いが叶って幸せになって人だっているでしょう?」「慰めてくれるのかい?嬉しいよ」ウキは寂しそうに笑った。「僕はあれから祠の中のハジキを見守っていたが、ハジキは泣いてばかりいた。寂しい、寂しいと顔を覆って嘆いていた。僕はずっとそばに居たのだが、力を使いすぎて姿が見えなくなってしまったものだから…余計に辛くてね」「姿が見えない?でも私には見えているじゃない?」「それは夢の中だからだよ。現実世界では僕はもう消えかかっている。長年ハジキを祠に封じ込めていたのだけれど、段々とその力も弱まり、少しずつハジキの力が祠の外へ出るようになった。私が祠にかけたご縁を結ぶ力を利用して、ハジキは自ら人間を呼び寄せるようになったのだ」「それで今になって噂が広まっていったの?」「そうだろうね。初めはお礼を言いに再び祠を訪れる者や、花束を持って来るような者は居なかった。それでもハジキは誰彼構わずに人間を呼び寄せた。寂しかったから仕方がなかったのだ。私たちは存在を忘れられると消えてしまうからね」「…そうなんだ」「君がこの夢をどれだけ覚えていられるか分からない。でもこれだけは覚えていて欲しい。ハジキは心優しい女の子だということ。そして“ありがとう”という言葉が美しくて大好きだということ。でも決して祠の前で“ありがとう”と言ってはいけないこと。…どうか忘れないで」と言う声の後にピピピ!ピピピ!とアラームが鳴り響いて私は目を開けた。
また朝がやって来た。私は忘れないうちにメモを残した。『メハジキ、メボウキ、願いを叶える、心優しい女の子』そう書き終わって、ため息をついた。夢を覚えていたってどうしようもないじゃないか。コトミは今日こそ学校へ来るのだろうか。どうすればハジキの願いは叶うのだろうか。ウキを助ける方法は無いだろうか。「頭がおかしくなりそうだ」と私は呟き、身支度を始める。
学校に着くと教室にコトミが居た。ハルが私を見付けると「今日はコトミ来ているね!いえーい!」と両手でピースしてきた。私との温度差がすごい。一応「やったね」と抑揚のない返事をしてから席に着く。「どうしたの?コトミが来たんだから、もう安心じゃん!」ニコニコと話を続ける。そうでもないんだよな、と心の中で答える。「そうだ!今日こそ森の祠にお願いをしに行こうよ!」楽しそうにハルは言う。「行かないで!」「んわ!?びっくりした!」私が珍しく声を荒げたものだからハルは妙な声をあげた。「どうしたの?…祠に“ありがとう”って言わないよ?」…そうじゃないんだ。言っても言わなくても結果は同じような気がしてならない。ハジキはもう神様ではないのだから、誰に何をしたっておかしくない。何が怒りの対象になるか分からない。「…サキ?」「ごめんハル。ちょっとコトミに聞きたい事があるからまた後でも良い?」昨日コトミが花屋さんに居たのかを確かめようと席を立った時に、担任の先生が慌てて教室へ入って来た。まだチャイムは鳴っていないのにどうしたのだろう、と思っていると真っ直ぐにコトミの席に向かう。ちょっと、と声をかけられたコトミは先生と一緒に教室を出て行った。私は嫌な胸騒ぎがした。そんな中で鳴り響いたチャイムは、どこか落ち着かない音に聞こえた。
「先生とコトミ、どこ行っちゃったんだろうね?」先生不在で進んで行く朝のホームルームの時間、教室は自由極まりなかった。席に着かず話をする生徒、自分の席で自習する者、ぐっすりと眠っている者。ハルも自分の席を立ち、私の所へやって来て話しかける。「なんだろうね」と返事はしたが嫌な予感しかしない。「昨日、ハルと別れた帰り道でコトミを見た気がしたんだ」私は抱えていた思いを打ち明けた。「え!どこで?」「花屋さん」「…お花屋さん?それって、もしかして!」「そう。また祠に何かお願いに行ったんじゃないかと思って…。だからそれを確かめたくて」そんなことを話しているとコトミが教室に戻り、急いで鞄を持って教室を出て行く。「コトミ!」ハルが声をかけるが、コトミは止まらない。コトミと入れ替わりで先生が神妙な顔をして教室に来て、「早退するそうだ」とだけ伝え、賑やかなクラスを静かにさせようと努めている。私は居てもたってもいられなかったので「体調不良で早退するって先生に伝えといて」とハルに言い、教室を飛び出した。「待ってサキ!」と言うハルの言葉を振りほどき、すぐさま廊下に出るがコトミの姿は全く見えない。ふと窓の外を見ると、校門の近くでタクシーに乗り込むコトミが見えた。祠か花屋へ行く気だろうか。私は学校を出ると一直線に祠へ向かう。
森の中に入り、祠を探すが見つからない。「おかしいな…この辺りのはずだけど」祠の場所に向かっているはずなのだが、全然祠に辿り着かない。何でこんな時に限って。ガサガサ、と木々がこすれる音がする。コトミかと思って振り向くと、少し怒ったハルが居た。「もう!電話しても出てくれないんだから!」「ハル、か…」「へへーん!ハルでした!サキの事だから森に居るんじゃないかと思ってね。私もお腹痛いって言って早退しちゃった!」と明るく笑う。息を切らしているハルに「そんなに走れる腹痛の人がどこにいるんだよ」と言うと「猛ダッシュ出来る体調不良の人もなかなかだと思うけどね!」と言い返された。それから「ホームルームが終わった後に、コトミのことを先生に聞いたんだけどね…」と続ける。「何かあったの?」「コトミのお父さんと妹さんが乗っていた車が、事故に巻き込まれたらしいの」「そんな…」「2人は一緒にお母さんのお見舞いに行く所だったんだって…。今日はコトミがスマホを家に忘れていて繋がらなかったから学校に連絡が来たらしいの。それで先生が伝えたって言っていたよ」「じゃあコトミは?」「病院じゃないかな?先生もそう言っていたし」それなら良いんだけど。でもきっとコトミは祠にやって来る。そんな気がしてならない。落ち着かない様子で辺りを見回していると「大丈夫だよ!」とハルが笑いかける。「だって森に居ればコトミが来たらすぐに分かるし、お願いをさせない事だって出来るじゃん!」と言う。「それもそうだね」と返事をするが、心の中はモヤモヤしている。コトミは現れるだろうか。仮に今日はお願いをしなくても、明日現れて祠にお願いをしてしまうかもしれない。そうすれば、次は何が起きるのだろう。好きな人と付き合えてお礼を言えば、母が意識不明になる。母親の意識が戻ってお礼を言えば、父親と妹が事故に遭う。じゃあ2人の意識が戻ります様に、とお願いすれば。次は誰がどうなってしまうのだろう。考えただけでゾッとする。「サキ?」「いや、何でもない」「それにしても祠ってこの辺りになかった?何で見つからないんだろう?」「本当だよね。さっぱり分からなくて」「歩き回っていたらいつか見つかるかもよ?あっちにも行ってみようよ!」ハルは私の手を取って、森の奥へと進んで行く。ガサガサ、と木々をかき分け道なき道を進む。ガサガサ、と私たちの音ではないものが耳に入る。ハルと顔を見合わせ、足を止めた。ガサガサ、と音は続く。私は口に人差し指を当て音の方向に視線を向けた。「…コトミだ」やはりコトミがどこかへ向かっている。しかも花束を持って。「ねえサキ。またコトミはお願いをしに行くのかな?」「分からないけれど止めないと!」私はコトミの方へ走り出して花束を奪った。驚いた様子のコトミがこちらを睨みつける。「何するの?返して!」「返さない。もう祠にお願いするのはやめて」「放っておいてよ!サキには関係ないでしょ?私は早く祠様にお願いをして願いを叶えて貰わないといけないの!」そう言って私の持っている花束に掴みかかった。花束を離さない私を真っ直ぐに睨みつけている。いつもの温厚なコトミとはまるで別人のようだ。コトミは花束の花びらが散っていこうがお構いなしで、力強く引っ張り続ける。異様な光景にハルは両者の顔を見比べて焦ってはいるが、その場で何も出来ないでいた。そしてコトミが「返して!」と甲高い声で叫んだ時、一瞬コトミの瞳が赤色に見えた。「ハジキ…」それはハジキがバケモノになってしまった時の瞳とそっくりだった。ひるんでしまった私はほんの少し、手から力が抜けてしまった。…ほんの少し、それだけでコトミには十分だった。私の手から、するりと花束を奪い返すと森の中を走り出した。「待って!」私も後を追いかける。すると、私たちだけでは全く見つけられなかった祠が見えて来た。私はもう一度コトミの花束を掴んで力強く引っ張る。その時、バランスを崩して私とコトミは崖から転落してしまった。バキバキ、と木々が折れる。目を開けると、空が見えていた。どうやら転落時に頭を打ったようで、段々と意識が遠くなる。遠くでハルが必死に声をかけているが、その声も小さくなり、私は意識が無くなってしまった。
辺りは真っ暗で何も見えない。誰かのすすり泣く声が聞こえる。ずっと名前を呼んでいる。目を凝らしてみるとハジキが居た。「…ウキ。会いたいよ。私を1人にしないでおくれ…」私がハジキに歩み寄ろうとした時に、近くの木々をガサガサ、と揺らしてしまった。「…そこに居るのは誰だ?」と警戒した声が飛んでくる。私が「ハジキ」と名前を呼ぶと目を丸くしてこちらを見る。「なぜ…ウキと同じ呼び方をする?」「ウキがあなたの事をそう呼んでいたから」「お前、ウキを知っているのか!ウキは今どこに居る!?」私の肩を揺らして問いただす。その瞳は薄紅色で、必死に私を見つめていた。「どこだ?ウキは一体どこに居るのだ?」祠を見るとウキが悲しそうにこちらを見ている。 ハジキには見えていないのだろうか。「私はウキに謝らねばならんのだ。私は酷い事をした。私はウキを傷付けてしまったのだ。だから私は1人になったのだ。…そうだろう?」涙を流して私に聞くウキは、目を真っ赤にしたバケモノではなかった。ただの小さな女の子。心優しい女の子。「私は皆に“ありがとう”と言って欲しかっただけなのだ。最初に花束をくれたサキみたいに、笑って欲しかった。それだけなのに…。私がどんな願いでも叶えたせいで、いつしか人間は私たちの祠を“バケモノ”だと呼ぶようにになった。私は何と呼ばれても構わないが、ウキを“バケモノ”と呼ぶのだけは許せなかったのだ。私の大切なウキを侮辱したのが許せなかった…」そうだったのか。ハジキはウキが侮辱された事に腹を立てていたのか。その怒りから感情が負の方向へ働いてしまって、ハジキは変わってしまったのだろう。きっとハジキは自分の事だけならば“バケモノ”になっていなかったのかもしれない。けれど、ウキと一緒にいる祠を“バケモノ”だと言われたら話は違う。「ハジキは悪くないよ」と私は言う。「いや、私が悪いのだ。私がどんな願いでも叶えてしまったから。…幼子を1人隠してしまったから。きっと同じ気持ちを味わえという事なのだろう。だからウキは居なくなった。全て私のせいだ」その姿は“全て僕のせいだ”と言っていたウキと同じだった。小さな体は震えて声はか細く、今にも消えてしまいそうだ。「ハジキのせいではないよ」とハジキには姿が見えないウキも話しかける。「ウキに会いたい。ウキの居場所を教えておくれ」と私に縋りつくハジキ。「私はどんな罰だって受ける。私は酷い事をしたのだ。隠してしまった子の母や父の気持ちがやっと分かった。私はあの日からウキに何百年も会えていない。会えない苦しみ、会いたい気持ち。私は願いを叶える神ではない!罰を受けるべき神なのだ!」苦しそうにその姿を見つめるウキ。こんなに心が痛む事はあっただろうか。何百年も後悔して自分を責め続け、こんなに傍に居るのに会いたい人に会えないなんて、あって良いはずがない。一体どうすれば。「私は忘れられないように、存在が消えないようにずっとウキの帰りを待っていた。誰でも良いから願いを叶えて存在を残し続けた。帰る場所が無いと、きっとウキが悲しむから」ハジキ続ける。「願いに来る者は自分の為だけに私の力を使った。私は何度も利用されたが、それでも構わない。この祠が無くならない限り、私とウキは存在し続けるのだ。私の存在理由はウキなのだ。ウキが居るから私が居る。どうかウキに会わせてくれ。お願いだから、もう一度ウキに会わせておくれ」肩を揺さぶられる。とても強い力だ。どこか遠くで声が聞こえる。この声は聞き覚えがあるような。
「サキ!お願いだから起きて!」目を覚ますとハルが肩を揺らして私を呼んでいた。「…ハル?」私と目が合うと「良かったあ」と言って泣き出した。「2人とも崖から落ちちゃって…目を開けないし、どうしようって思って…」とグズグズ泣きながら説明してくれた。祠の近くの崖から落ちたらしいが、そんなに高さもなく木々がクッションの役割を果たして助かったようだ。「コトミは?」上半身をゆっくりと起こして辺りを見回すと倒れているコトミが居た。「目を覚まさないの…」「え?」「息はしているんだけど…全然目を開けてくれなくて」「…救急車!救急車呼ばなくちゃ!」「呼ぼうと思ったよ!でも電波が繋がらないの!」私も確認するが画面に現れたのは『圏外』の2文字だった。「じゃあ早く病院に助けを呼びに行かないと!」そう言って動こうとしたが頭がクラクラして足がふらつく。再び地面に倒れそうになった所をハルに抱き抱えられ、私はしばらく目を閉じる。
“お願いだから、もう一度ウキに会わせておくれ”
ハジキの声が頭に響く。私もウキに会わせてあげたい。どうすれば良いのだろう。目を開けてコトミを見る。コトミの傍らには、私と取り合った花束が散らばっていた。それはもう花束と呼んで良いのか分からないような姿になってしまっていた。私はゆっくりとコトミの方へ行き、花を拾い集める。理由は分からないが花を集めなければ、と思った。1本、また1本と地面に落ちた花をまとめて手の中で花束を作っていく。ラッピングもされていない、片手に収まる簡素な花束が完成した。あの子も…私と同じ名前のサキもこんな花束をハジキに渡していた事を思い出した。そして、嬉しそうなハジキの笑顔も。
「…そうか」どうしたの?と言うハルの声を背に、私は祠へ向かった。もう体力はとうに尽きている。それでも祠へ行かなければならなかった。何かが私を突き動かしていた。そうして、やっとの思いで私は祠の前へ辿り着く。目の前には夢で見たボロボロの祠。ボロボロの私と良い勝負じゃないか。息を切らしながら真っ直ぐ祠を見る。正面に立つのは今回が初めてだった。それから手に持った数本の花束を祠に置き、私は手を合わせて目を閉じ願い事をする。
「ウキとハジキが幸せになれますように」
そう言い終えると、私はその場に倒れて意識を失った。
「ありがとう、サキ」声が聞こえて私は辺りを見回した。ウキとハジキがこちらを見ていた。「良かった!会えたんだね」「全てサキのおかげだよ」「サキが私たちを助けてくれた!」ハジキはとびきりの笑顔で続ける。「私たちは願いを叶える神様として長年生きてきたが、私たちの事を願ってくれる人間には初めて出会った。私たちは願いを叶える存在であって、願い事をして貰う存在ではないと思っていた。自分の為に誰かがお願いをしてくれるというのは、こんなにも嬉しいものなのだな」ハジキはこちらに来て私に抱きつく。「サキが願ってくれなければ、きっと私はバケモノに成り果て呪いを振り撒いていただろう。私を救ってくれて本当にありがとう、サキ」「良いんだよ」ウキがこちらを見て嬉しそうに微笑む。「サキ、ありがとう。言葉では言い尽くせないほどに感謝している。君に出会えて本当に良かった。僕の話に耳を傾けてくれてありがとう。僕たちの存在を信じてくれて本当にありがとう。でもね…」
目が覚めると真っ白な壁が目に映った。ここはどこだろう。「サキ!」「先生早く来てください!」と声が聞こえる。白衣を着た先生がやって来て声をかける。名前や年齢、どこに住んでいるかというような問いかけに対して私は上の空で返事をしていた。頭の中に残っているのは誰かの『ありがとう』という言葉だった。誰だったのだろうか?穏やかで落ち着いた声は、どこかで聞き覚えのある声なのにぼんやりとして思い出せない。「問題ありませんね」と言う先生に「ありがとうございます」と答える両親。話を聞くと私は神社の森で倒れて気を失っていたらしい。ハルが救急車を呼んでコトミと一緒に病院に運ばれたそうだ。「コトミは大丈夫なの?」「サキが目を覚ます少し前に意識が戻ったって言ってたよー!本当に2人とも無事で良かった!」ハルが嬉しそうにこちらを見て答える。「コトミの家族は大丈夫なの?」「…家族?」ポカンと口を開けてハルが不思議そうに言う。「何でコトミの家族の心配をしてるの?」「え?だってお父さんと妹が事故に遭ったって言ってなかったっけ?」「ちょっとー!夢でも見てたんじゃない?ちゃんと起きてよー!」とハルが笑いながら茶化してくる。夢だったのか…?じゃあ何で私は森に行ったんだっけ?「ハル、私たちって森で何してた?」「もー!まだ寝ぼけているの?コトミの落とし物を捜しに行ったんじゃん!」「…そうだっけ?」「そうだよー!そしたらサキが落とし物を見付けて、コトミに声をかけて崖の下に行こうとしたら2人とも滑って落ちちゃったんだからね!」涙目でプンプンしながらハルは言う。落とし物なんて探していたっけ?何か違う理由で森にいたような気がするんだけれど思い出せない。心配かけてごめんね、と言うと本当に無事で良かったと喜んでくれた。
その後、看護師さんがやって来て念の為に今日は入院をするようにと話をされた。両親とハルと別れてから病室で目を閉じる。本当に今日は疲れた。なぜ森で何をしていたのか思い出せなかったんだろう?と考えていると眠りについていた。
目が覚めると白い天井。そうだ…ここは病院だった。久しぶりにぐっすりと眠れた気がする。何も夢を見なかったし熟睡していたのだろう。…あれ?なぜ夢を見ない事に違和感を覚えているんだろう?しばらくすると先生がやって来て診察も無事終わり、昼には退院して家に帰った。
1日ぶりの我が家。大きく息を吸い込んで吐き出す。荷物を置き、ベッドに腰かけて何となく勉強机を見るとシャーペンがノートに挟まっていた。何だろう?宿題でも出しっぱなしにしていたっけ?と思いながら、ノートを開くとよく分からないメモが残してあった。
『メハジキ、メボウキ、願いを叶える、心優しい女の子』
「メハジキ、メボウキ…?」と口に出すと脳裏に着物姿の男女の姿が過る。あれ?何か、どこかで見た事があるような…。「メハジキ、メボウキ…。」祠の前で嬉しそうに花束を持つ女の人が口をパクパクさせて誰かを呼んでいる。木々をかき分け男の人が嬉しそうにその姿を見てほほ笑む。誰だったのか思い出せない。こういう時は検索するのが手っ取り早いと思い指を動かし始めた。『メハジキ』と文章を打ち込むと花の図鑑が出て来た。画像を開くと、ひょろっとした草に薄紅色の花が咲いている。花というより見た目はほぼ草に近い。『メハジキ…シソ科メハジキ属の1年草または越年草。野原や道端などに生えている。全草が産前産後、婦人病、眼病などの薬草として利用されていた』なるほど、なぜメモしたのかさっぱり分からない。図鑑を読み進めると花言葉が出てきた。『メハジキの花言葉には「よき願い」「心は優しい」という意味がある』願い…?心は優しい?そこにはノートに書いてあるメモと同じような文章が書かれていた。視界に靄がかかったように鮮やかな色が霞んで、何か思い出せそうで思い出せない。モヤモヤしながらも次は『メボウキ』と検索してみる。検索すると『メボウキ・バジル』と表記されている。今度はバジル?また花の図鑑を開く。『メボウキは、シソ科メボウキ属の多年草。「バジル」「バジリコ」あるいは「スイートバジル」と呼ばれている』へえ。また花言葉が出てきた。『メボウキの花言葉には「良い望み」「何という幸運」という意味がある』 良い望み…?“願い”に“望み”。何だろう、何故だか分からないが、私はメボウキとメハジキを知っている気がする。さっきから頭に浮かぶイメージは何なのだろう。着物を着た2人の男女。ボロボロの祠の前に居る男女。…祠?この祠は森の中の祠じゃないか?そういえばハルと一緒に祠を捜していた気がする。あの森に何かヒントがあるかもしれないと思い、一緒に森へ行かないか?とハルに連絡をするとすぐにピリリと返事が来た。30分後に神社で待ち合わせをすることになった。
「お待たせー!退院おめでとう!」ハルが手を振って近付いてくる。「ありがとう!急にごめんね。ちょっと探したいものがあって」「え?サキも何か落としちゃったの?」「落とし物じゃなくて、祠を捜したいんだ」「祠なら神社に何個かあるね!どんな祠を捜しているの?」ハルは神社をキョロキョロと見回す。「神社の祠じゃなくて、森の中にある祠なんだけど。ほら、前も一緒に探したことあるじゃん!」「え?森の中で祠なんて探したことないよ?」驚いて口を半開きにしてしまった。「え?一緒に森の中を捜したよね?」「だから、捜してないってば!サキ大丈夫?もう少し休んでいた方がいいんじゃない?」と心配そうな顔をするハル。どういうことだろう。私が何か勘違いしているのだろうか?「大丈夫だよ。一緒に探した気がしていただけかも」と胡麻化す。でもたしかに私はハルと一緒に祠を捜していた。「そっか!せっかく神社に来たんだし、お参りでもしていこうよー!」ハルは明るく言う。神社を見て回ると案の定、誰も居なくてとても静かだ。静かな神社ではあるが、手水舎や本殿、神楽殿までしっかりとある。「そうだね!じゃあ、まずは鳥居の前で一礼しようか」「え!そんな本格的にお参りするの!?」「せっかくだからね!」「サキってばこういう所はしっかりしているんだからー!」そうして鳥居の前で一礼し、参道の真ん中を避けて歩き、手水舎で手と口を清めて本殿へ向かう。「ハルは何をお願いするの?」「うーん。やっぱり私レベルになると、全人類が幸せになれますようにかなあ!」と得意げにピースを見せた。「さすがハルだね。規模が大きい」笑いながら返事をすると今度はハルが尋ねる。「サキは?サキのお願いは何なの?」「私は何にしようかなあ」「全人類の幸せ?私と一緒に世界中の人の幸せでも願っちゃう?」とハルは楽しそうだ。「もし願い事が叶ったら私は絶対この神様に“ありがとう”って言うだろうなあ!」ありがとう…?
『“ありがとう”と言ってはいけないよ』
突然頭の中に光が溢れていっぱいになり、私は目を見開く。思い出した。この聞き覚えのある声はあの人だ。…青い着物を着た男の人。そう、ウキだ。一緒に居た女の人はハジキ。「…思い出した」「ん?お願いしたいことでも思い出したの?」ハルは目をキラキラさせてこちらを見て来る。「私が毎日のように祠の夢を見ていたって話した事あったでしょう?」「んー、そんな話あったかな?最近ずっと寝不足だとは聞いたけど」「覚えてないの?じゃあ、祠の噂は?願いが叶う祠にお願いをしてコトミは先輩と付き合えたんじゃなかった?」「祠?コトミがヒカル先輩と付き合えたのは、元カノに振られてフリーになった時にたくさん話しかけていたからじゃん!」「じゃあじゃあ、ウキとハジキの話をしなかったっけ?願いを叶えてくれる神様が出て来る夢の話なんだけど」「あなたもその夢を見たのですか?」と急に女の人が声をかけて来た。びっくりして声の方を見ると、1人の巫女さんが箒を持って立っていた。「いきなり声をかけてしまいすみません。この神社の巫女をしている者です」と言うと軽く頭を下げた。「巫女さんだー!」とハルは話そっちのけでテンションを上げている。「私、巫女さんこんなに近くで見たのは初めてかも!」「そうでしたか。どうぞお好きにご覧になって下さいね」とほほ笑んでいる。「さっきあなた“も”って言いました?それじゃあ、あなたも夢を見たんですか?」「いいえ。私ではなく私の先祖の話です」「先祖?」「昔この辺りには、どんな願いでも叶えてくれる神様がいたそうです。でもその神様が祭られていた祠は広い森の中。そして小さな祠だったそうで、周りの人はすっかり存在を忘れていたのです。そんな中、その祠が多くの人に知れ渡ったのは夢だったと言うのです」「夢?」「そうです。1人の少女がある日、夢を見たのです。青い着物を着た男の人に“願い事を叶えたいのなら森の祠へおいで”と言われました。最初は何のことだか分らなかった少女でしたが、何度も同じ夢を見るうちに森へ行くことを決めました。森の中で祠を見つけた少女は願い事をします。“母の病気が治りますように”と。医者にもう長くはもたないと言われた少女の母でしたが、願い事をした翌日にはすっかり良くなっていました」「効果抜群じゃん!」とハルは喜んでいる。「医者は奇跡だと言っていたそうですが、少女は願いを叶えてくれる神様のおかげだと気付きます。そこから村中の人に願い事を叶える祠の噂が広まりました。ここまでは良かったのですが、村の人は祠の横にある立て看板を読まずに願い事をするものですから願い事が叶わない人もいたのです」「そこには何が書いてあったんですか?」「“我らはメボウキとメハジキ。誰かの為に願う者の望みを叶えよう”と書いてありました。その文章もよく読まずに村の人間は“自分の願い事”をする為に祠へ訪れました。人間というのは欲深い生き物で自分の思い通りに事が進まないと、信じていたものを攻撃するようになるのです。祠の噂が広まり、しばらくしてから村の少女が神隠しにあいました。これで正当に攻撃する理由が出来たわけですから、村の人たちは揃って祠を壊しに行きました」「そんな…何も悪い事していないんでしょう?しかも祠のせいだって決まったわけでもないし」「因果関係など、どうだって良いのです。1人では動けなかった者も誰かと一緒なら容赦なく攻撃をするようになります。そうして奇妙な一体感を身に付けて、醜く強固な仲間意識が生まれるものなのです。祠を壊してからは誰も祠へ近付かなくなりました。正確には誰も祠へ辿り着けなかったのです。それから夢を見た少女は年老いて、亡くなる直前にこう言い残しました。“私のせいで祠様は傷付いてしまった。出来る事ならば、もう一度花束をお渡ししたい。絶対に私は生まれ変わって、またメボウキ様とメハジキ様に花束と共にありがとうと伝える”と」「なんだか悲しいね」ハルは少し俯いて答える。「すみません。こんなオカルトチックなお話をしてしまって。先祖代々伝わるお話なのでつい…」と巫女さんは寂しそうに笑っている。「良いんです。お話して下さってありがとうございました」そう言うと巫女さんはお邪魔しました、ごゆっくりと言ってその場を離れた。
「全然知らなかったけどここら辺って実はすごい場所なんだねー!不思議なお話も聞けたし巫女さんにも会えたし何だか得しちゃった!」「そうだね」「どうする?お参りして帰る?」また私は上の空で考え事をする。やはり私の記憶違いでは無かった。願い事を叶える祠は存在したのだ。メボウキもメハジキも居たのだ。これからどうしようと悩んでいるとハルが「サキどうしたの?…あ!もしかして全人類の幸せを一緒に願おうか決めかねている?」と笑って聞いてくる。「それも良いかもね」と笑って返す私にハルは言う。「さっきの巫女さんの話が気になっているんでしょう?」「え?」「私はサキから祠の話を聞いたことは無いし、メボウキとメハジキなんて言葉も聞いたことも無いよ。でもね、私の知っているサキはそんな嘘を吐くことはしないんだー!」「ハル…。ありがとう」「幼なじみなんだから当たり前でしょ!」「さすが、何でもお見通しだね」ハルは当然!と笑って決めポーズをした。そして私は今までの夢の話や祠での出来事をハルに全て話した。「…それで、サキはどうしたい?」「え?」「これからどうしたいの?皆が忘れてしまった神様に何かしたいって思っているんじゃない?」「うん。そうかもね。私はまた会いたいかな…」「それなら!良い方法があるよ!」「え、なに?」「たくさん眠ること!ウキは夢に出て来るんでしょう?何回も眠ればいつか会えるよ!」まさにハルらしい答えだ。悩みなんてどこかへ行ってしまいそうになる。「そうだね、ありがとう」「よし!お願い事をしてから森に入って祠でも探してみよう!もしかしたら見つかるかもしれないし、たくさん動いた方が疲れてよく眠れるかもしれないしね!」「うん、行こう!」本殿で手を合わせてから2人で森へ入る。昨日も入った森だが、やはり広すぎてどこに祠があるか見当がつかない。「木ばっかりで全然わからないねー」「そうだね。あ!足元に気を付けて」「ぴぎゃあ!」ハルは木の根っこに気が付かず転んでしまった。「ごめん、言うのが遅かったね」「本当だよー!もう!」と言ってハルは怒りながらも笑っている。その後も色々な場所を歩き回ったが、疲れただけで祠は見つからなかった。「ハル、ありがとう。こんな変な話に付き合ってくれて」「そんなの気にしないでー!私の方がよく変だって言われるから!」「なんでちょっと得意げなの?」「えへへ、そんなに褒めないでよー!」褒めてないよ、と笑い合いながら下山する。
「それじゃあ気を付けてね!夢が見られるといいね!」「ありがとう、じゃあまた学校でね」そう言ってハルと別れる。今日は夢が見られるだろうか。ウキとハジキは無事に会えたのだろうか。気になる事はたくさんある。もし今日ウキが出てこなくても、人間死ぬまで眠るという行為は止めないのだからいつか会えるかもしれない。そう思いながら私は眠りについた。
「ウキ、サキの具合はどうだい?」「元気そうにしているよ。ぐっすり眠っている」「そうか、それなら良かった」「でもね、もう僕はサキの夢に入ることは出来なくなってしまった。それに今まで祠に関わった人たちの記憶がどんどん消えているようだよ」「そうか、それが私への罰なのだろうな。祠の存在を忘れられてしまえば、私たちは消えてしまう。ごめんね、ウキ」「大丈夫だよ、ハジキ。これからは僕がずっとそばにいるじゃないか。たとえ人間に存在を忘れられて消えてしまっても、僕はハジキと一緒にいる今が大切なのだ。ハジキと一緒に居られるならそれだけで良いのだよ」「ありがとう、ウキ」そうしてウキはハジキの頭をふんわりと2回なでた。
ピピピ!ピピピ!
枕元にある目覚まし時計が元気に鳴り響く。しまった、休日だというのにアラームを止めるのを忘れていた。そして私は朝までぐっすりと眠っていた。深く眠っていたおかげで何も夢を見られなかったのは残念だったが、なぜか目覚めはすっきりとしている。さて、何をしよう。早起きは三文の得とはよく耳にするが、いまいちピンと来ない。窓の外を見ると野良猫がこちらを見ていた。おー、かわいい。無意味に散歩に行くのも良いかもしれないな。かわいい野良猫を発見できるかもしれないし。まあ私は断然犬派ですが。トーストをかじりながらメボウキとメハジキという言葉をもう一度検索する。検索でヒットした花の図鑑から花言葉を眺めていく。私は着替えて花屋さんへ向かった。
チリン、とドアにかかっているベルが鳴る。花屋さんなんて滅多に入らないので少し緊張する。店内を見渡すと色とりどりの花が置いてあった。おぉ、私が感心したのは、この花屋さんでは全ての花に花言葉が添えられていたことだった。気になる花を見付けたのでレジへ向かう。チリン、ともう一度ドアのベルを鳴らし私は外へ出る。行き先は神社の森。なぜだか無性に行きたくなった。
「ウキ、誰かが森へ来たようだよ」「へえ、こんな朝から誰だろうね?それにしてもよく分かったね」「ふふ、風が教えてくれたのだ」祠の前でハジキは微笑む。ウキの肩にもたれかかり「ウキ…私たちはいつ消えてしまうのだろうね」と静かに呟く。「いつだろうね。人間に完全に忘れられると消えると聞いたことはあるけれど、実際のところは分からないね。でも心配はいらないよ。僕がそばにいるからね」ウキが首を曲げてハジキの頭に自分の頭を乗せる。「ウキ、忘れられた神様は消えた後にどうなるのだろう?」「ハジキは、神様が消えてしまったらそれでおしまいだと思うかい?」少し考えた後に「わからない」と呟いた。「僕はこう思うのだ。消えてしまった神様は何にだってなれるのではないかな?と」「何にだって?」「そう、何にだって。もう一度神様になれるかもしれないし、今度は人間かもしれない。もしかしたら、ハジキの好きなタンポポやシロツメクサかもしれないよ」「そうか、そういうのも悪くはないな」と話していると、どこからか音が聞こえた。
ガサガサ
「見つけた」私の目に映ったのは、夢の中に出て来た祠だった。やっと見つけた。昨日もここを通ったはずだけれど見逃していたのだろうか?この際、そんな事はどうでも良い。これは絶対に夢に出て来た祠だと、根拠もないのに脳が自動的に確信していた。「サキじゃないか!」「どうしてここへ辿り着けたのだろう」ウキとハジキが目を丸くしてサキを見る。祠の前に2人が居るというのに、サキの目には祠しか映っていない。サキは祠に近付き話しかけた。
「ウキ、ハジキ。私のお願いはちゃんと叶ったかな?ハジキはどんな願い事でも叶えてくれるんだから、きっと大丈夫だよね?」「叶っているとも!全てサキのお陰だ!」ハジキが大きな声でサキにお礼を言う。「ハジキ、サキには僕たちの姿は見えていないし声も聞こえてはいないよ」「それでも良いのだ。言わずにいられないのだよ…」ハジキは少し悲しそうにサキを見続ける。「あとね、なぜだか分からないけれど祠の事を知っていた友達が祠の事を全て忘れていたんだ。私がおかしくなっちゃったのかと思ったよ」サキは笑っている。「でもね、祠はあった。記憶からは消えても私はメモに残していたから思い出せたよ。ウキが忘れないでって言ってくれたからだね」そして、サキが祠に花束を置いた。「見て!花束だ!」ハジキは表情をパッと明るくして花束を抱き締める。「最初に花束をくれた女の子と同じ名前のサキから花束を貰うなんて、これも何かのご縁かもしれないね」「きっとサキはあの子の生まれ変わりなのだよ」と言って2人はサキを見つめる。
「それにしても、とっても綺麗な花束だね」「本当に。なんだか花びらが星のような形をしているね!」「何と言う花なのだろう?」2人の声は聞こえていないはずなのだが、タイミング良くサキが話し始める。
「その花はアングレカム。花言葉は“祈り”と“いつまでもあなたと一緒に”だよ」祠の前で目を閉じて手を合わせると、ウキとハジキが幸せそうに笑う姿が見えた。