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068 パン屋の匂い

 ハティは前学院長たちから押収した魔道具から王都近くにあるパン屋のパンの匂いがすると言う。

 しかし、ハティは食べたことがないと言う。


「どういうことだ?」

「主さまと一緒に王都に来たとき、このパンの匂いがしていたのじゃ」

「……そうなのか」


 俺と一緒に王都に来たときといえば、衛兵に絡まれたときだ。

 その後、皇太子の馬車に乗せてもらって、俺とハティは王都に入った。


「主さまが衛兵ともめていたとき、いい匂いがしていたのじゃ」

「俺は気付かなかったな」

「ハティは鼻が良いのじゃあ」


 どや顔のハティは、パタパタ飛びながら尻尾を振っている。


「そうか。食べたこともないのにわかるとは、ハティは本当に凄いな」

 俺はハティの頭を優しく撫でた。


「えへへへ」

 ハティは嬉しそうに照れていた。


「とりあえず、そのパン屋に向かうか」

「こっそり、行くのじゃ」


 俺はいつもより粗末な服を身につける。

 今は冬なので、防寒も考えて少し厚着にした。


「ハティは目立たないように服の中に入っていてくれ」

「わかったのじゃ」


 ハティはもぞもぞと俺の服の中へと入っていった。

 少し腹の辺りがふくれるが、さほど目立たないだろう。


 準備を終えてから俺とハティは研究所をこっそりと出る。

 辺境伯家の使用人にも見つからないように、裏口から出ると歩いて行った。

 周囲を警戒しつつ、気配を消して目立たないように進んで行く。


 夜の空は分厚い雪雲に覆われて、月も星も見えない。

 日が沈んでから降り始めた雪は、徐々に激しくなっているようだった。


「雪が降っていると、フードをかぶっても目立たないからいいな」


 俺はフードを深くかぶって歩いて行った。

 雪の降る夜道は寒いが、ハティは暖かかった。


 目立たないように走らずに歩いているので、時間がかかる。

 一時間後、王都の門の近くに到着した。

 夜だというのに、門には衛兵がしっかりと立っている。

 衛兵の顔ぶれは全て変わっているようだった。

 皇太子の侍従が動いて、問題があった衛兵たちは処分されたのだろう。


 俺は近くの建物の陰に身を潜める。

 鼻で空気の匂いを嗅ぐ。

 俺の鼻では全くパンの匂いを感じ取ることはできなかった。


「ハティ。例のパンの匂いはするか?」


 俺は小声で尋ねる。

 ハティは俺の服の胸の辺りから、鼻だけを出す。


「……するのじゃ」


 ハティはとても小さな声で返事をしてくれる。


「俺にはわからないから、案内してくれ」

「任せるのじゃ。えっと風が……あっちだから……」


 ハティは鼻をヒクヒクさせる。


「主さま。通りに出てあの変な形の看板を右に曲がるのじゃ」

「……わかった。なるべく見つからないよう返事を少なめにして歩くから、そのまま道案内してくれ」

「…………」


 ハティもこくりと頷く。


 俺はハティの指示通り歩いて行く。


「……もうすこしでみぎなのじゃ」

「…………」

「そこ」

「…………」

「……しばらくまっすぐなのじゃ」

「…………」

「もうすこしでひだりじゃ」

「…………」

「そこ」


 ハティは必要最低限の言葉だけで道案内してくれる。

 俺は返事をせずに、指示通りに歩いて行った。

 近づいているはずだが、俺の鼻では、まだパンの匂いを感じ取ることが出来ない。


 今は夜。パンが焼かれているわけではない。

 それゆえ、漂ってくる匂い自体が少ないはずだ。

 それでも、ハティは迷わずに進んでいく。


 ハティに従って、十分ぐらい歩いた。

 もう既に門の近くとも言えないぐらいである。


「…………もうちかいのじゃ」

「…………」


 だが、俺にはまだ匂いがわからない。

 それほどかすかな匂いをハティは嗅ぎわけてくれているらしい。


「……この建物なのじゃ」

「…………酒場だな」


 ハティがパンの匂いがすると言ったのは、パン屋ではなかった。

 あまり繁盛しているわけではなさそうな、汚い酒場だ。

 繁盛していないと言っても、中からはかすかに歓談の声が聞こえてくる。

 昼間はパンを売り、夜は酒場として営業しているのかもしれない。


「中に客としてはいる。ハティは大人しくしていてくれ」

「…………」


 ハティは鼻を俺の服の中に引っ込める。

 服の中でハティがこくこくと頷いているのが、感じ取れた。


「ありがとう。なにかあればお腹あたりをつねってくれ」

「…………」


 そして俺は酒場に、一人の客として入った。

 扉を開けたとき、やっとかすかにパンの匂いを俺も嗅ぎ取ることが出来た。

 さすがはハティである。

 これほどかすかなパンの匂いを遠くから嗅ぎ分けていたのだから。


「…………」

 俺は無言で服の上からハティをポンポンと優しく叩く。


 酒場の中には、カウンターがありその向こうに店主らしき男と給仕がいる。

 そして、カウンター席に三人の客がいた。

 俺が入ると、全員の目が俺に向く。


「やってるかい?」

「ああ。兄さん見ない顔だね」

「田舎から、王都に最近出てきたばかりなんだ」

「……そうかい。席は空いているところに好きに座ってくれ」


 俺は服に付いていた雪を払い、フードをとった。

 そうしてから、近くにある空いているテーブル席に無造作に座る。

 こういうときには入り口が見える席、奥がよく見える席、全体が見渡せる席などに座りたくなる。

 だからこそ、無造作に座るのだ。

 あくまでも、一般客として振る舞うためだ。


「で、兄ちゃん。どうする?」

「適当につまみと酒を」

「ああ、了解。この店は先払いなんだが、かまわないかい?」

「もちろんだ」


 こういう庶民向けの店はそれが基本である。

 客のことを信用していないのだ。

 実際、後払いでいいとなれば、一文無しが集まってくるだろう。


 給仕が俺の席に金を受け取りにやってくる。


「これで足りるかい?」


 その給仕に俺は銅貨を数枚手渡した。


「ん、充分」


 給仕は大人しそうな少女だった。

 髪がボサボサで、顔も汚れている。風呂にも数ヶ月入っていなさそうな汚れぶりだ。

 食事を提供する店の給仕としては、さすがに汚すぎである。


 店の奥に向かう給仕の背を見守っていると、ハティが俺のお腹をつねってきた。

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