169 実家へ
ロッテはまっすぐ俺の目を見て言う。
「お師さま。私はおばあさまに頼まれました。万一の時は頼むと」
「そうか。ありがとう」
「……私も戦う」
コラリーは言葉少なに、だが力強く言った。
「そうか、コラリーもありがとう。ユルングは……」
「りゃむ」
「大王、ユルングをお願いできますか?」
「ん? 朕も行くつもりだが?」
「え?」
「え? ではない。万一のことがあらば、古竜とてただでは済むまい。それに古竜の君主には古竜の君主の義務がある」
大王が同行してくれるならば、断る理由はない。
「ありがとうございます。心強いです」
「うむ」
「問題はユルングを……」
「リャ!」
俺はユルングを戦場に連れて行くのはどうかと思うのだ。
だが、ユルングは絶対に離れないと意思表示するかのように、俺にしがみついている。
「グイド猊下。ユルングをよろしくお願いいたします」
「……うむ」
俺はしがみつくユルングを引き離して、グイド猊下に手渡した。
「リャ! リャ!」
「ユルング。いい子にしているんだよ」
「リャアアアアアアア!」
ユルングは悲鳴に近い泣き声をあげて、俺に向かって両手を伸ばす。
「なるべく早く戻ってくるからね」
「りゃあああああああっ!」
これが今生の別れであるかのように、ユルングは泣きわめく。
俺も離れがたく思うが、連れて行くわけにはいかないのだ。
「ユルング、いい子で待っているんだよ」
俺はユルングを優しく撫でる。
その間に、ロッテたちは素早く準備を進めていく。
俺も防寒具を身につけ、剣を魔法の鞄に入れた。
五分後、ロッテたちの準備が終わる。
ユルングと、ユルングを抱くグイド猊下に見送られ、俺たちは辺境伯領に向けて出発した。
「リャアアアアアアアァァァァァ!」
最後まで、ユルングは泣いていた。
俺たちの少し前を先導しながら飛んでいる大王が呟く。
「何というか……胸が苦しくなるな」
全くの同感だ。
「はい。なるべく早く帰れたら良いのですが」
「たまには親から離れて過ごすのも、古竜の赤子の成長にとっては必要ではあるのだが……」
「そうなのですか?」
「うむ。古竜は親にべったりであるゆえな。……古竜の竜生は長い。一頭でも生きていけなければならぬ。親はいつ死ぬかわからぬのだ」
「そうですね」
「朕も、これほど早く母が死ぬとは思わなかったのだ、ユルングは……本当に可哀想だ」
大王とユルングの親である前大王は死んでしまった。
古竜の寿命から見れば、極めて早逝といっていいだろう。
「ちなみにハティの場合は十歳ぐらいで三日ほど朕が離れた」
「覚えているのじゃ。ハティは賢くて成長の早い子だったゆえ聞き分けがよかったのじゃが……ユルングは、まだ赤ちゃんだから仕方ないのじゃ」
「いや? 今のユルングに負けないぐらい泣きわめき、泣きわめきすぎて、大小便をもら――」
「父ちゃん! そんなことはどうでもいいことなのじゃ!」
ハティがかわいそうなので聞かなかったことにした。
「古竜の赤子にとって、親からしばらく離れることが成長につながると聞いて少し楽になりました」
「そうであるな。今、王宮には古竜が多く集まっておるし、ユルングも交友を広げる良い機会であろう」
「……寂しい」
そういってコラリーは、俺のお腹のいつもユルングが抱きついている場所を撫でる。
「そうだな、寂しいな」
「ユルングにお土産を持っていってあげましょうね」
ロッテもどこか寂しそうに言った。
辺境伯領へ飛んでいる間、みな、ユルングのことを考えているようだった。
古竜の王宮からラインフェルデン皇国の国境沿いにある辺境伯領はそれなりに遠い。
だが、ハティの背中に乗れば、そう時間はかからない。
いつものように結界発生装置で作った結界に包まれて、ハティと大王は高速で飛んでいく。
もう少しで辺境伯領に到着すると言うとき、ハティが言った。
「主さま、主さま! あれが侵攻しているガラテア帝国軍かや?」
「ん?」
ハティに言われて下を見る。
たしかに沢山の兵隊が歩いていた。
「恐らくそうだな。二万、いや三万ぐらいか?」
全てが戦闘員ではないだろうし、そもそも、多いので正確な数の把握は難しい。
「三万って多いのかや?」
「多いな。この規模の侵攻はここ十年はなかったからな」
「……上から炎でも吐くかや?」
もしハティが攻撃を仕掛けてくれるなら、実家は大いに助かるだろう。
「必要ないよ。ありがとうハティ」
「古竜が人族の争いに手を出すのは、あまり良いことではないゆえな」
大王の言うとおりだ。
古竜は強すぎる。特に対軍隊となれば、数十万の兵に匹敵するだろう。
だからこそ、協力を仰ぐのは慎重になるべきなのだ。
「わかったのじゃ」
「とはいえだ。今回は特別だ。ユルングに対する報復をおこなわねばならぬ」
何の罪もない王族、それも赤子をさらって、拷問に等しいひどい目に遭わせたのだ。
人族の国同士であっても、報復で戦争を仕掛けられても文句は言えない。
「ヴェルナー卿。古竜の君主の数少ない義務なのだ。古竜が不当に傷付けられた場合、報復するというのがな」
「なるほど、理解しました」
「だが、まあ、一応、ヴェルナー卿のお父上にお伺いを立ててからの方が良かろうな」
「配慮感謝いたします」
きっと、父にも父の都合があるに違いないのだ。
ガラテア軍のはるか上空を通過してしばらく経つと、辺境伯家の城が見えていた。





