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 夏で、夜で、信じられないほど雨が降っていた。


 うらぶれた町のうらぶれた池には、いつものとおり人影なんて二人分もあれば十分で、灯りなんて一人分もない。

 しん、と静まり返るには空から降り落ちる滴が煩わしすぎたけれど、宵の闇はそんなことなどまるで気にしてみせやしない。ずっとずっと昔の、自分の手のひらのことだってわからなくなってしまうような本物の夜が、ようやく長い眠りから覚めてきたようにあたりを覆っていた。


 蝉の声すら聞こえない。

 見放された夏の夜。


 見放された、男と女が一人ずつ。


 男の目には、女の姿だけが、くっきりと、真っ黒な闇の中に浮かび上がるように映り込んでいた。


 真っ白な肌は存在しない月明かりのように滑らかだった。

 真っ赤な髪は存在しない星明かりのように輝いていた。


 そして、池の淵に腰かけた彼女の下半身は。

 人のそれのように二股に分かれることはなく。

 ただ一筋の線として、水の中に揺れ、雨降る水面に波紋を加えている。


 それは、尾の長い魚のように、長く、しなやかに。

 あるいは、尾の長い魚そのものであるかのように、長く、しなやかに。


「食ってみろ」


 その女が、口を開いた。

 雨よりも静かな声で。

 風よりもはっきりとした声で。


 右の手には、銀にきらめく剃刀が握られている。

 男はそれに、見覚えがあった。


 彼女はそれを厭いもなく、自分の柔らかな腹に押し当てる。

 ぷつり、と皮を裂いて、真っ赤な血の珠がぷっくりと浮かび。

 ざあざあ降りに、瞬きも待たずに滲まされて。


 どう見たって痛いだろうに、女はそんな素振りを毛ほども見せないまま、雨の夜に不釣り合いなほど美しく、まだ名前のない星が光り輝くように微笑んで、


 こんなことを、言った。


「死ぬほど美味いぞ」



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