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ブランコは、ゆれるだけ

作者: 京本葉一



 ブランコがゆれている。

 ギィ、ギィ、と、ゆるやかなリズムで。


 金属の、こすれあう音が浸みわたる、薄暗い、夜の児童公園。


 夜中にここを訪れるのは、私だけだ。

 静謐なひとときを求めて、私は、この場所にたどりついた。





 子どもの頃から、人の多い場所が苦手だった。

 映画館ならまだいいが、遊園地やお祭りなど、大勢の人間が集まって騒いでいる場所からは、足が遠ざかる。

 人は少ないほうがいい。

 できればひとりが好ましい。


 当然、人付き合いも良くはない。

 カラオケや飲み会なども、参加することはまずない。

 私がやってこれたのは、周囲に恵まれていたおかげだろう。


 要領もそれほど悪くはないため、仕事もとくに問題はないものの、それでも、どうしたって、ストレスは感じる。

 人の多い場所が苦手なのではなく、人が苦手なのだと考えるていどには。

 そういうとき、私は静けさをもとめる。





 マンションでは、周囲の生活音が気にかかる。

 騒音といえるものではないが、私がもとめる静けさは、部屋にはなかった。

 だから私は、夜道を歩いて、公園にむかう。


 私としても、誰ものっていないブランコがゆれていれば、不思議におもう。


 どういった現象なのかと考えもした。

 投稿された動画を確認したり、公園にまつわる情報を集めたりもした。


 しかし、不思議な現象が起こったぐらいで、絶対に近づいてはいけない場所だとか、確実に呪われる公園などと評するのは、どうかとおもう。

 無責任な噂話ほど当てにならないものはない。

 なにかがいるのは、事実だとしても。


 ベンチに腰を落ちつけて、静かに過ごすだけならば、なにもおこらない。


 耳をすませば、ギィ、ギィ、と、音が聞こえる。

 ゆるやかなリズムで、金属の、こすれあう音が浸みわたる。

 薄暗い公園と、私の身体に。





 いまのマンションに引っ越して、二年ほど経過している。


 児童公園があることは知っていた。

 夕刻、低年齢の子どもたちが、遊んでいる姿を見たこともあった。

 年代物の遊具が、撤去されることなく活躍している。

 私には、そのていどの関心しかなかった。


 見る目が変わったのは、夜の公園で起きた、事件を知ったときだ。


 中学生の少年たちが、鋭利な刃物で切りつけられた事件。

 通り魔の犯行が疑われた。


 報道があって、子どもたちの姿は消えた。


 しばらく時が過ぎたころ、私は思いいたった。

 事件がおこった夜の公園ならば、人が近づくことはないだろうと。


 間違いではなかった。

 夜の公園に近づくのは、たしかに私だけだ。

 ただしそれは、報道されない問題が、つづいたせいだった。





 夜中に、公園で騒いでいる少年たちがいた。

 このあたりに住んでいる子どもではなかったようだ。


 物騒な叫び声と、馬鹿笑い。

 近隣住民の睡眠を妨げるほどの、まぎれもない騒音だったらしい。

 それが不自然に途絶えた。

 悲鳴に変わった。

 

 通報を受けた警察官が駆けつけたとき、十四歳の少年、三名が、意識を失い倒れていた。

 血のついたナイフが、すぐそばに落ちていたという。


 凶器となったナイフは、被害者の所持品であった。

 三名とも軽傷であるが、混乱しており、まともな供述を得られていない。

 現場付近の防犯カメラにも、不審な人物は映っていなかった。


 私は報道された内容しか知らなかった。仲間内でトラブルでもあったのだろうと考えていたのだが、まともではないという供述を、被害者本人から聞くことのできた少年少女たちには、事件の様相が、まったく違ったものに見えていたようだ。


 なにかを撮影しようとした中高生たちが、夜中に事件現場をおとずれた。





 投稿された動画には、撮影者たちの声も入っていた。

 公園を知る地域住民ならば、彼らがどこにいるのか、なんの事件について話しをしているのかは、すぐにわかる。

 

 五人の中高生たちは、肝試しをしていたようだ。

 通り魔があらわれるとは考えていない。

 心霊現象が起こると、期待していたのかはわからない。


 風もないのに、ブランコがゆれはじめる。


 撮影者たちの雰囲気も変わった。あきらかに不自然な現象を前にして、少女ふたりが逃げ腰になった。三人の少年たちは、威勢のよい声をあげる。ブランコに近づいたりはしないが、撮影は続けていた。


 ブランコの動きが、だんだん大きく、勢いを増していく。


 少年たちは黙っていた。

 ひとりの少女が泣きはじめた。

 帰ろうよ、と、泣きながら訴えている。


 ブランコの動きが、だんだん小さくなっていく。


 なんだよ、これだけかよ。

 少年たちの揶揄する声がきこえる。


 帰ろうと訴え、泣いていた少女と、もうひとりの少女が、同時に悲鳴をあげた。


 逃げ出す少女たち。

 追いかける少年たち。

 公園を出て、しばらく走ったところで、止まった。

 撮影者が問いただしたが、少女たちは答えられなかった。

 ふたりとも、声が出せなくなっていた。


 映像はここで途切れた。

 私が観たものは拡散された複製動画であり、オリジナルの投稿動画はすでに削除されている。


 やらせだのなんだのと、当初は、いろいろと騒がれていたらしい。

 撮影者たちの個人情報までさらされている。


 そのうちのひとり、泣いていた少女が素顔をさらして、動画を投稿していた。


 あれから三日後に、声が出るようになったという。

 もうひとりの少女も、問題ないらしい。

 あのとき彼女たちが悲鳴をあげたのは、声が聞こえたからだという。


 うるさい。


 女の子のささやく声が、耳もとで、はっきりと聞こえたそうだ。


 いっしょにいた少年のうち、ひとりは交通事故にあって入院中。

 ひとりは原因不明の発熱がつづいている。

 動画を投稿した少年は、転居したらしく、連絡がとれないそうだ。


 



 夜の公園で肝試しをおこなう若者は、何人もいたようだ。その結果、絶対に近づいてはいけない場所だとか、確実に呪われる公園などと評されている。


 なにかがいるのは事実だろうが、噂など、まったく当てにはならない。


 公園がある土地には、四十年以上前、名の知れた資産家の暮らす、家があった。

 あの土地は、死去した資産家が、市に贈与したものだった。


 遺産をつかい、子どもたちが楽しく遊べる公園をつくってほしい。


 遺言に従い、遊具のある、児童公園が完成する。

 地域住民に愛される場所であったのは、間違いなかった。

 少子化の時代となり、外で遊ぶ子どもの数は減っても。


 事件が起こるまで、悪霊や呪いといったマイナスイメージとは、縁遠い土地であったのだ。


 私には、公園にいるなにかが、守り神のような存在におもえる。

 呪いをふりまいているのは、人間のほうではないのかと、おもえるのだ。





 どうやら警察は、事件ではなく、事故であると判断したようだ。


 通り魔など存在しなかった。

 にもかかわらず、公園に子どもの姿はない。

 不審な人物を目撃したという、噂が流れているらしい。

 近隣住民の不安は晴れておらず、いつの間にか、古い遊具は危険である、という声が大きくなっている。


 噂など、まったく当てにならないというのに。


 人は不安を感じ、不安に流されて生きている。

 だからこそ、不安を増大させる人物に、簡単に騙されてしまうのだろう。


 私は自分の意見が絶対に正しいとはいわない。ただし、あの公園にいるなにかが地縛霊であるという、自称霊能力者のコメントには賛同できない。


 地縛霊とは、土地に縛られた存在のはずだ。

 土地から動けない存在が、私のマンションにやってくるはずがない。

 ゆえに、地縛霊などではない。





 夜の児童公園で、ベンチに座り、静かな時を過ごしていると、気配を感じた。

 隣りになにかがいる。

 姿はみえない。

 しかし、なにかがいるような気がした。

 ブランコがゆれる、いつもの音も聞こえない。


 子どもたちが遊びにあらわれず、寂しい想いをしているのではないか。

 退屈しているのではないのか。


 そんなことを考えた私は、次の夜も、児童公園を訪れた。

 携帯用のゲーム機をもって。


 ベンチに座り、となりにゲーム機を置いた。

 公園の守り神のような存在が、このようなものを喜ぶかはわからなかったが、こちらの気持ちが伝わればそれでよいとおもった。

 難しいことは考えないようにして、静かな時を過ごす。


 ギィ、ギィ、と、金属のこすれあう音が聞こえる。


 いつの間にか、ゲーム機は消えていた。

 まったく姿は見えないが、ブランコに座っているのだろう。

 ゲーム機を手にして。



10



 ベッドで目覚めると、渡したはずの携帯用ゲーム機が、枕もとに置かれていた。

 いらないから返すということだろうか、とも考えたが、電力がなくなっていた。

 電力を消費して、ふつうに遊んだらしい。

 充電した。

 充電しながら確認すると、ダウンロードした、昔懐かしいRPGゲームをプレイしたのがわかる。

 私のセーブデータが消えていた。

 ゲームの仕様上、それは仕方ない。

 そのゲームにおける、一番消してほしくないデータだったけれども。



11



 姿は見えない。

 ゲーム機も見えなくなる。

 声も聞こえない。

 ゲームサウンドも聞こえない。

 ただし、それは携帯しているときにかぎられる。

 コンセントにつながっていると、消せないらしい。


 姿を見せてはいけないルールでもあるのか、私がいると、充電しながらのプレイはできないようだ。


 私がいなければ充電しながら遊んでいる。

 夜中にトイレに起きたとき、充電中のゲーム機が稼働しており、ポーズ状態の画面でとまっている。



12



 公園の守り神は、おそらく、マンションに引きこもっている。


 一昨日、ゲーム機が枕もとに置かれていた。意図がわからなかったが、とりあえずプレイ状況を確認すると、ダウンロードしたRPGゲームはすべて攻略済みだった。レベルは当たり前のようにカンスト。レアアイテムもそろっている。攻略情報もなしに、よくぞここまでといえる出来であった。


 自慢だろうか。

 姿は見えないが、功績を讃えよと訴えているのだろうか。

 声も聞こえないため、要望がわからない。


 RPG以外のゲームは機体内に残っていたが、とりあえず、収納スペースの奥のほうにあったゲームソフトを引っぱり出しておいた。



13



 静謐なひとときを求めて、夜の児童公園を訪れる。


 ベンチに座って、静かに時を過ごす。

 ブランコが揺れはじめて、ついてきていることを知る。


 それでいいのかと思わないでもないけれど、新しいゲーム機を買おうかと思わないこともない。二十四時間年中無休でプレイできそうな存在(ゲーマー)に、オンラインゲームを提供したらどうなるのだろう、と考えないこともない。


 ゆるやかなリズムに耳を傾ける。

 ブランコを揺らしている、守り神の姿を想像すると、愉快な気分になってくる。

 ゲームに夢中になっていた、子どもの頃の記憶がよみがえる。


 自分もまた、ゲームに時間を費やしてみようか。

 そんなことを考えながら、私は、沈黙の時間を過ごしていた。

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