貴方が残した呪い
不老不死の魔女が唯一死ぬ方法、それは魔法による死のみである。
これは不老不死の魔女と、棄てられた子供の物語
(貴方が永遠に生き永らえるとして)
こんな仮定は現実的に意味のないことなのはよくわかっている。
けれど私はそうなのだ。
老いもしない、死にもしない、傷も1日あれば治る私が心に深く深く刻み込まれたこの傷を。
どうして貴方は置いて逝ってしまったのだろうか。
「ねえナナシ?貴方は私を1人にしないんじゃなかったの?」
墓標の前小さく呟いた言葉は悲しく空へと吸い込まれていく。
嗚呼一層のこと死ねたなら
嗚呼私がこんな生き物じゃなければ
嘆く声もやがて空に吸い込まれていき…そして私は1人になった。
【貴方が遺した呪い】
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それはとある町のとあるスラム街で出会った少年だった。
衣服はボロボロに破れ、身体中傷だらけで片目からドロリと血の流れている少年を見つけた。
「どうしたの?」
たまたまのことだった。
いつもなら森の奥深くにある自宅から出てくることなんてそうなかったはずなのに、今日はたまたま必要なものがあって森を降りただけ。
そんな偶々が出会いのきっかけとなったのだ。
『棄てられた。』
小さく呟く少年の声はか細くて、それでいて掠れ掠れで聞こえづらい。
きっと痛みと悲しみで泣き続けたのだろう、もう声はガラガラでとてもじゃないけれど聴き取ることは至難の業になっていた。
「あんたの声聞きづらいわ。
字…書ける?」
そういうと少年はコクリと頷き地面に流れた血で字を書いた。
『棄てられて、ナワバリを荒らしたって殴られた』
本当に人というものは愚かとしか言いようがない。
同じ生き物同士なのに争うし、自分を守る為なら他人なんてどうでもいい種族。
けれど時に美しい姿を見せるこの人間という生き物は本当に不思議で、森の奥に住む私にも少しだけ興味があった。
それに今日の天気は雪だ。
だから私の気分も良くてなんとなく、本当になんとなく少年にこう言った。
「ついておいで、今日は気分がいいから治してあげる。」
そう言って少年の手を引くと私は森の奥深くに戻り少年の治療を行った。
汚れを落とし、薬を塗り、服を着せる。
そして難題のその目をどうしようかと考える。
どうせだ、この前作ったアレをつけてみようか。
「今から抉られた時より痛いけれど我慢できるかしら?」
そう少年に言うとコクっと頷いたので私は机の隅に置いた箱から緑の宝石を取り出し実験用に作った義眼に埋め込むと彼の目を無理やり開かせグリっと押し込んだ。
叫ぶ声も出ない少年は大きくのたうち回り、何度か嗚咽を繰り返した後大きく赤黒い血の塊を吐き出した。
身体に合えばそれは力となる。
しかし
合わなければ毒となり呪いになる。
それが私たち魔女の作る道具なのだ。
当然肉体に入れれば反作用も起き身体が拒絶を起こす。
「乗り越えなさい、悔しいでしょう?
捨てたやつ、傷つけたやつを見返したいと思うなら乗り越えなさい。」
酷なことはわかっている。
だけれど可能性があるのだ。
手を繋いだ時にわかった、この子はコッチの世界に来れる才能がある。
魔女と呼ばれる私を殺せる可能性があるのだ。
この退屈な人生を終わらせるためにも彼には生きてもらわないと困る。
私も必死に調合した治療薬を頭から被せながら新しくまた調合を繰り返す。
そうして二刻ほど過ぎた頃、彼は息を切らしながらこてんと眠りについた。
「もう大丈夫そうね。」
すやすやと眠る寝顔は年相応の子供らしさを滲ませていて微笑ましくなって私は隣で眠りについた。
いつぶりかの温もりが心地よくて私は彼をぎゅっと抱きしめて眠った。
いつかこの子が私を解放してくれると信じて。
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そしてあの日から10年が過ぎた。
小さな童だった彼も背が伸びかっこよくなった。
『ナタリア様、新しい術式のレポートができました。』
「うん、ありがとうナナシ。」
彼のことを私はナナシと呼ぶことにした。
名前を教えてくれないかと聞いたけれど、
「捨てられた時に名前も捨てたことにしたい、名前をつけてください」とお願いされて悩みに悩んでナナシとつけた。
本当はつけたい名前もあったけれど、魔女が名付けたとなるといつか彼が世間に戻るとき邪魔になるし迫害の対象になりかねないからだ。
「ってまた炎系統なの?私氷系統が得意だからあんまり得意じゃないのよね炎…。」
『仕方がないではないですか、私に適性があったのが炎ですので。』
「ふーん…いつかあんたに焼き殺されやしないかってヒヤヒヤするわね。」
知っている。
彼が炎系統が得意なのはきっとあの日手を握った時に感じた希望が現実に近い付いて来てるということで、私はそれが少し楽しみでもあり、それと同時に悲しく怖い。
10年という月日で彼は私を殺すためでなく、私のパートナーという立ち位置になって来ていたからだ。
『ないですね、何度も言ってますが私はナタリア様に感謝をしておりますし心の底から愛してるのです。
殺されることは許容できても殺すことは有り得ません。』
「はいはい、私くらい長生きしてからそのセリフは言いなさいって何度も言ってるでしょう?」
そして何より彼から好意を寄せられるようになったことがまた辛かった。
いずれ彼は私を殺すことができるのだろうか?
私から殺そうとすれば人の本能で自衛しようと攻撃してくれるだろうか?
けれど…この好意は心地よくて私を根っこからジワジワとダメにして行ってる気がしてたまに突き放すけど、そんな時は決まって捨て猫のような目でこちらを見てくるからどうしても突き放しきれない。
『ナタリア様、そういえば髪伸びましたね。』
「そう?あんたと会った頃が短かったからね…そう考えると長いのかな。」
自分の髪を手に取りくるくる指に巻きつけて遊んでいるとその手を掴んで止められ
『そうだ、今夜は集会の日でしょう?
髪整えてあげますよ。』
「あ、お願いね。」
そう言われトンっと肩を押され座らされると、彼の手がゆっくりと髪をとかし整えた後に綺麗に編み込んでくれる。
いつの間にか集会に行く日はこれが日課となっていた。
拾って一年後くらいに突然覚えたことを見せたかったのが私を座らせかみをむすんだのだ。
とは行ってもその頃はまだ髪も短くアレンジも効かない頃だったのでただセットしただけだったけれど、幼い彼の手が必死に整えてくれるのを見ていると…なんだか母性がくすぐられたのを覚えている。
『髪が長くなると編み込みとか大変ですね。』
「切ろうか?別に私はショートでもいいし。」
『意地悪ですねナタリア様は。』
「そう?」
そう言って二人でクスクス笑い合う。
それに彼の前では素直なままで居られる…というか素直でいるしかない。
彼の目に埋め込んだ義眼はもちろん魔法具でありエメラルドの効力通り未来を見通すその力は嘘をついても結局気づかれて居て変に気を使われる羽目になる。
それだけはどうしても主人としての威厳を保つためには避けたいので素直に、だけど上から行くことでなんとか体裁を保って居た。
『できましたよ、そろそろ出ましょう今宵は雨が降るようです。』
「雨?雨ねぇ…濡れるのは嫌だからもう出ようか。」
世間のイメージ通りの黒のローブを着て魔女帽を被り、杖を持つと彼が外で待っている。
そっと手を差し伸べると手を優しく繋がれて月明かりの森を歩き始める。
暗く前の見えない森を彼がそっと炎を灯したランタンで照らしながら歩いて行く。
こんな日が私にも来るなんて思ってもいなかったからか前までは億劫だった魔女集会が気付けば私は楽しみになっていて、いつか彼に殺される日まではこうして小さな幸せに浸らせてもらおうと心に決めて私は先のほとんど見えない道を彼と歩いたのだった。
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そこからまた30年ほどがたった。
彼はシワと白髪が増え、声もぐっと低くなっていた。
「歳をとったわねナナシも。」
『まあ今年で48ですからね…。』
「羨ましいわ…私も人のように生きれたら幸せなのに。」
『聞き捨てならないですねナタリア様…私というものがいるというのに幸せではないと?』
「何言ってるの?」
『40年近くあなたを好きと言い続けて、全てに寄り添っている者がいるというのは、人間世界で言えば幸せなことなのですよ?』
「…それもそうね。」
『でしょう?あ、そこの薬草とってください。』
「ん。まあでもナナシは旦那ではないし、私より早く死ぬからねぇ…」
『そうですね…ただ、あなたを殺すという命令を聞けば私の方が長く生きられますよ。』
「へぇ…永遠に生きながらえる愛する人を殺して自分も死ぬというの?
本でも書けそうね。」
『生憎ですが私にそのような猟奇的な思想はございません。
拾われた時より私の命はナタリア様のものですから。』
「まだそんなこと言ってるのね…いいのよ?私から離れて何処へでも行って構わないわよ?
ナナシならどこででも一人で生きていけるし、誰か妻を娶って静かに暮らすことだってできるわよ?」
『そうは言われましてもねぇ…そんなことしたらナタリア様がシクシク夜泣きされて朝は起きずズボラな生活をして…きっと3日もあれば私が恋しくて連れ戻しに来そうなのでやめておきますよ。』
「なによ…生意気ね、私が何年一人で生きてきたと思ってるの?」
『お幾つかは知りませんが、この生活が案外気に入ってこういうのも悪くないなと思っていることは“眼”で見れば一目瞭然ですよ。』
「ホント…嫌な奴。」
『…安心してください、この薬ができたら……ナタリア様に一生お仕えしますからもう少し待ってくださいね。』
「っ……き、期待しないで待ってるわ。」
『えぇ…期待しないでください、ナタリア様より頭の悪い私がナタリア様で作れないものは作れると思いませんから。』
「それもそうね…」
『だけど…あなたを置いて逝けませんから…。』
そう言って悲しく微笑む彼はきっとその目に未来が見えているのかもしれない。
私と共に逝くことなんてできやしないという未来を。
こればかりは“眼”なんてなくてもわかるけれど、だけど期待してしまう。
ナナシならもしかしたら…と。
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80歳を迎えたあたりから彼は一気に身体が悪くなった。
眼もほとんど見えなくなって、起き上がることも大変そうになった。
「ほら、今日はたべられそう?」
『えぇ…申し訳ありませんお手を煩わせてしまって…』
「いいわよ、ナナシには何十年もお世話してもらったしね。」
喉も弱り声も掠れ、手も目元もシワだらけになった彼を見るとつくづく別の生き物であることが私の心の中に深々と傷を刻み込む。
こんなことになるとわかっていたはずなのにどうしてこんなに感情移入してしまっているのだろうか?
…多分私は人生で初めての恋を彼にしたからなのだろう。
たかだか100年も生きられない人に恋をしたらこうなるなんてわかっていたはずなのに…。
「大人しくしてなさいね、もう歳なんだから。」
『はい…。』
そう言って横になった彼を置いて部屋を出ると私は彼の研究部屋に入った。
彼の研究は引き継いで、私が今度は薬の研究を始めた。
彼が元気になった時に少しでも発展してるようにという建前で作り始めたが、本音は違う。
彼ともっといたい気持ちが私の中で強くなったから一度は挫折してやめた研究にもう一度取り掛かった。
昔止めた頃とは想像がつかないほど進んでいた研究成果はおそらくあと少しというところまで来ている。
必死に私はいろんなことを試した。
彼を拾った時以来降りることのなかった街にもおり様々な物を混ぜて試した。
春が来て、夏が過ぎ、秋を越え冬を迎え。
季節が何度回っても薬は完成しない。
彼の症状はどんどん悪化していき、窶れてしまった彼を見るのが辛くて次第に彼の部屋を訪れることは減ってしまった。
こんな気持ちになるならあの日彼を拾わなければよかったのだ。
何度も思った、彼は私を殺す気なんてもうない、私の横に死ぬまでいる気なのだと。
なのに…どうしても追い出すことができなかった。
初めての人の温もりが愛おしかったから、手放したくなかった。
例えあと数年しかなくたって彼と一緒にいたい…そして願わくば一緒に天に昇りたいと。
そんな気持ちを抱えて5年が過ぎた。
『申し訳…あり…ません…』
「いいわよ…わかっていたことだもの。」
『…悔しい…ナタリア様は最後まで靡いて下さらなかったですね…。』
「…そんなことないわよ、私も悔しいのよ?
薬が間に合えばまだいられたのになって…思ってるんだから。」
『…勿体無いお言葉…ありがとうございます…。』
「ねえナナシ?あなたもう逝くのでしょう?」
『ええ…もう未来は見えませんから…ここが最期かと…』
「あなたの魔法で私も逝かせてくれないかしら?」
『…ダメですよ。』
「どうして?私も一緒に逝かせてよ!」
『わがままばっかり私に言ったのでせめてもの仕返しですよ…私のことを忘れられない呪いだとでも思ってください。』
「魔女に呪いをかけるの?…生意気になったわね…。」
『最期くらい…優位を握りたかったのですよ……あぁ…ナタリア様……。』
彼に名前を呼ばれ近くに寄ると優しく抱き締められた。
最期の抱擁だとわかっていたから…私は目を閉じて感覚を焼き付けた。
そしてしばらく抱きしめられたあと耳元でそっと囁かれた。
『いつかまた…巡り巡ってあなたに会いに来ますから…待っててください。』
そう言われ言葉を返そうとした瞬間、彼の身体はまるで糸を切られた操り人形のようにぶらんと力が抜けて倒れ落ちた。
「…バカ…置いて逝かないって約束したじゃない…約束破るなんて最低よナナシ。」
いつぶりかの涙が思い切り両目から流れ落ちる。
彼のシワついた肌に涙がこぼれ落ちまるで彼も泣いているかのように涙の河となって滴り落ちていく。
こうして私と彼の80年近い物語は幕を下ろした。
庭の彼の好きだった木の下に彼の骨を埋め石を彫り墓標にしそっと花を添えて私は墓前に座った。
「もしね?貴方が永遠に生きながらえるとしたらもっとやりたいことがあったのよ?
遠くの街へ出かけたり、貴方の書いた論文を広めに世界を回るのも楽しかったかもしれないわね…。
それに…夫婦っていうものになって寄り添って一緒に永遠にいたいと思ったりね?
だから期待してたのよ?貴方が薬を完成させるって…初めて期待を裏切ったわね…。」
久方ぶりの一人は心に孤独をもたらす。
涙はもう枯れ果てて流れることはない、だけれどその代わりと言わんばかりに空から雨が降って来た。
曇天の空の下私は彼へと想いを馳せる。
正直者の彼がついた最後の嘘…優しい彼がかけた最期の呪いは私の心の奥深くを蝕んでいたのだった。
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彼が亡くなって幾度目かの春の日。
私はまた気まぐれに街へと降りた。
彼と出会ったスラム街をふらふらと歩いているとオギャーと泣く産声が聞こえて来た。
一瞬見逃そうかとも思ったけれど、どうしてかその泣き声を聞くと私は妙な胸騒ぎがしてそちらへ向かうと小さな小さな赤子が捨てられていた。
「…人間って本当に醜いわね。」
そう呟きながらその子を優しく抱き上げる。
赤子は片目は綺麗な黒、そしてもう片方の目を見てハッとした。
それはあの日彼にあげた義眼に埋めた宝石と同じ綺麗な輝きを放つ緑色だったからだ。
「忘れさせない呪いって…こういう意味だったのね。」
その赤子をあやしながら小さくため息をつきそう呟いた。
そして私はその子に名前をあげることにした。
「貴方の名前は…ヨハンよ?どう?かっこいいでしょう?」
その名前はあの日彼につけようと思っていた名前。
初めて愛しいその人の名前を呼んだ時、泣いていた赤子はくしゃりとシワを寄せ微笑んだのだった。
貴方が残した呪い。
それは私が忘れることなく苦しむ呪いではなく、何度生まれ変わっても私と巡り合うという優しい彼らしい呪いだったのだった。
--fin--