僕はお嬢様のためにお嬢様を殺す
綺麗な華には刺がある。その言葉がお嬢様ほど似合う人は他にはいなかった。
美しい金髪も強い意思を表す深紅の瞳も真っ白な肌も血のように赤い唇もその豊満な肢体も……お嬢様を構成する全てのものは美しかった。
しかしその内面はお世辞にも綺麗だとは言えなかった。
その公爵令嬢という地位を鼻にかけ、他を貶め、気に入らなければごみのように捨てる。
高慢で我儘で冷酷で残酷。それがお嬢様だった。
そんなお嬢様のことを人々は表面上にこやかに偽りながらも、怯え、あるいは、軽蔑していた。
誰もがお嬢様に良い感情を持ってはいなかった。
そうして周囲がどんなにそんな感情を偽ろうともお嬢様はその事実に気づいていた。
お嬢様は高慢で我儘であったが、愚かではなかった。
少しでも弱さを見せればそこで終わり。誰もが手のひらを翻す。その事をよく理解していた。
していたからこそ、さらにお嬢様は高慢で我儘で冷酷で残酷であるようになった。
それは己の身を守ることでもあると知っていたから。
綺麗な華には刺があり、故に誰に散らされることもなくお嬢様はそこで孤高に咲いていた。
そんなお嬢様を知っていたから。だから、僕は……。
「どうして……?」
そう床に這いつくばる赤い華のように広がる自らの血の上で、彼女は華と同じ色の瞳を丸くして僕を見上げていた。
「どうしてなの……?」
彼女は再度問う。
どうして?そんなに不思議なことだろうか?と僕は首を傾げる。
でも、彼女はわからないようで同じ言葉を何度も何度も繰り返していた。
「そんなの決まっているでしょう?」
僕は当たり前のことを口にする。
「だってあなたはお嬢様ではないから」
●○●○●
「美しい従者が欲しいわ」
そんなお嬢様の一言で僕はお嬢様の従者として連れてこられた。
僕を連れてきたのは今まで一度も会ったことのない父だった。
お嬢様に僕を捧げるためにわざわざ昔火遊びで生まれた僕を探し出して、養子にまでして、お嬢様の前に連れ出した。全てはお嬢様に、公爵家との繋がりを持つために。
別に母親と引き離されて悲しいとかは思わなかった。僕と母親との関係は別れを惜しむほど良好なものではなかったから。
ただ、今まで底辺のような生活をしていた自分が付け焼き刃の礼儀作法を覚えただけで高貴な方の前に出される、その事がひどく恐ろしく、そして惨めだった。
そうしてそんな震えている僕を見てお嬢様は一言言ったのだ。
「綺麗な顔をしているわね」
と。
僕は僕の顔が整っていることは知っていた。しかし、お嬢様を見た瞬間、お嬢様には劣ると瞬時に理解していた。
だから、咄嗟に僕は口を動かしていた。あなたには敵いません、と。
すると彼女は笑みを浮かべながら、当然でしょう?と高慢に言い放った。
「わたくしより美しいものなどこの世には存在しないのよ?知らなかった?」
その言葉に呆気に取られなかったのは、その通りだと思ったから。
こんなに美しい人は見たことがなかった。
その後お嬢様は僕を従者にされると口にされた。
それが僕とお嬢様との出会い。僕とお嬢様が十二になる年のことだった。
それからお嬢様の従者になり、お嬢様の刺の部分も見ていくことになる。
けれど、僕にとってお嬢様はやはり美しい華のままで、その刺さえもお嬢様をお嬢様足らしめるものでしかなかった。
美しい華には刺がある。刺のない華などすぐに誰かに散らされてしまうのだから、そんなのは当たり前の話だ。
美しい華のお嬢様。しかし、お嬢様は突然変わってしまった。
わたくしと言っていたのに、私と言うようになった。
着飾ることが好きだったのに、遠慮をし大人しい格好をし始めた。
孤独に咲いていたのに、誰も彼もを気にかけるようになった。
身分関係なく誰にでも優しく接し、腹の探り合いもしなくなった。
そんなお嬢様を最初誰もが疑い、けれどその後好意を向け始めた。
皇太子も、その弟も、宰相の息子も、次期公爵も。皆が純粋で変わってしまったお嬢様を気にかけ、好意を寄せる。
元のお嬢様を否定し無かったことにして、新たなお嬢様を受け入れる。
そんなこと許せるはずがなかった。
いったいあれは誰なのか。高慢で我儘で冷酷で残酷。それこそがお嬢様であって、こんなお嬢様はお嬢様ではない。
孤高であり、だからこそ美しかったのに。他者を気遣い、無垢に笑うなどあり得ない。
いったい、お嬢様はどこに行ってしまったのか。体はお嬢様そのものなのに。その中身がまるで入れ替えられてしまったかのよう。
きっとお嬢様はこの状況を知ったなら屈辱に震えるだろう。似合わない地味なドレス。馬鹿にされても健気に耐えて、男共の言葉に振り回される。
こんな屈辱を与えられて。
きっとこんな屈辱を味あわされるくらいならば、お嬢様は死を選ぶだろう。だってお嬢様は高慢で我儘で冷酷で残酷で……そしてとても気高い方だから。
だから、僕はお嬢様をナイフで刺したのだ。
全てはお嬢様のため。お嬢様を屈辱から救うため。
どうして?と偽物が呟く。偽物はやはり偽物で。訳がわからないと泣いている。
血が、溢れていく。お嬢様の命が流れ出していく。
それを見ながら、そっと自分の首元にナイフを当てた。お嬢様がいないこの世に意味などない。未練など特にない。あるとすれば最後までお嬢様に会えなかったことくらいだ。
「……たわ」
泣いていたお嬢様が何か言った。
その言葉に耳を傾ける。痛みに眉をしかめ、目を腫らしていたその顔は……なかった。
「良く、やったわ……」
「っ!」
その笑みは美しく自信に溢れ、その言葉はどこまでも高慢で。
「お嬢様……」
それはお嬢様そのものだった。最後の最後。お嬢様は自分を取り戻されたのだ。
「お嬢様……」
その言葉にもう応える声はない。落ちた瞼はもう開くことはない。
手の刃物に力を込める。
早く行かなければいけない。何故なら僕はお嬢様の従者なのだから。
この先辿り着く場所が天国だろうが地獄だろうが構わない。そこにお嬢様が居るのなら、その側に自分が居られるのなら、なんだって構わないのだから。