アダムのいないイブはしょうがないので魔王を平らげる
――GTV4387。
そんな、車か何かの型番と錯覚するような名前のゲームがあった。
西暦2062年。とある島国の片隅からオンライン公開されたそのゲームは、中世ヨーロッパ風の異世界を舞台に、そこそこリアルで適度に難易度調整された――言ってみればよくある素人の作ったRPGだった。
近年ではRPG作成サービスやアプリケーションも充実し、対話型インターフェースに好みの設定を伝えれば10分で公開までこぎ着けられるご時世だ。
もちろん手動でキャラクターやオブジェクトのモデリングやデザインを作り込む事も出来るし、RPG作成サービスに任せっきりの“素組み“のゲームをそのまま公開するようなユーザーはほとんどいない。
だが、誰でもRPGが作れる、と言う事はそれだけ世にRPGが氾濫すると言う事でもある。
日に数百にものぼるRPGが新たに生まれ、アップデートされ、RPG投稿ポータルではユーザー評価を奪い合って有力個人RPGと企業RPGが凌ぎを削る。
今や、世はRPG群雄割拠の戦国時代を迎えていたのだった。
そんな中で見れば、GTV4387は誰の目にも止まらない底辺RPGだった。
話題性もなく、珍しさもなく、宣伝に力を入れている訳でもない。落ちぶれるのも当然の帰結。
何しろ当の作者でさえ、公開後は一度も自分のサービスにアクセスしない程だった。
だが、たった一つだけ。
GTV4387にはたった一つだけ、他のRPGにない、とんでもないモノが搭載されていたのである。
「こんにちは、アレスさん」
目の前で可憐な少女が相好を崩して微笑んでくれる。
アレスはGTV4387にログインすると、必ずこの最初の村の入り口にやってくる。それは、この少女と会話する為だった。
「やあ、イブ。今日も暑いね。さっきそこで見つけたんだけど、良かったら果物でもどうかな」
鞄からまだ少し青いリンゴを取り出すと、イブと呼ばれた少女は目を輝かせてそれを受け取った。
「わあ! わたしリンゴ大好き! アレスさん覚えてくれてたんだね!」
彼女は歓声をあげながら手にしたリンゴを太陽にかざしてみたり、匂いを嗅いだりと目まぐるしくはしゃぎ回る。
やがて意を決したように唇を近付けると、小気味よい音を立ててその果肉にかじりついた。
「ん~~! ‥‥ちょっとすっぱい!」
果汁の酸味に顔をしかめながら、押し殺しきれない喜びが全身から溢れ出すかのようだ。
(まったく、見てて飽きないな。この子と会話してると)
アレスがこのゲームを始めたのは、本当に偶然だった。
いつもチェックしているRPG投稿ポータルのランキング入りRPGも大概やり尽くし、少し毛色の変わった素人RPGを冷やかすつもりでランダム検索した結果だったのだ。
ほぼ汎用RPG作成サービスの素組みのままの世界を見て、大いに落胆したのをよく覚えている。
(せめてネタに振り切ってくれりゃ笑い話にもなるのに)
だが、GTV4387はその点マジメなつくりをしていた。
ありふれたデザイン。ありふれたシステム。ありふれたシナリオ。
チュートリアルが終わる頃には、アレスはゲームをログアウトして二度と近付かない事を心に決めてしまうぐらいにつまらないゲームだった。
だが、そうなる直前、彼を呼び止める声があったのだ。
「あ、あの! もしかして、村の外に行かれるんですか?」
それはゲームのスタート地点である村の入り口に立つ少女だった。
(‥‥何だ? 何かクエストのトリガーになるような事したっけか‥‥いや、ランダム生成クエストでも始まったのか?)
アレスはいきなりNPCに話しかけられて一瞬は戸惑ったが、RPGサービスが適度な刺激として自動的に作り出すランダム生成のクエストならそういう事もあるか、と自分を納得させた。
少女はそんなアレスの様子に気付く様子もなく真剣な表情で話しかけてくる。
「あの‥‥多分旅人さんなんですよね? もし隣村とか町とかでリンゴを売ってたら、買ってきて欲しいんですけど‥‥」
(なんだ、よくあるお使いクエストか)
お使いクエストとは、○○を買ってきて、探してきて、のような頼まれ事のイベントだ。RPGでは最もよく遭遇するイベントであり、ゲームとしての盛り上がりも報酬も大してない事が多い。
今のこのゲームを止めようとしているアレスが受ける義理はなかった。
「いや、俺忙しいから。ごめんな」
「えーっ、そんなぁ。村の近くには生えてないし、お店の商人さん仕入れてくれないんですよぉ‥‥」
妙に凝った引き留め文句だな、と思いはしたものの、恨みがましい目でこちらを見つめる少女に、ふとアレスは意地悪心が働いた。
「そんなに欲しければ、自分で買いに行けばいいじゃないか」
どうせ出来ないだろう。そう思っての意地悪だったのだが。
だが予想とは裏腹に、少女は大きく目を見開くとしばらく考え込み、小さく呟いたのだ。
「‥‥そっか、自分で、行けばいいんだ」
「‥‥は?」
アレスは自分の耳を疑った。
相手はチュートリアルを受け持つスタート地点村の入り口で「はじまりの村へようこそ!」を伝える役目しかないNPCだ。
それが自発的に買い物を、まして村の外に?
(いやいやいや、有り得ないだろ‥‥)
そんな事が出来たら――とんでもない事になる、のではないか。
少なくともアレスが考えるRPGの色々な“お約束“が崩れてしまう。
嫌な予感がした。
したのだが――その一方で“面白く“なるような気もした。
だから、黙って見送った。
翌日、怖いもの見たさで再度ログインしたアレスの目の前には、リンゴを齧りながらニコニコとほほ笑む少女の姿があった。
その身にアレスより立派な鉄の鎧と鋼の剣を携えて。
以来、アレスは“イブ“と名付けた少女と、少女の“学習“と“閃き“が起こす出来事を楽しみにGTV4387にログインを続けている。
イブはアレスから様々な考え方や知識を学び、目まぐるしく成長していった。
それは内面も、外見もである。
今の彼女は竜の鱗を縫い合わせた鎧と、魔法がかかった美しい青い剣を身に付けている。
確かRPG作成サービスがデフォルトのセッティングで作るゲームバランスなら魔王と戦えるクラスの終盤装備のはずだ。
そして彼女が閃くと、大抵アレスが想像もつかないようなヘンテコで常識をぶち破った展開が起きるのである。
今やアレスにとってここは、自分が役割を演じる“RPG“ではなく、自己学習するNPC達が繰り広げる変革と変遷を観察する“環境シミュレーター“となっていた。
それはアレスが年老い、ログイン出来なくなるその日まで、何年も何十年も、ずっとずっと続いていった。
ここはGTV4387。
誰からも見捨てられた、古い古い、ありふれた底辺RPGサービス。
でも安心して欲しい。この世界には“学習“と“閃き“という試作機能を搭載した新型人工知能を搭載したNPC達が、誰に管理される事なく思考の赴くまま生を謳歌している。
ある国は邪悪な魔術師の実験が止められる事なく繰り返されてこの世のモノとは思えない醜悪で奇怪なクリーチャーが闊歩する魔界となり。
ある城ではゲームのラスボスであるはずの魔王が、勇者が去った事に見切りをつけたとある村娘によって平定され、更地に変わり。
今もまた、彼らの間で日々の営みは繰り返されて経済は回り、刻々と物価も変動する。
もしあなたがここにログインしたら、そこは戦場の真っ只中かもしれない。
あるいは新たな勇者の登場を快く思わない商人たちに捕らえられて魔女狩り裁判のような目に遭うかもしれない。
明日の世界がどうなっているのか、誰にもわからない。
そんなエキサイティングなGTV4387に、あなたはログインしてもいいし、しなくてもいい。
すべては君次第――ではない。
彼ら次第だ。