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9.メフィスト登場

 その日、おんぼろアパートの自分の部屋の前まで帰ってくると、悪魔の下卑た笑い声が聞こえてきた。どうせ下らないテレビ番組でも見て一人で笑っているんだろうと思っていると、ホホホという少し甲高い別の笑い声も混じっている。

 ドアを開けると悪魔の向かいに、似たような黒い服を着た男がもう一人座っていた。

「おお、もう帰ってきたか。ワガハイの友人メフィスト君を紹介しよう」

「どうも、はじめまして。メフィストです。正式にはメフィストーフェレスといいますが、長いので皆からはメフィストと呼ばれております。どうぞ、お見知りおきを」

 男は少し甲高い声であいさつした。鼻とあごが尖っていて、いかにも頭の切れそうな鋭い印象を与える顔つきだった。ヘタレ悪魔の間抜けなアホ顔とは大違いだ。

「あ、ど、どうも」とおれはとりあえず答えた。メフィストといえばゲーテの『ファウスト』に出てくる悪魔の名前だ。こいつがあのメフィストなのだろうか。


「メフィスト君は優秀な悪魔でな、ワガハイの手伝いに来てくれたのだ。なにしろあんたに彼女をつくってやるのは思ったよりはるかに難事業でな。ワガハイ一人の手には負えんのだ、はっはっは」

 それはお前が無能だからだろう、とおれは思ったが、黙っておいた。

「どうぞ安心してお任せください。私も以前にファウストというどうしようもないモテない男に、グレーとヒェンという純情可憐な美少女とヘレナという絶世の美女を恋人にしてやったことがあります。まあ、あのときは神様の陰謀で、最後の最後に魂を横取りされてしまいましたがね」

「えっ、そ、それじゃあ、あなたがやっぱりあのメフィストさんなんですか?」

 おれは驚いて、その男の顔をマジマジと眺めた。そういえばたしかに、『ファウスト』の本の挿絵に載っていたメフィストによく似ているような気がする。すると悪魔が横から口を挟んだ。

「ファウストぐらいの器量の男だったら恋人の一人や二人つくってやるぐらい、ワガハイでも簡単だ。ところがこの男ときたら、並大抵のブサイクではないからな。いくらメフィスト君といえども、そう簡単にはいかんであろう」

 おれはカチンと来て、悪魔を睨んだ。悪魔は気まずそうに目をそらした。しかしまあよく考えてみると、メフィストの方がこのヘタレ悪魔よりははるかに優秀だろうから、もしかしたらうまくやってくれるかもしれない。おれは少しは期待することにした。


「あなたがモテないのは、顔がブサイクだからではありません。女性との付き合い方を知らないからなのです。モテないから女性と付き合えない。だから付き合い方がわからない。だからモテない。負のスパイラルです」

 メフィストの説明を聞いて、おれは感心した。やはりこいつはあのヘタレ悪魔とは違う。

「豊臣秀吉をごらんなさい。猿に似た顔のブサイクな男だったにもかかわらず、たくさんの美女を側室にしていたではありませんか。あれは権力を持っていたからだけではなく、女性に好かれるような接し方を心得ていたからにほかなりません」

 なるほど、たしかにその通りだ。秀吉は女だけでなく、男にも好かれる人間だった。だから織田信長をはじめとして多くの武将たちに気に入られて出世したんだ。


「わかりました。で、どうしたらおれも秀吉みたいになれるんでしょうか?」

「訓練するしかありません。とにかく女性と多く接して、体験を通して女性心理をつかむことです。まずは、あなたと同じようなモテないブサイクな女性を狙って、とりあえず付き合ってみてはいかがですか? それによって、女性に好かれるコツというものが、少しずつわかってくるはずです」

 そんなものでいいのだろうか。おれは少し疑問に感じたが、最初から恋人というのではなく、気楽に話ができるようなガールフレンドという感じで付き合えるような女をまず探してみる、というのは悪くないような気がした。とにかくおれにはこれまで、女に関してはその程度の付き合いすらなかったのだから。おれはしばらく考えた末に答えた。

「わかりました。お願いします」

「では、明日から始めましょう」

 メフィストはそう言うと、ダークグレイのスーツを着た有能そうなビジネスマンの姿に変身して、部屋から出て行った。その後ろ姿を見て、おれは期待とともに不安のようなものも感じたのだった。

 

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