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6.単純接触効果

 おれの部屋に同居しているヘタレ悪魔は、朝食は妹の天使ミカさんが作ってくれるのを食べるが、昼食や夕食は食べなくても平気なようだ。もっとも、本当は悪魔には食事など必要ないらしく、食べるのはただ美味を味わうためだけだという。

 それでも、おれが大学から部屋に戻ってくると、買い置きのスナック菓子が減っていたりするし、おれが部屋で菓子パンやカップ麺を食っていると、物欲しそうな顔で見ているので、分けてやるとうまそうに食うのだった。


 その日おれが部屋に戻ると、悪魔はめずらしく熱心に本を読んでいた。おれに気がつくと、悪魔はちょっと気まずそうに、読んでいた本を隠そうとした。

「何を読んでるんですか」

おれが尋ねると、悪魔はしぶしぶ本を差し出した。それには『恋愛心理学』という表題が書かれていた。

「いや、ワガハイもあんたに早く彼女を作ってやらんといかんから、こうして日夜研究に励んどるのだ。はっはっは」

「その本はいったいどうやって手に入れたんですか」

悪魔はちょっとギクリとした顔をした。

「い、いや、ちょっとな、商店街のブックオフの百円コーナーで買ったのだよ。消費税合わせてたったの百八円だ。金はあんたの財布からちょっと拝借した。ま、必要経費だと思ってくれ、はっはっは」

どうせそんなことだろうと思った。おれはため息をついた。


「ところであんたは単純接触効果というのを知っとるか?」

悪魔がいきなりヘンなことを訊いた。

「いえ、知りませんが。何ですかそれ」

「うむ、この本に書いてあるのだが、人間というのは何度も同じ人に会っていると、次第にその人に好意を持つようになるそうだ。それを単純接触効果という」

こいつはいったい何を言い出すのだろう。それがどうしたというのだ。疑問に思っていると、悪魔は話を続けた。

「やはり全然面識もない女を街でいきなりナンパするのは、あんたのようなブサイクには無理だ」

ブサイクで悪かったな。おれはムッとしたが、それは事実なのだからしかたがない。

「そこでだ、ちょっとは面識のある女で恋人にしたいようなのはおらんかね。その女と単純接触を繰り返せば、好意を抱いてもらえて恋人にできるかもしれん」

なるほど、こいつの言うことにも一理ある。おれはちょっと考えてみた。

「そういえば、よく買い物をする近くのコンビニの店員で、すごくかわいい子がいるんですよ。その子を恋人にできたらいいな」

おれがそう言うと、悪魔は大きくうなずいた。

「よろしい、ワガハイにまかせるがよい。はっはっは」

おれはまたちょっと嫌な予感がした。


 翌日の朝、大学へ行くために駅の方へ歩いていると、ターゲットのかわいいコンビニ店員の女が向こうから歩いてきた。すれ違いざま、彼女のハンカチが落ちた。おれは前回のナンパの失敗を思い出したが、ハンカチを拾い上げて、彼女に渡してやった。彼女は受け取って礼を言うと、そのまま去っていった。なんだ、前回とまったく同じパターンじゃないか。やっぱりあいつはヘタレ悪魔だ。おれはばかばかしくなった。

 ところが、その日の帰りに駅前の書店で立ち読みしようと、ベストセラーの小説本に手を伸ばすと、同じ本に誰かの手が伸びてきてぶつかった。ふと見ると、それはまた彼女だった。

「あ、ど、どうぞ。いやあ、偶然ですね」

「え、ええ」

彼女は恥じらうように言うと、軽く頭を下げて本を手に取った。おれは再び話しかけた。

「お仕事からのお帰りですか?」

「え、ええ、まあ」

彼女は小声でそう答えると、本をもとの場所において、他のコーナーへ移動していった。


 それからおれは彼女と頻繁にばったり出会うようになった。電車に乗っていると、すぐそばに彼女が立っていたり、スーパーで買い物をしてレジに並ぶと、すぐ前が彼女だったりした。そのたびにおれは挨拶をしたが、彼女は恥ずかしそうに軽く会釈をするだけだった。どうやら思ったよりもシャイな子のようだ。

 おれはもちろん、彼女のいる時間帯を狙ってコンビニへも行った。レジでの彼女は恥ずかしそうにうつむいたまま応対をしてくれる。おれはもっと親密になるタイミングを計っていた。

 アパートに戻って報告すると、悪魔は満足そうに笑った。

「それはあんたに気がある証拠だ。そのうち彼女の方から告白してくれるかもしれんぞ、はっはっは」


 二週間ほど経ち、駅前でまた彼女とばったりであった。おれはいつものように声をかけた。

「やあ、また会いましたね。こんなに頻繁に会うなんて、なんだか運命的な感じがしますね」

「あ、あのう……」

彼女はちょっと言いにくそうに口ごもっている。これはもしかしたら愛の告白か。おれの胸は期待に高鳴った。すると彼女はとうとう思い切ったように口を開いた。

「もう私につきまとうのは、やめてもらえませんか」

「えっ?」

おれには訳がわからず、訊き返した。

「ですから、これ以上ストーカーみたいに私を待ち伏せしたりするのはやめてください。警察に通報しますよ!」

彼女はそう言うと、すたすたと立ち去っていった。おれはその後ろ姿を、ただただ呆然として見送った。


 傷心のまま部屋に帰ると、悪魔はスナック菓子を食べながら『恋愛心理学』を読んでいた。

「おお、彼女から愛を告白されたかね。どうやらワガハイが地獄に戻れる日も近そうだな。はっはっは」

おれは何も答えず、フトンにもぐってふて寝した。やはりこんなヘタレ悪魔の言うことを信じたのが間違いだったのだ。おれは心の中で深く後悔した。


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