20.悪魔との別れ
翌朝、いつものように朝食を作りに天使のミカさんがやってくると、悪魔はまだ気持ちよさそうに眠っていた。おれが起こそうとすると、ミカさんはそれを遮った。そして懐から木製の粗末な十字架のペンダントを取り出すと、灰色の服を着た悪魔の首に掛けてやった。悪魔はそれに気がついて、目を覚ました。
「おお、ミカか。今朝はなんだかいつもと違う気分がするぞ。昨夜飲んだワインのせいであろうか」
「お兄ちゃん、大天使ミカエル様にお願いして閻魔大王様と交渉していただいたんだけど、閻魔大王様は大変なお怒りようで、あんな役立たずのヘタレ悪魔は地獄に置いておくわけにはいかないとおっしゃったそうよ」
悪魔はがっくりとうなだれ、泣きそうな声で言った。
「ああ、やはりワガハイは地獄を追放されたのだな。もう消滅するしかないのか。ミカよ、長いこと世話になった。不出来な兄を許してくれ」
「お兄ちゃん、話はまだ終わってないわ。それで大天使ミカエル様がお兄ちゃんの身柄を引き受けてくださることになったの。煉獄でちゃんと修行すれば、天国で下働きとして雇ってもいいとおっしゃってくださったわ」
「れ、煉獄で修行だと……」
悪魔は青ざめた。煉獄の修行とはよほど厳しいものらしい。悪魔は震える声で言った。
「み、ミカよ、まことにありがたい話ではあるが、ワガハイは遠慮しておく。消滅した方がマシだ」
「お兄ちゃん、これはもう決まった話なの。その灰色の服が煉獄の修行者の制服よ」
ミカさんはきっぱりとした口調で答えた。悪魔は泣きながら懇願した。
「た、頼む、それだけは勘弁してくれ」
「だめです。朝食を食べ終わったら、すぐ出発しますからね」
悪魔は肩をおとした。見ていてちょっとかわいそうな気もするが、こいつはやっぱり少しぐらい厳しく鍛えられた方がいいのだろう。
「ところで、あなたのガールフレンドのナオコさんなんですけど」とミカさんはおれの方を向いて言った。
「あの方はわたくしの知り合いの修道女の生まれ変わりなのです」
そうだったのか。それであんなに敬虔なクリスチャンなんだな。おれは納得した。
「あなたも今のままでしたら、兄と同じく死後に魂は地獄へ送られるはずだったんですけど、ナオコさんと結婚なさって修行すれば、天国へ行けますよ」
「えっ、結婚して修行って、どういうことですか?」
おれは意味がわからず質問した。
「知り合いの修道女はとても厳格な方でした。ナオコさんもその性格をそのまま受け継いでおられます。だらしないことは大嫌いな方ですので、結婚なされば浮気はもちろんのこと、不潔な生活習慣なども決してお許しにはなりませんので、今のあなたのような性格の方には、結婚生活はとても辛い修行になることでしょう」
おれはちょっとびびってしまった。しかし、おれは少し考えて答えた。
「わかりました。ナオコさんと結ばれるのなら、結婚生活が辛い修行であったとしても、耐えられると思いますし、耐えていくつもりです」
それを聞くと、ミカさんはにっこりと微笑んで、うなずいた。
「それではそろそろお別れしなければなりません。わたくしがお貸しした十字架のペンダントは記念にさしあげます。ナオコさんと、どうかお幸せに」
ミカさんはそう言うと、悪魔の手を取った。
「さあ、お兄ちゃん、そろそろ出発するわよ」
悪魔は情けなさそうな顔をして、名残惜しげにおれの方を見た。こんなやつでも、いなくなると思うと寂しいものだ。
「それじゃあ、さようなら。お元気で」
「さらばだ。はっはっは」
ミカさんと悪魔はおれに別れを告げた。そうしてミカさんが小さい杖を振ると、二人の姿は消えた。おれはしばらくの間、二人がいなくなった部屋の中で、呆然と立ち尽くしていた。
その日の夕方、おれはナオコをこないだのイタリアン・レストランに誘った。ディナーを食べ終わってから、おれは彼女に正式に付き合ってほしいと言った。彼女は承諾してくれた。
おれはナオコと早く結婚できるように、まずは大学を留年せずに卒業することにし、ちゃんとしたところに就職するために、しっかり勉学に励むことを決意した。怠惰でだらしなくスケベなおれにとっては、結婚後ではなく交際と同時に厳しい修行とやらが始まるのだろうが、ナオコとなら、なんとかやっていけそうな気がするのだった。
(完)




