2.悪魔との契約
「おお、これこそワガハイが思っていたとおりのところだ」
悪魔はおんぼろアパートのおれの部屋に入るなり、喜びの声を上げた。
「この建物の朽ち果て具合といい、部屋の中の散らかりようといい、全体に漂うゴミの腐敗臭といい、まったくもってすばらしい」
「どうでもいいから、はやく用事をすませてください」
おれはちょっとムッとしたので、素っ気なく言った。
「それでは、さっそく交渉に入るとしよう。ワガハイは地獄の悪魔として、人間の魂を地獄へと持って帰ることを仕事としておる。だが持ち前の気の弱さから、いつも天国から来る天使のやつらに魂をかっさらわれてしまうのだ」
なんてヘタレな悪魔だ。まるでおれにそっくりじゃないか。ついつい同情してしまいそうになっていると、悪魔は話を続けた。
「そこでワガハイは閻魔大王様からさんざん叱られ、今回は特別な厳命を受けた。超一級の魂を持ってこい、持ってくるまで地獄に帰ってきてはならんと」
「ちょっと待ってください。魂に超一級とか等級があるんですか?」
おれは素朴な疑問を口にした。
「死んだ後でりっぱな地獄の悪魔となるのにふさわしいのが、超一級の魂だ」
悪魔はそう言うと、おれの方をじろりと見た。
「それって、もしかして……おれのこと?」
悪魔はにやりと笑い、ゆっくりうなずいた。
「あんたはちょっと気が弱くて善人なところもあるが、地獄の悪魔になれるだけのいちおうの基準はクリアしとる。怠け者だしケチでずぼらで不潔だし、それにまったく女にモテないくせに相当なスケベだし……」
たしかにその通りだ。今のままのおれでは、死んでから天国に行けるとはとうてい思えない。おれはげんなりしてきた。
「で、魂をあなたに譲ったら、あんたはおれに何をくれるんですか?」
おれはヤケになって、そう尋ねてみた。
「あんたは何が欲しいかね?」
悪魔は逆に訊き返した。おれはしばらくじっくりと考えた。すると、昔読んだゲーテの『ファウスト』という本の話を思い出した。
主人公のファウストは勉強一筋で偉い学者になったが、女も知らずに童貞で独身のまま老人になり、人生に絶望していたとき、悪魔が現れたんだ。悪魔の力で若返り、凛々しい青年となったファウストは、グレートヒェンという純粋無垢な少女や古代の絶世の美女ヘレナを恋人にする。そんな筋書きだったと思う。
結論に達したおれは要求を出した。
「おれを女にモテまくる超イケメンにしてください」
だが、それを聞いた悪魔はおれの顔をじろじろ見ながら、困ったように言った。
「うーむ、あんたのそのブサイクな顔を超イケメンにするというのは……うーむ、いくらなんでもワガハイの力ではちと無理だな。何事にも限度というものはある。もちっとささやかな望みはないかね?」
おれはカチンときた。なんてヘタレな悪魔だ。あまりにも失礼ではないか。
「ああ、そうですか。じゃあもう結構です。お帰りください。さあ、とっとと帰ってくれ」
悪魔の手を取って部屋の外へ追い出そうとすると、悪魔は慌てた。
「わ、わ、ちょ、ちょっと待ってくれ。あんたほどのブサイクを超イケメンにするのはいくらなんでも無理だが、今のままのあんたに超カワイイ恋人を作ってやることなら、ワガハイの力でもなんとかできそうだ。それでどうだね」
おれは少し考えた。たしかに自分がイケメンでなくても、超カワイイ彼女ができるのなら、それで何の問題もない。
どうせ今のままだったら、おれはブサイクでモテない男として、彼女もできずに童貞で独身のまま一生を終えることになるだろう。それくらいだったら、死んだ後に地獄に堕ちるとしても、かわいい恋人と愛の喜びを味わいたいものだ。おれはちょっとヤケになって、そう考えた。
「わかりました。それじゃあ、本当におれに超カワイイ彼女ができて、その彼女と幸せで満足した時間を味わうことができたら、魂だろうとなんだろうと、くれてやってもいいですよ」
「よろしい、では契約だ」
悪魔はそう言って、左手を差し出した。おれはその手を握った。その瞬間、全身に電気のようなしびれが走った。悪魔が手を離すと、しびれの感覚は次第に消えていった。
「さあ、これで契約は締結された。それにしてもこの部屋はじつに居心地がよい。うむ、このじめじめした押し入れをワガハイの住み家としよう」
「えっ、どういうことですか?」
勝手におれの部屋の押し入れに入ろうとする悪魔を押しとどめて、おれは訊いた。
「なにを言うとる。あんたのような超ブサイクで、どう考えてもモテそうにない男に彼女を作ってやるというのは、想像を絶する大事業だ。だからワガハイは住み込みで仕事をさせてもらう。まあ、何もかまわんでよろしい。うむ、ここはまさに天国だ、じゃなかった、地獄だ。実にええのう、はっはっは」
悪魔は満足そうに笑うと、勝手に押し入れに入ってフスマを閉めた。
こうしておれと悪魔との奇妙な同居生活が始まった。




