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19.灰色の悪魔

 おれは悪魔に手伝わせて、雑巾がけをした。しかし、いっこうに部屋の中がきれいになった感じがしない。ふとおれは悪魔の服がかなり汚いことに気づいた。

「あんたの服ずいぶん汚れてるようですよ。なんとかなりませんか?」

 すると悪魔はさっき返してもらった三つ叉の矛を振った。しかし何も起きなかった。

「何ということだ。ワガハイは魔法が使えなくなってしまったようだ。これでは変身することもできない」

 悪魔はまた情けなさそうな顔をした。

「しかたありませんね。コインランドリーで洗濯してきますから、脱いでください」

 おれは嫌がる悪魔から強引に黒い服を剥ぎ取った。悪魔は思ったよりも貧相な体をしている。おれは代わりに自分の白いシャツを貸してやった。

「うーむ、白い服というのはどうも落ち着かんのう。悪魔の色は昔から黒と決まっておるからなあ」

「ぜいたく言うんだったら、裸のままでいてもいいんですよ」

 悪魔はしぶしぶとおれの白いシャツを身につけた。


 おれはさっそく近くのコインランドリーへ行き、悪魔の服を洗濯機に放り込んできた。洗濯が終わった頃を見計らって取りに行くと、黒かった服は色が落ちて灰色になっていた。

 おれが持ち帰った灰色の服を見ると、悪魔は愕然とした。

「ああ、とうとうワガハイは悪魔の資格すらも剥奪されてしまうのか」

 悪魔はそういうと、おいおいと泣き出した。

「しかたないじゃありませんか。この灰色の服でがまんしてください。白よりはマジなんでしょ」

 悪魔はよれよれになった灰色の服を着た。悪魔というよりは漫画に出てくるネズミ男に似ている。

「さあ、それじゃあ銭湯へ行きましょう」

 おれがそう言うと、悪魔はぎょっとした。

「ワガハイも銭湯へ行かねばならんのか?」

「当たり前ですよ。汗臭かったら、彼女に嫌われますよ。そうしたら夕食を作ってもらえませんからね」

 悪魔はしぶしぶうなずいた。どうやら風呂に入るのは悪魔になってからは初めてらしい。銭湯の浴室へ入ると、おれは悪魔のごわごわした髪にシャンプーをつけてゴシゴシ荒い、体にも石けんを着けて垢すりでこすってやった。悪魔のやつも最初は嫌がっていたが、そのうち抵抗しなくなった。広い湯船につかると、気持ちよさそうに感嘆した

「おお、銭湯というところには初めて来たが、ここは天国だのう」

「どうです、地獄よりずっと心地いいでしょう」

「ああ、天国のような感じがするとは、ワガハイはいよいよ地獄から追放されてしまったようだ」

 悪魔は悲しそうな顔をして、湯船から上がった。再び灰色の服を着ると、なんだか似合っているような気がした。なんとなく修道僧のようにも見えた。


 夕方の六時にナオコは部屋へやってきた。そして灰色の服を着た悪魔を見ると、驚いたように言った。

「あら、悪魔さん。昨日とはずいぶん感じが変わりましたね。悪魔というより修道僧みたい。そんなコスプレがお好きなんですか?」

「い、いや、ワガハイも好きでこんな服を着ているのではないのですよ。はっはっは」

 悪魔は照れ笑いしながら答えた。するとナオコはバッグの中から一冊の本を取り出して、悪魔の前のちゃぶ台の上に置いた。

「私が通っている教会が配布している新約聖書です。料理ができるまで、読んでいてくださいな。悪魔さんにぴったりですよ」

 聖書という言葉を聞いて、悪魔はのけぞった。表紙には大きな十字架のマークが付いている。おれは小声で悪魔にささやいた。

「あんたも悪魔をクビになったんだから、聖書や十字架を怖がることもないんじゃないですか?」

 悪魔は恐る恐る聖書を手に取った。どうやら大丈夫なようだ。悪魔はページを開くと、少しずつ読み始めた。やがて悪魔の目から涙がこぼれ始めた。おれは不思議に思って尋ねた。

「どうしたんですか?」

「い、いや、ワガハイがまだこの世に生きていたとき、妹と一緒に修道院で聖書を読んだことを思い出したのだ。ワガハイはラテン語を覚えるのが苦手で、いつも妹のやつに教えてもらっていた。あの頃は苦しくもあったが、楽しかった。あの頃に戻って、もう一度やり直したいものだ……」

 悪魔はしんみりとした口調で答えた。そういえばこいつは修道院の厳しい禁欲的な生活に耐えられなくて、逃げ出したんだった。それで堕落して、死んだら地獄に墜ちて悪魔になったんだよな。だが、地獄からも逃げ出したこのヘタレ悪魔は、これからどうなるのだろう。おれにはそれが気になっていた。


 一時間ほどで料理はできあがった。昨日のよりも手の込んだ料理だ。肉料理とサラダとスープ、それにパンとフルーツをちゃぶ台の上に並べると、ナオコは袋から一本の瓶を取り出した。

「赤ワインを買ってきたの。まずこれで乾杯しましょう」

 おれの部屋にはワイングラスなどはなかったので、コップに赤ワインを注いで乾杯した。料理もうまかった。悪魔はしばらく静かに食べていたが、やがてしみじみと言った。

「ああ、このパンとワインの味は修道院を思い出すのう」

「あら、悪魔さんはやはり修道院にいらっしゃったことがあるんですか」

 ナオコは驚いたように尋ねた。おれはあわてて悪魔の代わりに答えた。

「え、ええ、旅行で訪れたことがあるらしいですよ」

 おれは悪魔をキッとにらんだ。悪魔は気まずそうに目を伏せて、また料理を食べ始めた。

 やがて八時になり、おれはまたナオコを駅まで送っていった。部屋に戻ると、悪魔はナオコが置いていった新約聖書を熱心に読んでいた。


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