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ドレッドノート・カプリチオ ~勇者狂想曲~  作者: 振木岳人
「血族」編
7/74

玲一とクラリッタ 前編


 時間は今、19:30頃

もう既に、太陽はその仕事を充分に終えて、満足げに意気揚々と、西の山々の背中へと姿を消した。

そして、沈んだ太陽を尻目に、冷たい春風を連れてやって来た闇夜は、街を煌々と照らす灯りに拒まれ、

人々が眠りにつく深夜まで、首を長くしながら、しばしの辛抱を決め込んだ、そんな時間帯。


ここ、長野市北部に位置する、巨大な衛星都市、北部団地も、帰宅ラッシュの車が、往来に溢れ、灯りの漏れる家々のお勝手からは、食欲をそそる様な、香ばしい音や、匂いが溢れて来ている。


 家族の夕飯や、団欒が行なわれている…そんな団地のとある路地を、タッタッタッタッと軽快に、ジョギングシューズのラバーソールが、テンポ良くアスファルトを叩きながら、駆け抜けて行く。


イヤホンをつけて、音楽を聴いている訳でも無く、焦点が合っていないのか、ぼんやりとした怪しい視線を、前に向けている訳でもなく、

無造作に、後ろに縛った髪や、厚手のヨットパーカーを汗でびっしょりと濡らしながら、精悍な顔付きで、一切表情を崩さず、確固たる意志を込めた視線で、自分の進む道を睨み続ける…。


何かしら目的をもって、自分の身体に負荷をかけているのは、金髪の少女。


その、健康的とは言い難い、最早自分を痛め付けるかの様な速さのまま、彼女は団地の北のはずれ…北部団地を見守る霊山「三登山」のふもとにある、鎮守の神社へと辿り着く。


住宅街の街路が切れて、目の前に現れた石段。

見上げれば、天まで続くのではと、錯覚してしまう様である。

それでも、少女は足を止める事無く、一切の躊躇を排して、石段を駆け上がり始めた。


いくら身体を鍛えていても、石段昇りは確実且つ速攻で、身体に負荷を与える。

プロのスポーツアスリートであっても、何百段と石段を駆け上がれば、苦痛に顔を歪め、荒い呼吸は虫の息へと変わり果てる。

だが、身体の至るところが悲鳴を上げ、心臓が限界寸前まで激しく鼓動を重ねても、少女は、リタイアへの誘惑を必死に拒み、一段…また一段と、ゴールに向かって足を止めない。


ヒューッ!ヒューッ!


石段の最上段まで後少し。


肺は大量の酸素を求めて、呼吸回数を限界まで上げるも、体内の酸素消費に間に合わず、息も絶えだえ。

思う様に上がらない足を必死に上げるも、まるで自分の太ももに、重りをくくりつけた様に重い。


それでも…、それでも


ゴールまで後九段、八段、七段と迫り、後二段に差し掛かったところだった。


「わっ!わわわわっ!?」


惜しくも、後一段のところでつまづき、身体全体が前のめりになったまま、敷いてある砂利に、顔からビタアンと、転倒してしまったのだ。

だが、彼女のプライドがそれを許さなかったのか、身体を捻り、柔道の受け身の要領でゴロゴロと回転。

転がる勢いに乗じて再び立ち上がり、体操選手の様に、両腕をピンと夜空へ伸ばし、フィニッシュのポーズをとったのだ。


シーン…と、時間が止まったかの様な静寂


ポーズを決めたまま、ピクリとも動かない少女。


だが、その静寂をブチ壊したのは、金髪の少女本人。


後一歩で完璧なゴールを決められたのに、直前でつまづいた自分が許せないのか、ぺちゃりと座り込み、「女の子正座」の姿勢で、

地面に敷いてある砂利を、振り上げた右手で、ボッカンボッカンと、叩き始めたのだ。


「くそっ!くそっ!不甲斐ない!不甲斐ないぞ!何故この程度で…!」


よほど悔しかったのであろう


この神社の鳥居が立つ広場が、実は展望台となっており、北部団地や長野市街地の夜景をのんびりと眺めていた、

学生服姿の少年が、唖然とした顔で見詰めている事に全く気付いていない。


さらに少女は、「これしきの事で、これしきの事で!」と、自分を責め続けているとようやく…

自分を痛々しく、可哀想な人扱いで見詰めて来る、二つの瞳に気付く。


見られてる…と言うか、全部見られた。見られてしまった…


身体をワナワナと震わせて、恐る恐る顔を上げる少女。

運動した為に流れていた、努力の結晶である汗が、全く違う種類の、冷たい汗へと変わる。


「…あっ…」


「…うっ…」


見なきゃ良かったと後悔するほどに、少年と少女の視線は、ばっちりと交差し、気まずい周囲の空気が、コチンと完全に固まった。


見ず知らずの相手なら、内面からグラグラと湧き立つ羞恥心を必死で隠しつつ、何事も無かったかの様なすました顔で、

スンスンと、鼻歌もどきでも口ずさみながら、ゆったりと逃走すれば良いのだろうが、これ以上、恥の上塗りをすべきではないと、彼女は肌でそれを感じた。

何故なら、硬直しきったこの学生服の少年に、彼女は見覚えがあったからだ。


「もしかして…、土岐…玲一?」


「もしや君は…クラリッタ…ハーカー…」


そう。

見つめ合いながら硬直してしまった少女と少年は、二人とも私立青嵐学園高等部の同級生。

同じ1年A組に席を置き、隣の席同士となった、土岐玲一と、クラリッタ・ハーカーであったのだ。


互いが近しい存在であったと認識すればするほど、クラリッタの羞恥メーターはぐいぐいと上がる。


玲一は中等部からのエスカレーター進学だが、クラリッタは高等部からの留学・編入組。

いくら隣の席同士だからと言っても、挨拶した程度で、未だに互いを意識する相手どころか、まだ友達ですらない。

まだ、ほとんど赤の他人なのに、やけに生活圏が、自分に近い。

これから毎日顔を合わせる相手に、変な女の子なんだと認識されてしまう事、クラリッタは、それが恥ずかしかったのだ。


「…こっ!これはね…ちょっと、ワケがあって…ごふっ!!!」


言い訳で乗り切ろうとした矢先の事。


顔面を強打した影響なのか、慌てたクラリッタの口と鼻から、盛大に血が吹き出る。

口からの吐血は、まだ良いとしても、鼻の穴からするすると滴り落ちる鼻血は、どうにも格好の良いものとは言えない。

なんじゃこりゃあ!?と、驚くクラリッタの元へ、やっと事態が飲み込めた玲一が駆け寄る。

「鼻血、鼻血出てるよ」と、学生服のポケットからティッシュを取り出しつつ、近くにあったベンチで横になるよう、クラリッタを促した。


玲一から貰ったティッシュを鼻の穴にねじ込み、ベンチで横たわった彼女の元に、水道で自分のハンカチを洗った玲一が戻って来る。


「口の周りとか、アゴに血がついてるから、これで拭いて」


盛大にすっ転んで顔面を強打した直後、急に怒り出したクラリッタに当初、玲一は面食らった。

だが、落ち着いて彼女を見て見ると、真夏かと、ツッコミを入れたくなるほど、全身汗でびっしょりと濡れ、

肩でする激しくする凄まじい呼吸は、未だに落ち着かないくらいの疲労具合。

おまけに、転んだ直後に、自分の不甲斐なさに激怒する姿を目の当たりにすれば、

このクラリッタ・ハーカーと言うクラスメイトが、想像を絶するトレーニング内容を、自分に課していた事が理解出来る。


 ……滑稽だと思うところじゃない……


そう感じた玲一は、その場から去らずに、クラリッタが横たわるベンチの端っこに座って、無言のまま…、

余計な質問など一切せず、彼女の回復を待つ。

また、玲一の配慮を肌で感じたのか、クラリッタは自分の失態を、殊更言い訳で飾る事なく、

やはり無言で目を瞑り、鼻血が止まり、自分の呼吸が落ち着く事に、専念し始める。


10分、15分…


眼下に広がる街の灯りに照らされながら、静かに、時間はゆっくりと経過して行く。


静寂に包まれながら、言葉も無い二人。

まだ、互いの事を知らず、何を話して良いのかわからないと言う事もあるのだが、

だからと言って、それがまるで負担に思えないほどに、玲一も、クラリッタもリラックスしている。

互いに、このシチュエーションを、不快とは感じていなかったのだ。


「…土岐…玲一。君も高等部編入組か?」


どれだけ時間が経ったのか、それすら気にならなくなっていた二人。

汗もひいて、呼吸も整って来たクラリッタが、ポツリと問い掛ける。


質問の主旨が理解出来なかった玲一が、どういう事かと問い質すと、

思いもよらない、、玲一が肝を冷やす様な言葉が、クラリッタの口からもたらされた。


「仲の良さそうな友達がいないから、私と同じで、他所から来たのかなって…」


軽いショックを受けた


確かに、新学期始まって早々の今、青嵐学園高等部の一年生は、クラス内に限らず、廊下や、別のクラスでも、

賑やかな笑い声が溢れて来る中心は決まって、中等部からのエスカレーター組である。


見知った顔。中等部からの仲良し。


別の中学から編入して来た、知りもしない相手より、仲の良い者同士で固まってしまってもしょうがない。まだ高校生活は、始まったばかりなのだ。


だが、玲一の場合は、初等部、中等部と、知り合い程度の生徒はいても、仲良しと言う存在は皆無。

ましてや、中等部卒業後は就職を考えていたのに、本家側からの恫喝に近しい命令もあって、嫌々高等部へと進学していた。


本来、自分のいる場所ではない…。


自分の居場所では無いはずなのに、自分が居ざるを得ない。

その嫌悪感が、ますます玲一が自ら進んで、クラスで孤立して行った理由でもあった。


たかだか隣の席同士になって数日、ひと言ふた言の挨拶程度で、クラリッタに、そこまで見透かされていたとは…。


だが、何故かここで玲一は、体裁を整える様な言い訳をせずに、「エスカレーター組だけど、基本ぼっちだからね」と、苦笑しながら答える。

親がいない事、学校の授業時間以外は、そのほとんどをバイトに費やしていた事。

全て「はしょって」説明してはいても、確かな事実であり、徹底的にカットしたストーリーだが、クラリッタに対して嘘はついていない。

だが、どうやらクラリッタには、それで充分だったらしい。


玲一について回る、寒々しい事情までは、承知している訳ではないのだろうが、クラリッタは玲一の告白を聞いて、笑う訳でもなく、

高いところからの同情を口にする訳でもなく、ただひと言「そっか」とつぶやき、素っ気無くも、真剣にそれを受け止める。


いや、受け止めた時だった。


ベンチに横になり、上目遣いに見上げていた玲一の様子が、電撃的に変わり、この静寂をブチ壊す、何か恐ろしい変化が起きた事に気付いたのだ。


それが何かはわからないのだが、確実に、異質で異様で、決して気を許す事は出来ない…


…そう。


それはまるで、異質な者が運んで来た圧倒的な悪寒、敵意。

それも、玲一やクラリッタの個人に向けられた敵意ではなく、

人類全体に対して向けられたかの様な、絶対に相容れない敵意。

まるで全身に電気が走ったかの様に、玲一はそのビリビリとした「挑発」の気配に気付き、

暗闇が広がる森の奥に向かって、飲み込まれないよう、負けじと睨みをきかせている。


平和な社会に生きる、普通の少女であったなら、クラリッタは玲一の緊張を不審に思い、

ぽかんとしながら、どうしたの?と、声をかけるのが精一杯であっただろう。

当たり前の話、闇を覗き、闇と対峙する思春期の少女など、そうそう世の中には、存在しないからだ。


好きな男性アイドルグループや、イケメン俳優などのゴシップ情報など、ネットなどを通じて、

それらの情報には詳しくても、人が肌で戦慄を覚える様な、闇の中に蠢く者どもの息遣いなど、わかる訳が無い。


だが、クラリッタは弾けた。


玲一の異変に気付いた瞬間、猫の様にしなやかに飛び上がり、彼女の首から下がっていたペンダントを引きちぎりながら、

空いた側の手で玲一の肩を掴み、「私の後ろにいなさい!」と、彼を押しのけ、

やはり玲一が睨んでいた森の奥に向かって、圧倒的な警戒感と共に、露骨な殺意を向けたのだ。


いきなりクラリッタに押し除けられ、面食らった玲一。

だが、玲一は玲一で、理由の無い、確証の無い戦慄に、押し潰されそうになっていたのは確か。

クラリッタに抗議の声一つ上げず、そして、学生服についた土埃を払おうともせず、

何が今起きているのか、そして自分と彼女の為に、何を避け、何を為すべきかを、模索し始めていた。


「お初にお目にかかります。サー(卿)クラリッタ・ハーカー」


 闇の中にはやはり、何かいた。

玲一は「何故だか」それをだれよりも早く肌で感じ、

そして、いち早く玲一の異変を信じたクラリッタのとった行動は、まさしく正解だった。


森の奥から現れたのは、青年とも、中年とも呼べない、中間の世代にいるであろう、スーツ姿の男性。

だが、もし普通の社会人であるならば、こんな闇夜の森に潜んでいる訳が無い。

病的なほどに青白い肌、生気のまるで感じられない表情。

それとうって代わる様に、ギラギラと輝く充血しきった目。

抑揚の無い声で挨拶して来た、その男性に対して、

クラリッタは挨拶を返す礼儀すら省略し、右手を上げてペンダントをかざす。


「お待ちください、サー・クラリッタ・ハーカー。本日は挨拶に赴いただけにございます。我が主が、あなた様に挨拶したいとの事。この神社の下で、車にてお待ちでございます」


階段を降りてください、そこに我が主の乗る車が、停車しております…と、

うやうやしく頭を下げながら、その男はクラリッタを促す。


「クラリッタ、何がどうなってる?」


「…奴はヴァンパイア。ビクティム(犠牲者)級の吸血鬼よ…」


クラリッタの言葉に、玲一は息を飲む。


確かにこの街は、いつからか妖魔と人間とが共存する街となっていた。

実際に実物を見た事は無いのだが、様々な人々の話を聞いて、

日本で、、いや、世界で唯一、神も悪魔も、妖怪も人間も、

共に日常を送る事の出来る街だと認識していた。

だが、よりによって、玲一が初めて目にした妖魔が、

人間との共存を拒み、人間を「家畜」と呼ぶ、恐怖の存在…ヴァンパイアであるとは。


どうやらこの吸血鬼は、クラリッタに用事があるらしい。

しかも、この吸血鬼の親玉のところへ、クラリッタに行けと言っている。

襲って来る事は無いが、だからと言って安心し、

彼女を単独でその…親玉のところに行かせるのは、危険過ぎる。

だけらと言って、一体俺に、何が出来る…?

クラリッタの背後で、別の意味で固まる玲一。


クラリッタを護る事に、あまりにも無力である自分に腹を立てながら、

それでも…自分の知識を総動員して、打開策を導き出そうとしているのだ。

そして、玲一のその前向きな地団駄は、クラリッタへと間違い無く伝播している。


パニックを起こして、ギャアギャアと叫んだり、この場から逃げ出そうと、見苦しい吐息を撒き散らす事無く、

彼の呼吸は落ち着いたまま、視線はしっかりとクラリッタを包みながら、ヴァンパイアを射抜いていたからだ。


「安心して玲一、私の右手にある物…これが怖くて、奴らは私たちに手が出せない。だから、しっかりと私の側にいて」


彼女にそう言われ、玲一の視線が、彼女の右手に移動する。

どこにでもありそうな、銀色のペンダントなのだが、この何が、ヴァンパイアにとって脅威なのか…。


十字架とか聖水、ニンニクなんじゃないのか?と、玲一が思案していた矢先、

クラリッタと対峙していたヴァンパイアが、全く似合わない、薄気味悪い笑みを口元にたたえつつ、

やはり抑揚の無い声で、言葉を漏らす。


「オレルアンの乙女ですね…。それを使われたら、我々はひとたまりもありません。御安心ください、我が主アラダール・ウシュカの名において、あなた様の御安全は、保証致します」


「…なるほど、ウシュカの血族か。まさか、ドラキュラ級の吸血鬼が、この地に来ているとは…」


その名前に、どんな意味があるのかは判らないが、クラリッタの額につつっと…

冷たい汗が、ひとすじ滴っていた。



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