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ドレッドノート・カプリチオ ~勇者狂想曲~  作者: 振木岳人
「それまで」の三人
3/74

クラリッタ・ハーカー 後編


 ヒドイ命令だった…。

この命令を下された者たちならば、10人が10人、そう思ったであろう。


先に突入したゲストであるクラリッタは、敵の完全排除を目的としており、彼女が先に対象にたどり着けば、

間違いなく対象は射殺され、殲滅されるだろう。

当初の目的…警察との契約通り、対象を確保するとなれば、クラリッタよりも先に、対象にたどり着かなければならない。

だがしかし、クラリッタは既に突入を開始し、ここにはもういない。

指揮官のメイベルからは、理由の如何すら説明されず、邪魔者として認定されたクラリッタの排除も禁止された。


(どないせいっちゅうねん)当惑はしているものの、さりとてボンヤリとしている訳にもいなかい。

クラリッタが敵にやられちゃえば良いのになあ、と、極めて不謹慎な願望を脳裏に浮かべながら、いよいよアルファチームは突入を開始した。


 だが、そんな不純な動機を抱く傭兵達などには歯牙にもかけず、一階から二階、二階から三階へと、

着実に階段を駆け上がるクラリッタ。

階段を昇れば昇るほどに、上の階で一体今、何が起きているのかが掴めて来る。


この5階建て雑居ビルの、一階から三階までは、テナントが入っており、四階と五階が、ビル所有者の自宅となっている。

階段を昇れば昇るほど、警視庁の警官部隊の怒号と喧騒が響いて来る事から、

彼らは突入した先の自宅内ではなく、四階の入り口で大騒ぎしているのがうかがえたのだ。


果たして警視庁の部隊は、突入を敵に察知され、自宅の入り口で足止めを喰らってしまったのか。

それとも敵が狡猾で、半数の部隊が屋内へ突入した後、入り口が遮断されてしまい、各個撃破の的になっているのか。

脳内でフローチャートを構築し、YESかNOを選択しながら、その矢印に沿って出現する新たな問いの数々に答えつつ、

予想出来る状況と、その際の自分の取るべき対応を構築して行ったクラリッタ。

四階へと駆け上がり、家主の自宅前の踊り場へと到着した。


そこは、凄惨だった。無惨だった。おおよそ、クラリッタが予想した最悪のケースが、その場で繰り広げられていたのだ。


 室内に突入した後に「感染」してしまったのか、二人の警官が、入り口の警官隊に猛然と襲いかかっている際中。

入り口にいた警官達は狼狽の色を隠さないまま、透明なライオットシールド(暴動鎮圧盾)でその二人を囲み、一方的な防戦を強いられている。


 今回の突入作戦、警視庁側はニ分隊、約二十名の警官を投入している。

だが、この場にいるのは、二名の感染者と、六名の警官。

つまり、あと十二名ほどの警官が、室内に取り残されている事になる。

警官隊が突入した際、分隊を二つに分断しつつ「感染」させ、即席ではあるが、新たな捨て駒の戦力を用いて、残りの警官隊を殲滅する。

自分の手は極力汚さない、何とも狡猾なやり方ではあるのだが、当たり前の話、それが闇に巣食う者の常套手段ではある。


 最悪のケースを予想していたクラリッタは、四階の踊り場でその光景の一端を垣間見ても、一切の動揺を見せぬまま、瞬時に、右手に握った拳銃の射角を探す。荒れた呼吸を整える暇など無かった。

扇状にライオットシールドで取り囲み、必死に感染者を抑え込もうとしている警官達の背後から、

ライオットシールドの間に強引に右手を滑り込ませ、容赦無く、まるで機関銃の様な素早さで、何度も何度も引き金を引いた。


パパパ、パンパンパン!


その場にいる全員が、許容範囲以上の炸裂音に鼓膜を振動させ、全身をこわばらせた瞬間、既に勝敗は決していた。

クラリッタが用意していた特殊弾頭、チャーチベレットが、感染者の息の根を、完全に刈り取ったのだ。


 ベチャリと倒れ込む、二人の感染者。

目を真っ赤に充血させ、牙を剥いて同僚に襲いかかっていた、その凶相は、今はもう無い。

まるで、何事も無かったかの様に、ひどく穏やかな死に顔で、横たわっていた。

ライオットシールドで、変わり果てた元同僚を押さえ込んでいた警官達も、

クラリッタが放った神聖な弾丸により、恐慌は収まり、呆然と立ち尽くしている。


さっきまで、、ほんの数十分前まで、同僚だった警官二人の、変わり果てた姿に、何とも言えないやるせなさを噛み締めながら、

彼らをかき分けて、グール(食屍鬼)の死体をまたぎ、入り口に向かうクラリッタの背中を、ひたすら凝視するだけ。

先ほどまでとはうって変わって、沈痛な静寂が、辺りを支配していた。


 吸血鬼には四段階の階級が存在する。

最下級はグール(食屍鬼)。ヴァンパイアが人間を咬んで感染させても、ヴァンパイアに「その気」が無く、

ただ単に、その場限りの食料となってしまった者が、生きる屍となって、生者の血肉を求めるのがそれ。


そして、グール(食屍鬼)の上位に位置するのが、ビクティム級(犠牲者級)ヴァンパイア。

ビクティムの単語通り、感染してヴァンパイアと化しても、自分の意思を持つ事が許されず、

まるでコウモリや狼の様に、上位ヴァンパイアの指示通りに動く存在であり、

更にその上位には、ドラキュラ級ヴァンパイア、ノスフェラトゥ級ヴァンパイアが存在している。

もちろん、上位であろうが下位であろうが、感染してヴァンパイアと化してしまえば、二度と人間に戻る事は出来ない。

感染者は人間に忌避され、排除される存在であり、それはつまり、倒すべき存在、殺すべき存在でしかない。


クラリッタは躊躇無く、問答無用で撃った。先ほどまで同僚であったこの、警官たちの仲間を、あっさり射殺した。

それは確かに正しい行為であり、警官達があのまま盾で防御していたところで、何一つ解決しなかった。


だが、しかし…

クラリッタの背中を見詰める、警官達の瞳には、

自分の中では解決できそうにもない、やり場の無い怒りが浮かんでいた。


 そんな警官たちの視線すら無視し、いよいよ、入り口の扉の前に立ったクラリッタ。

グールを倒してから、数分も経たない中で、荒れた吐息を整えてクールダウンを始める。

拳銃に装填されている弾丸の残弾を確認しつつ、腰を落として、左手をドアノブへと近付いた。

自分自身に対して、突入のタイミングを計る「タメ」の状態に入ったのだ。


すると、コトコトコトと、タクティカルブーツの硬いゴム底を、冷たいコンクリートの階段で鳴らしながら、

クラリッタに遅れて突入していたメイベルの部隊、アルファチームが到着する。


もう既に、戦端は開かれた。この後に及んで、クラリッタの邪魔をする積もりは毛頭無い。


戦力は一人でも多い方が有り難いし、出来れば自分たちのチームからKIA(キルインアクション 戦死)は出したくない。

今回ゲストで参加したクラリッタを、実力で排除するか追い越して、アルファチーム独自の作戦行動に戻すより、

クラリッタとは共闘した方が、部隊の生存確率は上がる。

クラリッタの実力は、背後に横たわるグールの死体が、それを物語っている。


クラリッタの実力を認めたのか、アルファチームは、呆然と立ち尽くす警官達をかき分け、

クラリッタの背後へと集合した後、中腰となって、クラリッタの動向を伺い始めたのだ。


アルファチーム1分隊、10種類計20個の視線を背中に感じたクラリッタ。

驚きも苛立ちもせず、チラリと部隊の先頭に立つランメルト上級兵曹と目を合わせ、拳銃を左手に持ち替える。

すると、右手で作った握り拳を、自身の肩の高さへと掲げたのだ。

世界各国の軍隊、作戦部隊で利用される無言会話術、ハンドサインの「止まれ」である。


その後もクラリッタは、ランメルト上級兵曹の目の前で、手のひらを見せたり、指を二本や三本立てたりと、

チャカチャカと目まぐるしく、ハンドサインで指示を送る。


"四階は"  "貴官の部隊で制圧"  "私は五階行く"  "二名"  "兵を貸せ"


ランメルトは、クラリッタの指示に異を唱える事は無く、コクリと頭を縦に振り、配合の部下にそれを伝え、命じる。


"3、2、1の合図"  "フラッシュバン(スタングレネード)投擲"  "突入する"


クラリッタと共に、五階制圧に向かうボランティア(志願兵)二名が、クラリッタの背後に近付き、準備が完了したところで、

クラリッタは一度拳銃をホルスターに収めて、スタングレネードを取り出し、考える間も無く、それの安全ピンを抜く。


二人の兵士の内一人もクラリッタに倣い、スタングレネードの投擲準備。

一人は屋内に蠢いているであろう者たちに気付かれぬ様、静かにドアノブを回し、クラリッタの合図を待つ。


クラリッタの指が3を示し、2を示し、そして最後に示した1が消えた後、

ドアノブを掴んでいた兵士が半分ほど、勢いをつけてドアを開けた。

すると、すかさずクラリッタともう一人の兵士が、「ピン!」と、音をはぜながらクリップが飛んだスタングレネードを、

屋内の通路へと投げ込み、抜群のタイミングで、ドアを開けた兵士が閉める。


バン!バンッ!!


鼓膜が破れるほどの、大音響に包まれる屋内。


敵の視界と、判断能力を一時麻痺させ、パニックに陥らせる為の撹乱兵器なので、

当たり前の話、中にいる者たちは、この突発的なトラブルに対処出来ないでいるはず。

一瞬の躊躇も無く、クラリッタとアルファチームはドアを蹴って、屋内へとなだれ込む。

屋内の間取りは、ブリーフィングで説明を受けて、頭に叩き込んである。

入り口に面したこの廊下の南側には、キッチンと応接間、居間が。

そして、廊下の奥に折り返して、五階に上がる階段があり、両親の寝室と、

クラリッタが目指すターゲット、今回の災いの中心である、少年の部屋があるのだ。


パン、パンパン!


スタングレネードの閃光と轟音で、目と耳をやられ、顔をかきむしりながらフラついているグールたちを、

二体、三体と「軽々」射殺し、廊下の一番奥に、早くも到着する。

アルファチームの二人はしっかりとクラリッタについて来ており、チームの残りのメンバーは、居間や応接間に突入を開始した。

それを視認、確認すると、拳銃に弾丸を再装填し、再びスタングレネードを手に、安全ピンを抜く。

それを階段の上方、五階廊下に向かって投げ込み、炸裂するタイミングを見計らいながら、階上に向かって、猛ダッシュを始めた。


バキンッ!


スタングレネードがはじけてからコンマ数秒、五階廊下に躍り出たクラリッタと二人の兵士。

廊下に敵の存在がいない事を瞬時に確認すると、足を止める事無く、部屋へ突入して行く。

手前左手には両親の寝室、廊下奥の左手には少年の部屋が。脅威レベルはもちろん、今回の制圧対象である少年の方が上。

したがって、両親の寝室に突入するより、少年の部屋に突入した者の方が、より危険度が増すのは必然。

だがクラリッタは、自分が率先する様に、危険度の高い少年の部屋に突入して行く。

それが彼女の、彼女なりの、、仲間に対しての精一杯の気遣いなのかも知れないし、彼女自身の矜持なのかも知れなかった。


バタン!と、乱暴にドアを開け、部屋の中に向かって、銃の狙いをつける。

そして、慎重に、素早く…、二歩、三歩と足を進めた。


 突入した少年の部屋も、電源は落とされているのだが、既に突入時点で暗闇に眼は慣れており、

フラッシュライトを使用するリスクを回避しつつ、この八畳ほどの部屋で、最終目標を視認する事は、それほど難しい話ではない。


カーテンは無造作に開かれ、曇天の空がきまぐれに、一条の月明かりをもって室内に手を差し出している最中の事。

クラリッタの立つ入り口の対極、勉強机を背に、少年は椅子に座りながら、悠々と新たな入室者を観察していたのだ。


部屋に突入してコンマ数秒の世界の中でも、月明かりに照らされる少年の姿は、顔立ちの陰影や、表情すらもはっきりと見てとれる。

真っ赤なルビーの様な瞳でクラリッタを凝視しつつも、口元には下卑た笑みを浮かべていたのだ。


敗北感も、危機感も漂わせていない、余裕に満ちた、クラリッタを見下す笑み。

それがこの少年の、今現在の心境をあからさまに語っていた。


ピクリ!


この、コンマ数秒の世界の中で、明確な殺意をもって、銃の引き金を引こうとしていた、クラリッタの人差し指が一瞬止まる。

思いがけない少年の動きに対し、躊躇したクラリッタは、フリーズしてしまったのだ。


「何の積もりだ?」


警戒心を隠す事無く、押し殺した声で、少年に語りかけるクラリッタ。

対照的に、少年は圧倒的な勝利感に酔いしれながら、余裕の表情を隠さずに返答する。


「積もりも何も、見ての通り。降伏ですよ降伏」


いやらしい笑みと、蔑みの眼差しをクラリッタに向ける少年。


勉強机を前に、椅子に座ったまま、クルリとクラリッタに身体を向けたその足元には、

首がちぎれかけ、あらぬ方向に顔が向いている警官と、完全に血を抜かれて、

ミイラの様にカサカサになって横たわる警官、二体の遺体が。

いずれも、少年が「遊んだ」のか、吸血鬼にもならず、食屍鬼にもならない、ただの死体…。

部屋のオブジェとなって、床に転がっている。

それに畏れを抱く事も、自分がした事に後悔する事も無く、少年は言葉を続ける。


「何ぼーっとしてるのさ、弁護士の先生と早く連絡を取りたいんだ。手錠かけるとか、連行するとかしてよう」


警戒を解かないまでも、軽くショックで呆けるクラリッタ。


無理もない。

人類と闇の眷族との、生死を賭けた闘いが、そこにあったはずなのに、いきなり敵が手を上げて、降伏の意を示すとは。

それも、弁護士と連絡を取りたいなどと、言い出すあたり、クラリッタには、予想だに出来なかったはずである。


だが、面食らって硬直していたクラリッタも、何が起きているのか、薄々勘付いて来た。

饒舌に語りかけて来る少年の言葉がつまり…、これが出来レースで、吸血鬼の側も、

政府の事情を既成事実化し、利用している事を物語っていたからだ。


「最初に突入して来る警官隊は、好き勝手に殺戮しても良いけど、第ニ陣の傭兵部隊には全面降伏しろって教わったんだ」


「専属の弁護士先生が付いてくれるんだ。あの手この手で無罪にしてくれるって」


「そもそも、ほら、僕は未成年だし。市民団体の圧力もおまけに付いて、悪くても医療少年院行き程度だってさ」


ゆっくりと立ち上がり、手錠をはめてくれとばかりに、自分の両手首を合わせながら、

せせら笑いつつ、クラリッタに近付く少年。

しかし、クラリッタはそれを良しとしなかった。終始、少年の表情から溢れ出る、ある種の「嫌らしさ」と、

口から繰り広げられる、小賢しい言葉の数々に、嫌悪感を募らせていたからだ。


それは、突入前にメイベルから聞かされた、日本政府とブロートブクリエ(真紅の盾)教導団との密約。

そして、マスメディアを利用した世論操作。それらと全く同質のものを、この少年の側からも感じていたからだ。


 確かに、今現在のこの国の流儀でいけば、少年は確保され、司法の場で裁かれるのであろう。

裁かれると言っても、裁判の場では、この少年の言う「お抱え」の人権弁護士が、あの手この手の、あらゆる茶番劇を披露し、

少年の罪を軽くする為に司法を汚し、裁判を汚し、被害者と遺族を汚した結果、どちらが裁かれているのか、全く分からない状況へと変質させるのであろう。


「まだ未成年」「更生の余地有り」「家庭環境で情状酌量」などと騒ぎ立て、

挙げ句の果てにはお決まりの「精神鑑定依頼」が飛び出し、

何年も何年も…、いや、何十年も裁判を長引かせる事になるのであろう。


だが、ちょっと…


ちょっと待て。


クラリッタは下ろし始めていた銃を再び構え、少年の額に狙いを定める。

彼女の肌をまさぐっていた嫌悪感を、彼女の信条を曇らせていた都合の良い言い訳を、

完全に打破出来るだけの、力強い言葉を思い出したのだ。


「良く聞け小僧」


自分と似通った歳の少年に対して小僧と呼び捨て、銃の照門と照星を合わせた先に、苛烈な殺気を注ぎ込む。


「良く聞け小僧。この世界ではな、人を殺したら、当たり前の話、罰せられるんだ。

それにな、未成年だからとかほざいてたが、それが適用されるのはあくまでも人間。

吸血鬼の貴様なんぞに、人権などない!」


イヤホンからは、各部屋が無事制圧出来たのか、兵士たちから続々と状況終了の連絡と、

クラリッタを心配するメイベルの声が飛び込んで来る。

目の前の吸血鬼の少年は、クラリッタの意外な反応にひどく狼狽し、彼女を口汚く罵りだした。


「貴様ら闇の眷族と人類は、この星で生きる権利を求めて闘っている。気の遠くなるほど昔からだ。

貴様がガタガタ言おうが、政治闘争に利用されようが、そんなものは関係無い。

我々人類が望む結果それは、貴様ら吸血鬼の完全排除だ!」


ちょっと待ってくれ、話が違う。俺を撃てば血族が黙っていないぞなどと、

狼狽を重ねる少年に向かい、クラリッタの右人差し指は、ほんの少しだけ力が入る。


パンパン!パンパンパン!


少年の部屋に、乾いた炸裂音が鳴り響いた瞬間、全てが終わったのだ。

複数の教会弾を、胸と頭部に叩きこまれた少年は、糸の切れた操り人形の様に「ぺちゃり」と床に倒れ、

体中から浄化の光を溢れさせながら、粉みじんに崩れていく…。


終わった。

クラリッタはメイベルの事情も、少年の事情も、日本政府の事情も、全ての事情を無視し、引き金を引いた。

それこそが、本来あるべき姿であり、女王陛下から賜った、ヴァンパイアハンターの称号を持つ彼女が、

当然として為すべき事であったからだ。


人類の敵であり、最大の脅威であった、ヴァンパイアの廃除は、人類の悲願。

降伏の意を示すヴァンパイア。それも、その後に予想される極めて「嫌らしい」駆け引きで、

命が保証されるヴァンパイアなど、悪い冗談でしかない。

つまりは、クラリッタは当たり前の事をしたに過ぎない。

責められる事でもなければ、後ろ指をさされる事など、微塵も存在しないのだ。


 ……だが、どうにも後味が悪い……


当たり前の事をしたに過ぎないのに、達成感も気持ちの良い疲労感も無い。

自分の行いを反芻してみても、非の打ちどころなど無いはずなのに、

何故か、前を真っ直ぐ見据えられない、悪寒が背中を撫でる様な、後悔に襲われている。


訳あって主戦場であったヨーロッパから、極東の島国へと渡り、主戦場をこの日本でと考えていた矢先の、この出来事。

ドロドロと渦巻く、様々な思惑と、両手両足を縛られながら、全力疾走を強いられるかの様なこの感覚は何なのか…。

彼女は、もう既に答えを導いていた。

そう。クラリッタは、それが軽い絶望だと悟っていたのだ。


 ぼやきもせず、怒りや呪いの言葉も発せず、終始無言のまま、後始末すらも放り出し、ビルの外へ出ようと、トボトボと階段を下る。

現場検証の為に階段を駆け上がって来る、鑑識課や、刑事課の職員と肩がぶつかっても、エクスキューズも言わなければ、怒りもしない。

早くこの場から逃げ出したい…。そんな気持ちを丸めた背中で表現しつつ、雑居ビルの一階、出入り口まで出て来た時、

今一番会いたくない相手…。指揮官のメイベルと、ばったりと鉢合わせしてしまう。


「無事だったか」


あれほど無線では、クラリッタの名前を連呼しながら怒鳴り散らしていたのに、

今のメイベルは、両手を腰に当て、ため息をつきながら、呆れ顔で立ち尽くしている。


何を話して良いか言葉に詰まっていたクラリッタではあったのだが、部隊に迷惑をかけた事は揺るぎない事実。

素直に謝罪し、いかようなペナルティも受ける事を伝える。


「まあ、やっちまった事はしょうがないが、…このまま部隊にはいられないぞ」


信頼関係で構築される特殊部隊にあっては、完璧な意思疎通と、完璧なるチームワークが要求される。

独善的な者や、独断的な行動をする者がいれば、それは即、部隊の兵士の死に直結するからだ。


メイベルに言われるまでも無く、クラリッタは部隊から去る事をあっさりと告げ、身をひるがえし、深夜の都会を歩き始める。


「お、おい!クラリッタ!荷物はどうするんだ。屋上にバレットを置いたままだろ!」


「くれてやる、好きに使えば良い。私にはもう必要無い」


つまり、この国でもう、狩りはやらない…。


彼女のその声には、寂寥感が多分に含まれていた。


 やれやれ、断筆かよとあきれながら、ポケットからクシャクシャになった、マルボロメンソールを取り出し、火を点ける。

肺からたっぷりの煙を、プカアと吐き出した時、彼女の元へランメルト上級兵曹が駆け付けて来た。

突入作戦の、最終的な報告に訪れたのだ。


だが、上級兵曹もクラリッタの後ろ姿に気付いたのか、報告もそこそこに、小さくなって行く彼女の背中に、視線を奪われる。


「追放ですか。まあ、しょうがないですね」


「…ダンスパーティーに欠席しても、誰も気付かない。…それが俺なのさ」


「はい?隊長、何ですかそれは?」


「ジョン・ランボーの名言だよ。知らないのか、マスター・チーフ(上級兵曹)」


突拍子も無く、急にセンチメンタルな事を言い出したメイベルを(また始まったよ)と、痛々しく思い、

深入りしない様にしていたランメルト上級兵曹。

だが、意外にも彼女のその言葉が、クラリッタの今を的確に言い表しているのだと、

気付くのに時間はかからなかった。


 上級兵曹、見ろよ、さっきまでクソ生意気だったあの子の、惨めで小さな後ろ姿を。

サー(卿)・クラリッタ・ハーカーはな、自分が時代遅れの存在である事を肌で感じつつも、必死にそれに抗っていたんだ。

大英帝国では昔から、妖魔の討伐は貴族の果たすべき義務であり、誉れ。

女王陛下の名の元に、貴族たちは進んで妖魔討伐に、命を捧げていた。

だが、時代が変わり、近代においてそれは、軍隊の役目にシフトしつつあるのが現実。

君も聞いているはずだ。英国の特殊空挺部隊(SAS)に、妖魔討伐専門の中隊が設立された話。

もうさ、貴族なんかがしゃしゃり出て来る時代じゃないんだ。

ヴァン・ヘルシングと一緒に、野山を駆け回っていたあの、古き良き時代とは、全く違うのさ。


ハッカが強烈に効いたタバコを、美味そうにくわえ、ぷかぁと濃い煙を吐き出す事で、

饒舌だったクラリッタの解説を一旦止め、感慨深げに彼女の背中を見つめるメイベル。

その間をぬって、ランメルト上級兵曹が「この先、彼女、、どうするつもりですかね?」と、ガラにも無く心配すると、

クラリッタの先が見えているかの様に、メイベルはしたり顔で、再び語った。


「療養と調査を兼ねて、彼女の両親が長野に滞在している。多分クラリッタは、長野に行くんだろうね。

そして、時期が来たら必ず、私の元へと帰って来る」


「はあ?帰って来ちゃったら困るでしょうに。隊長だって、厄介払い出来て、ホッとしてるはずですよ」


「困るも何も、私はあの子が好きだ。覚悟を決めて戻って来たら、1ユニット、彼女に任せるつもりだよ」


散々彼女にかき回されて、報酬を得る事すら危ういと言うのに、いきなり何を言い出すんだこのお嬢様は、と、

目を白黒させながら、メイベルの顔を覗き込む上級兵曹。

だが、元々メイベルにはその気があったのか、上級兵曹の抗議の視線などお構い無しで、ニコニコと微笑み始めた。


「能力の高さはもとより、あの気高さと責任感は抜群だ。良い下士官になるよ、彼女は。マスター・チーフも、それは分かっているはずだ」


「そうですね。確かに彼女の資質には、特筆すべきものがあります。しかし…」


長野ですか…


その言葉を最後に、上級兵曹の言葉は終わった。


クラリッタが赴くであろう「長野」に一体、何があるのかを、彼は知っていた事になる。

そして、メイベルが最後に呟いた言葉は、「そのうち飽きて、帰って来るさ」。

この言葉をもってしても、上級兵曹だけではなく、メイベルも何かを知っていた事になる。


いよいよ彼女の姿は小さくなり、街路灯に照らされる彼女の姿は、豆粒大へと変わって行く。

メイベルが差し出したマルボロメンソールをくわえ、感謝しながら火を付ける。

上級兵曹が吐き出した真っ白な濃い煙に紛れ、クラリッタの姿は消えた。









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