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4回目




「八重垣さま、どうかなさいましたか?」

 暑さの厳しい外とは違い程よい空調の効いている屋内は、午後ということもあってか少しばかり気だるい。いや、そんなことを感じるのは、尊に付き合って八重垣が昼寝を決め込んでいたからだろうか。

 遊戯室でいつの間にか肩にもたれてきて舟を漕ぎはじめた尊につられて、

「まいっか」

と、八重垣はそっとカーペットの上に横になった。そうして気がつけば、三時前。起きた八重垣は、尊がいなくなっていることに気づいて館の中を探し回っていたのだった。

「あっ、松谷さん。尊見なかった?」

「尊さまですか?」

「そう」

「二階のサンルームでお見かけしましたよ」

「そ。サンキュ」

「後からお茶をお持ちいたします」

と、松谷が声をかけるのに手を振って応えた八重垣はサンルームに向かった。

「尊、いるか?」

 二階の廊下のつきあたり、当然日当たりのよい開放的な一角がサンルームである。入り口にドアはない。たくさんの観葉植物が置かれている。

 八重垣には葉っぱを見て楽しむ趣味はないので、妙な形の木や葉や蔦だよなとしか思わない。しかし、見るものが見ればかなり珍しい種類が混ざっているらしい。

 崖に向かって張り出したガラス張りの部分の天井は強化ガラスで、一層のこと開放的な印象を強めている。そちら側の天井からは絞め殺し植物のしだれた葉が茂っている。枝垂れた葉を透かして緑と琥珀のまだらに室内が染まっているような気がする。普通の家より天井が高いから、威圧感はあまりない。

 入ってすぐのテーブルの上には、溶けた氷のせいでミルク色にぼやけたアイス・ティがのっている。ということは、尊はこの部屋にいたのだ。

 しかも、テーブル中央の灰皿に煙草がまだくゆっていることを見れば、誰かと一緒にいたのだろう。

「なんか、面白くないな」

 自分と今まで遊んでいた飼い犬が、お気に入りの配達員が来た途端に自分から離れていった時に感じるような、そんなつまらなさだった。

 嘯いた八重垣が踵を返す。

(なんだ?)

 それは、直勘だった。

 ほんの些細な、かすかな気配を八重垣は感じて、部屋の中をもう一度今度はじっくりと観察した。

 空調の風に観葉植物の葉末が気持ちよさげに揺れている。ほかにひとの気配もないような静かな室内は、南側の崖にせり出した一面ガラスの壁の前にだけ衝立が置かれている。

(レースのカーテンを引いてあるのに衝立まで置くか?)

 さっきまで無視できたことだったのに、趣味とか嗜好とか色々理由があるのだろうが、なんとなく気になった。

 そうして衝立の奥を覗き込んだ八重垣は、目の前の状況を理解するのにかなりな時間を必要とした。

 衝立を無理矢理スライドさせて、

「なにやってる」

 声が、低くかすれた。

 仁王立ちした八重垣の鳶色の瞳は、厳しく眇められている。

 尊を背後から抱きすくめているのは、叶の取り巻きのひとりだった。その手がシャツの内側に潜り込んでいるのを、八重垣は確かに目にした。

(たしか、結婚してほしいとかいってるやつだよな)

 ひとに見られては言い訳のしようがない体勢に、焦った男が尊を放す。

「八重垣っ」

 尊の空白だった表情がくしゃりと歪んだ。

 伸ばされた手を掴んで尊を手繰り寄せた。

 肩に額を伏せて震えている尊の背中を軽く叩いてやりながら、八重垣は男を睨んだ。

 スタイルのよいハンサムな部類に入るだろう背の高い男が、退路を探るように視線を巡らす。

「あんた、なんてことを!」

 詰め寄る八重垣に、男は首を左右に振った。

「ち、違う…………」

「なにが違うんだよ」

 一歩踏み出した八重垣につられるようにして、男が後退する。

「そ、そいつが誘ったんだっ!」

 男が指し示すのは、尊だった。

「あんた、言い訳なら、も少し考えろよな」

 息を吐いて激昂をなだめながら、

「尊。も、大丈夫だからな」

と、今度こそほんとうに踵を返した八重垣だったが、

「っ……か、う…………彼女に、言うのかっ」

 言わないでくれと、縋りつかれて、

「……………………」

 首をかしげた。こういうのを見逃しにするのは本意ではない。かといって告げ口するみたいで、後味が悪いというのも事実だったりする。

(いやいや、告げ口とかそういう問題じゃない! これはどう考えてもやばい案件だろう)

「尊は、どうしたい」

 決めかねた八重垣は、尊に振った。

 尊が、ゆるゆると顔を上げる。

(まただ)

 八重垣の背中を、戦慄が駆け抜けた。鋭く研ぎ澄まされたナイフの刃先が向けられたような気がして、全身がおののきに震える。

「尊?」

 八重垣が掠れた声で呼んだ時には尊はいつもの育ちのよい坊ちゃん然とした表情を引き攣らせて、男を見ていた。

「出て行ってください」

 しかし、口角の持ち上がった男にしては赤いくちびるから押し出されるようにして放たれたことばは、しっかりとしたものだった。

「母にも、僕にも、もう二度と!」

「わ、わかった。もう二度と、近寄らない」

 汗をしたたらせながら男はそれだけを投げつけるように言うと、サンルームから逃げ出したのだ。その後、この男をここで見かけることはなかったことから鑑みるに、男は出て行ったのだ。

「落ちつけないかもしんないけどさ、ちょっと、そこに座っとけよ」

 尊をソファに腰掛けさせて、八重垣は乱れたレースのカーテンと衝立とを元のように戻して、向かい側に座ろうとした。と、

「こっち」

 自分の横のスペースを叩いて、尊が八重垣を呼んだ。

 すとんと、思い切りよく腰を下ろした八重垣に、尊は、

「ありがとう」

と、つぶやいた。

 その双眸の色に、八重垣は惹きこまれてしまいそうだった。

 ぼんやりと魅せられたように、尊を見返していた八重垣は、

「失礼いたします」

 ワゴンにティー・セットをのせてやって来た松谷に、我に返ったのだった。


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