episode06
Dが飛び出したさなか、Tは背筋がかゆくなる視線に後ろ振り向いた。彼を援護するために、意識して捉え続ける必要がある。にも関わらず、気色悪い気配に周囲を窺ってしまう。まるで蛇。肌寒い印象を受ける蛇が、自分を見ているような気がした。
――いつでも喰えるぞ
そんな威圧感のある視線が、Tの肌に汗をかかせる。
後ろに人影はない。銀行であったと思われる室内。ひと気のない場所で、壊れたキャッシャーが散乱している。家具には傷やヒビが入り、観葉植物は枯れ落ち、土をぶちまけながら横に倒れていた。薄暗い室内の中で、彼女は一人――。
左右を振り返ると、赤黒いシミのついた壁しかない。銃弾が撃ち込まれた痕がある。
どこだ、と彼女は焦り始める。心臓が締め付けられるような視線。
誰が、どこで自分を見ているのだ――と彼女は焦燥感に駆られる。
「まさかッ……」
彼女はふいに頭上を見上げ、驚愕する。
そこには女がいた――。逆さまの状態で、白髪の女が見ている。
サーカスの宙吊り。天井にも触れず、何の支え無しに女は立っていた。逆さの状態で、仁王立ちしている。眼は金色の輝きを放ち、無表情のままにTを見ろしていた。
咄嗟に、Tは飛び退いて、距離を置く。銀行のカウンターであったと思わしき場所。その裏に飛び込んで、身を隠す。誰だ、あれは――。
そこで思い出す。Dが美しい処女と表現した女。
酒場でガスマスク男と一緒にいた、白い髪の女だ。そいつがどうして?
「あらあら、怯え方は可愛いですわね」
白髪の女は、小さな手を口に当てて笑った。状態は逆さまのまま。
「何なの? 目的は何? そもそも誰よ? 何がしたいの?」
数々の疑問が、口という狭い門を溢れ出す。
「私に譲ってほしいのですわ、彼を――」
白髪女はふわりと身体を反転させ、ゆったりと地面に足を下ろした。
「あのお馬鹿さんは、あなたの手に負えないわよ」
恐らく、白髪女はDのことを『彼』と言ったのだろう。
なぜか、Tは足の義足兵器を可動させていた。義足兵器とは彼女に足に装着された違法武器のことである。あまりに殺傷能力が高いため、他の地区では制限がかかっている。
キーンと高音が響き始め、下半身に超振動を感じ取る。いつの間に自分は義足兵器を起動させたのだろう、と彼女は自分ながらに驚いた。無意識だった。いつも義足兵器は自分勝手に唸り始める。困ったものである。
「あなた、彼を取られるのが怖いのですわね。可哀そうに……」
冷ややかな眼で、白髪女はTの様子を眼に焼き付けている。
「別に、私は自分の命を守りたいだけ」
「あらそうかしらァ? 彼を束縛したいのではなくて? 本当は、私におもちゃを取られたくなくて、恐がっているのではないかしらァ?」
うふふ、と優雅に笑う白髪女がTは憎らしかった。上から目線でもあり、何か分からない嫉妬心を覚える。あの余裕が腹立たしい。
「気持ち悪い白髪ね。御婆ちゃんにでもなっちゃったの?」
挑発的な目つきで、最大限に憎たらしい笑みを彼女は浮かべた。ぴくりと白髪女に頬で変化がある。引きつったような反応だ。図星か、とTは内心ほくそ笑む。
白髪と言うのは、突発老化の症状に当てはまる。髪の色素が抜け落ち、瞬く間に白へ変わるらしい。それだけじゃない。生殖機能にも衰えが見え、妊娠不可能な身体へとなってしまう。もっと怖いのが、制限爆弾である。白髪化してから十数年のうちに、制限爆弾が弾ける。一気に老化物質が身体に蔓延し、途端に身体は朽ち果てるのだ。髪は抜け落ち、歯は溶け、肉は腐敗臭を出して骨だけの姿に変貌する。
直す手段は、莫大な資金のかかる最先端手術か、全身改造しかない。
「私も昔は、あなたみたいな艶のある黒髪だったのですわ……。すごく滑らかで、自慢だった」
暗い表情で白髪女は言った。
「なら、抜けた髪をあげましょうか? ま、手入れのおかげであんまり抜け毛がないのだけれど……」
皮肉たっぷりにTは言った。
「その必要はありませんわ。あなたの髪、全部私がむしり取りますもの」
「あらそう。なら、名前を聞かせてちょうだい。盛大に馬鹿な女がいたと、笑い話にするために、聞いておきたいの」
「私はゼロですわ。あなたの冥土に持っていくとよろしくってよ」
Tは義足兵器の調子を確かめる。超振動によって可動域は温まっていた。準備は整う。後は、好き勝手にしゃべる白髪女の骨髄を粉砕すれば良い。
「じゃあ、とりあえず死んでくれる?」
義足兵器で銀行のカウンターを蹴る。強烈な爆発音が室内に響き、カウンターは木端微塵に吹き飛ぶ。煙が立ち込めた。その中から、殺気に目を光らせたTが飛び出してくる。足は耳をつんざく高音を響かせて、義足に刻み込まれた隙間から、ブルーの光が漏れ出していた。
破壊力は抜群である。軍事施設を強襲した際は、この義足兵器の二足のみで、戦車も戦闘機も破壊しつくした。一般の処女が直撃すれば、ひとたまりもない。
肉片どころか、遺骨さえも残りはしない。文字通り消息不明。この世から一瞬にして消し去ることが出来るのだ。
「は、速いですわッ!」
ゼロは驚いて、すぐさまTの直進を避けようとする。
無駄よ――一瞬にして音速に到達する義足兵器を視認したところで、間に合いはしない。じゃあね、ゼロさん――と別れの挨拶をする。
「な~んて、余興をかましてみましたわァ」
次の瞬間、ゼロはにやりと笑って、腕を構えた。
見えない壁がTを押さえつける。前蹴りをかます彼女の義足兵器は見事に息を仕留められ、全く動けない。ゼロの目前で、悔しさに震えた義足兵器が唸り声をあげている。だが、どうあがいてもゼロの壁に阻まれる。
「何よこれッ!」
「幸福との代償で手に入れた、死神ですわ――」
「まさか特殊能力なのッ!?」
Tは噂で聞いたことがある。処女には、時折、特殊能力を兼ね備えた存在がいると――。だがあくまで都市伝説に近いものだと思っていた。実際に自らの眼で目撃したことはない。話には聞いていたが、半信半疑だった。
しかし、処女である彼女が処刑人であるガスマスク男と、平然と歩けるにも辻褄が合う。彼女は間違いなく特殊能力を持っている。
「タイガー2!」
Tは言うと、義足兵器は彼女の言葉を認識し、形状を変えた。足の先端が主砲のように穴を開ける。筒となった義足兵器はさらなる高音の怒鳴りを挙げて、筒の先端に光の高エネルギー球体を発生させた。これは本来、滅多に使うことがない。
相当な緊急事態でないと、Tも義足兵器《タイガー2》を他人に見せないのだ。
しかし、今は対処不能な未知の特殊能力に恐れがある。このままでは殺されると、彼女は瞬時に判断したのだ。
「死ねッ!」
高エネルギー球体の周囲に、眩いリング――球体のすぐ付近にかかったリングは、瞬く間に拡大――高度に濃縮されたエネルギーが、咆哮となって解き放たれる。膨張し、ゼロの周囲丸ごと消滅させる勢いで、飛び出した。
――それも無駄だった
「うふふ。愉快ですわァ。苦し紛れの一撃さえも、平然と止めてしまう私。きっと彼もそんな私を気に入ってくれますでしょう。このご主人様なら、命さえも捧げることが出来る――と」
彼女の周囲には視認不可能な高圧バリアがあるらしく、一切の傷をつけることは出来なかった。
解き放たれた義足兵器の最後の咆哮は虚しい。光の速さで拡大し、ゼロを飲み込むはずだった高エネルギー放射は、呆気なく丸め込まれてしまう。
そのままゼロはその圧縮した球体を、見えない何かで粉砕した。
「あなた、何者なのよッ!」
ゼロは答えない。Tの怒りの問いかけを悠々と無視。
「グッバァイ♪」
腕を前に構えたゼロは、手をぎゅっと握りしめる。
機械の潰れる音がした。それだけではない。腕もだ。生身の肉体である、両腕も砕け散った。
義足兵器は見るも無残に破壊。機械のボルトや、破片、エネルギー固体が花火のように破裂された。先ほどまであった両腕は、経験したこともない痛みを肉体へと送った後、消えた。Tの神経と遮断され、腕は存在しなくなった。接合部分である肩からは血が噴き出して、腕も足もない状態で地面に落ちていく。
その時間――死神が首を絞める幻想――ゆったりとしたスローモーションで、彼女は憎悪の表情を浮かべた。見下ろすように、ゼロが満面の笑みを見せつけていたのだ。
小さな蟻を悪戯で殺すような子供――そんな無邪気で不気味な笑顔だ。
「どうしてよ……」
遠くなる意識の中で、Tは呟く。なぜ殺さないのか――。
足と手だけを潰し、心臓や肝臓と言った急所を狙わなかったのはなぜか。彼女は不思議だった。その後に、理解する。ゼロは、究極の屈辱を与えようとしたのだろう、と。
殺す価値もない雑魚。その言葉の響きが彼女の心を大きく打ち砕いた。
――ああ、私、弱かったんだ
Dを護るどころか、自分の身すら守れない。
彼女は情けなくなって、泣いた。