episode05
黙は泣虫こと、凛の命令通り、動いていた。彼が受けた占いによれば、この場で不運な出来事が起こるそうだ。よりによって、収納箱の受け渡しが、今日――。占いで不幸の判決が下された忘却の犬だ。
『単独で来い』という口約を破ってまで、黙とゼロを護衛に配置することは当然に思える。心配性で、臆病な凛だ。自分の命を心配して護衛を重視させるのも無理はない。命令は一つ。死んでも守れ――だ。はたして、この身を捧げてまで凛を守る価値があるのか。黙は疑問である。
だが、依頼であるから仕方がない。黙は義理と人情や、責任と言った堅いものを重要視している。昔は何度も裏切られた経験があり、今は思い出したくない悲劇もあった。それ以来は相手に期待しないが、自分はポリシーを守ると決める。ただの意地だ。
「お前はガキか? たった数分も言いつけを守れないのか?」
黙はガスマスクに搭載された通信機器を使い、ゼロと会話を行っていた。
回収屋であり、裏店主であるヴァリーが経営する酒場。彼女が姿を消した後、彼はまず収納箱を優先させた。凛の部下へ受け渡し、次にゼロへと連絡を取る。何度かコールしても返事が無かった。零時過ぎには、凛と木村で受け渡しが行われる。護衛を要求された彼は、ゼロを探す余地もない。渋々、彼女を無視して廃墟群の物影に隠れていた時、着信があった。彼女だった。
「あら、レディーを待たせる男性なんて、約束を守る価値もありませんことよ? ふふふ」
「自分勝手な女は嫌いだ」
「人間はみんな利己主義ですわァ。愛護や、慈善活動なんて、相手のためと思っていても、実際は違うのですの。本心では、相手に愛情を与えられる自分が素敵! なんて酔いしれているに違いありませんわァ。この世には、慈悲深き女神など存在しないのです」
「だからって、お前の基準で動かれては困る」
「あら、泣虫ちゃんを護れば良いのでしょう? そんなこと、朝飯前ですわァ。あなたの無駄な援助も必要ありませんことよ」
「ああそうかい。俺もお前は必要ない。邪魔したな」
「グッバァイ」
ゼロは上品気取りに別れを告げると、唐突に電話を切った。
黙は自分から捨て台詞を吐いて着るつもりだったので、後味の悪い終わり方に不満である。振り回されるのは好きではない。特に、凶悪犯や強敵ならばまだ納得できるものの、たかが処女。ましてや特殊能力すら開示しない謎の女にだ。振り回されて喜ぶ男がどこにいる。一部のマニアには受けるかもしれないが、黙は他人にリードを取られることを嫌った。
ふざけるな――内心、ゼロとの絶縁を決めながら、彼は凛を見る。
丁度、彼の手から収納箱が手渡された頃だ。木村は冷淡な目つきで笑って、何かを話す。見下した態度を取りながら、凛を脅しているようでもあった。
泣虫こと凛は突然に泣き崩れて、木村の足にすがる。
咄嗟に黙の足は動き出していた。廃墟群の物影――寂れた洋服店から飛出し、凛の元へと走り出す。
あれは合図なのだ。身の危険を感じた際に、救援を求めるSOS。もし自分が泣く演技をし、地面に足をつけたら、飛んで来い、という指令である。
――パァンと銃声が鳴った。思った以上に、木村の決断が早い。彼が胸のポケットから、自動拳銃を取り出した際には、すでに射撃されている。死んだか、と様子を見ながら凛を見ると、生きている。精密義眼で視力の向上を図ると、凛の額寸前で停止する弾丸の姿。どうやら、誰かしらの能力で空中で推進力を失ったようである。さらに重力も働いていないのか、空中に停止したまま、一向に落ちる気配がない。
木村による悪戯か、凛本人のものであるかは不明。とにかく援護に向かうべきだろう。
すると、今度は別の人物が出てくる。赤い髪の毛をした青年。あの酒場にいた奴だろうか。
片腕を発火させながら、木村目がけて走りだしていた。狙いは恐らく、収納箱か木村の命――。凛は人質としても機能しないため、彼から凛を護衛する必要はないだろう。
次に、高層ビルの入り口から、長いロングコートをなびかせた男。手には今どき古臭い回転式拳銃が納まっている。見たところ、裏の住人ではなさそうだが、狙いが掴めない。彼の表情には殺気がなく、何を重視しているかさえ想像できなかった。
――とにかく、凛の保護が優先である。
廃墟群の中心に位置した忘却の犬。そこへ全力疾走しながら、肉体可動制御システムの限界値を上昇させ、筋力と腕力、脚力などの身体能力底上げを図った。
機能した途端、ぐんと彼は速度を上げて、凄まじい一歩を連発していく。
凛の身柄確保まであと数歩と言った距離。急に、何者かが降ってくる。
ビルの屋上やあちこちの階層。ガラスの割れる音が響いて、黙たちに敵襲。
突如として現れた謎の集団は、珍妙な格好だった。骸骨のマスクに、骨の描かれた衣服。手にはサーベルを持ち、頭には多種多様なバンダナを巻いている。眼の奥は赤く発光していた。
――まさに、書籍で見たことのある海賊だ。
襲い掛かる海賊集団に黙は煙幕を使用。腰のベルトに装着させた煙幕装置で濃密な煙幕を周囲に展開させた。その煙には、涙腺を刺激する成分も含まれており、ガスマスクなしでは、たちまち視力を奪われてしまうだろう。
胸に取り付けた拡散捕獲手榴弾を煙の中に放り込んで、ひたすらに走り出す。そして長身のガスマスク男――黙だけが煙を切り裂いて、飛びだすのだった。
次第に煙が薄くなる。空中へと分散して消えた煙に残された海賊たち。
彼らは極度に密着した状態――がんじがらめでネットの中に捕獲されていた。電気が走り、動けずにいる。だが、不気味にも彼らは悲鳴一つあげようとはしなかった。むしろ、電気ショックは痛くもかゆくもない、と言った具合で、押し黙ったままだ。
その点に黙は人形のような印象を受けたが、考えるのはいったんやめる。
まずは、凛の保護が最重要項目だ。雑魚に付き合う暇は無い。
前を向きなおすと、同じように奇襲を潜り抜けたらしい二人も、素早く手足を動かしていた。
異常に呑気な顔をした男は、遠くから放たれた弾丸に守られている。音と射撃間隔から察するにSVDだ。廃墟ビルのどこかで、有能な狙撃手が援護しているらしい。
赤毛の男は、単独で乗り切っている感じだ。右手から発せられる高火力なバーナーで、海賊たちを殺傷していた。薙ぎ払う形で、突破している。
ついに、黙は凛の元へとやってくる。彼は心配そう顔でガスマスクを見つめ、尻餅ついたままだ。対照的に、木村は妙に落ち着いている。ショーを楽しむかのように笑い、忘却の犬に集った人物たちの様子を窺っていた。まるで役者を好奇な眼で観察する批評家さながらの態度だった。
――まさに役者はそろった
「これはこれは、皆さん御揃いで」
木村は芝居がかった演技で、集まった男たちに語りかける。
黙、赤毛の青年、無気力な男、泣虫。四人の男たちが、忘却の犬を取り囲む形で、木村を捉えている。
「た、頼むよ木村! 命だけは助けてくれ! 約束は守ったんだ!」
凛は無様に頭を下げ、必死に木村へ許しを請う。
「ガキがあんまり舐めた口晒すと、痛いめ見るぞ……」
陽気な態度とは打って変わり、木村の眼は鋭かった。ドスのある声で、凛の喚き声を一瞬で止める。そしてまた、静かに笑顔を浮かべる。
「久しぶりだな、木村。受けた傷はまだ治らないか?」
もじゃもじゃした頭の男が木村に話しかけた。何やら、知り合いであるらしい。
「よォ、元気してたか? モズク……。お前のおかげで一段と畏怖される顔になっちまった。どう責任とってくれるんだ?」
木村は鋭く赤い眼を光らせながら、笑った。頬の切り傷をさする――。
「今日はお前に御縄のプレゼントだ。ありがたく受け取れよ」
モズクと呼ばれた男は、煙草に火をつけながら言う。
「おお、それはありがたい。なら俺からも、いい贈り物をしなくちゃな……」
会話の雰囲気はまるで友人のようでもあったが、敵対心が垣間見える独特の緊張感。
「お取込み中悪いが、木村さんよォ。あんたの首、俺がもらって良いかァ?」
赤毛の青年が言う。不敵な笑みが浮かんでいた。驚くことなかれ、木村、モズク、赤毛青年の三人は、例外なく満面の笑み。明らかな緊迫感で、場は不釣り合いなほど陽気な笑顔が飛び交っていた。
「何だ糞ガキ……? 殺し屋気取りとはアニメの見過ぎか……? つまんねー冗談言ってないで、家かえって勉強しろ。それか自慰行為にふけってれば良い」
「おっさん、あんたの顔の切り傷、最高にクールだね。馬鹿みてぇだッ!」
赤毛の青年は威勢よく吐いて、笑う。
「その切り傷、俺がつけたんだ。極悪非道な木村には、似合うと思ってね。センスあるだろう? 俺にも少し褒め言葉をくれないか」
モズクは煙草をふかしながら、リラックスした表情で笑っている。
「こりゃ良いぜェ。良かったら今度、俺のケツにでも刺繍を施してくんなァ」
「おっと、俺に悪い趣味はないんだ。一応、昔は魅惑の美女と付き合ってたしな」
「ああ、そういえばそうだったな、モズク……。あの女、元気にしてるか? ありゃ良い女だったよな。綺麗でミステリアスで、官能で危険な香り……。あいつに惚れない男はいないだろうよ……」
木村は遠い眼で、残念そうな顔を浮かべた。
「残念ながら、死んじまったよ。どこかの切り傷男のせいでな」
モズクはふぅーと紫煙を吐いて、煙草を投げ捨てた。
「それはご愁傷様だ。元気出せよ、おっさん」
赤毛の青年は励ましの言葉を送る。ありがとよ、とモズクは言って、ポケットに手を突っ込んだ。猫背で、長身が低くなる。
黙は唯一、会話に入れずにいた。それはシャイだからとか、関係について来れないからではない。これは探りだ。各々が相手の出方を窺って、攻撃の瞬間を逃さぬように眼を光らせている。それが黙には理解できた。長年の殺しの感が訴えかけている。
迂闊にしゃべれば、激動の渦中に呑み込まれると――
時として、言葉は凶器にもなる。ジャックナイフより鋭く、砲撃より重い一撃。些細な言葉が、相手の精神を深くえぐり取る。さらに言葉は、起爆剤にもなり得るだろう。相手のかゆい部分を突いて、導火線に火をつける。日常会話でも使うような普通の言葉でさえ、状況によって相手の怒りを買う言葉になる。一触即発の場面では、配慮のない発言が修羅場を生む。
つまり言葉は優秀なコミュニケーションツールであると同時に、危険な代物でもある。理性を失いやすい人間、冷静に成り切れない人間が容易に扱いきれる道具ではない。金にも、愛にもなり、武器にもなる言葉は、注意を払って扱うべきであるのだ。
では、その扱いの難しい言葉をどう制御するか。
黙にとっては単純明快な結論だった。
――黙れば良い
口を開かず、感情的にならず、沈黙を守る。これこそが悪い状況を生み出さないための秘訣。
事前に悪い場面と遭遇しないための防衛手段。黙ることが生きることに繋がるのだ。
さてどう出るべきか――。黙は木のように沈黙を保ったまま、様子を探る。
誤字脱字などは後から、直す予定です。