episode04
Dは合法薬を口に加えながら、木村の様子を窺っている。
板チョコに似た形状をしており、口に含んで噛み砕けば、たちまち朦朧世界へ。中毒性が無く、自制心も効く薬であることから、人気が高い。強烈な甘味と共に、思考は異世界へと誘われるのだ。この感覚が多くのファンを生んで止まない。
あれは、いつだったか。夢に見た壮大な海が見える場所――。
澄み渡るオーシャンブルーに、鮮やかな白が塗られたスカイブルー。透明感あふれる水中には、見たこともない魚。宝石が泳いでいるかと思うほど、そこの魚は鱗が煌めいていた。
ふと空気を吸えば、肺の隅から隅までが換気される感触。空気も感覚も、何もかもが新鮮――。いつか、行くんだ。血と泥しかない混沌三頭なんて抜け出して――。
「動きがあったわ、D」
名前が呼ばれて、彼は急激に現実世界へと意識を戻す。
身をひそめるTの視線先に、木村の姿。そして一台の黒い車が、木村がいる忘却の犬へとやってくる。
「周辺に固体反応があるか、探ってみるぜ」
Dはこめかみ付近に電磁パルスを送信し、周囲の生体反応及び、電気信号を探ってみる。頭脳に水面を広がる波紋のイメージが浮かぶ。静かに広がる波紋と接触し、付近の固体の数を感知していく。
すると、木村、Tを除き、周辺のどこかで固体反応があった。合計で4人。それぞれ、単独で動いているようだ。
「全部で四人だな。こんな廃墟に好き好んでくる奴は例外なく敵だろうぜ。一般人が廃墟群に迷い込む可能性は薄いしな。やましい何かを抱えた悪か、偽善のヒーロー気取りかってところだぜ。ま、俺はヒーローが嫌いじゃないけどな」
「チャンスはなさそうね」
Tは一人佇む木村から一時も眼を離さない。彼の前で車が停車する。何かの取引だろうか。車内から黒いアタッシュケースを持った男が、地に足を付ける。貧相な顔立ちをした男だ。迫力もなく魅力も感じない。高級そうなタキシードと宝石で着飾っているが、余計にチープだった。安っぽい印象がして、子供が背伸びしたようにしか思えない。きっと彼が熱望する取引ではなく、何か強制的な、背後に危機感のある交渉なのだろう。彼の顔は情けない程に不安げだった。
「でも横取りされたらどうするんだ? 伝統貴族からの報酬がパーだぜ」
「殺し屋には信頼が不可欠よ。クライアントから依頼を受けるには、信頼を得なければならない……。もう失敗は出来ない」
「つまり、最悪皆殺しってわけか……うん、俺好みだ」
愉快そうにDは笑った。あくまで静かにである。
対照的にTは快く思っていない。かれこれ、依頼の失敗は三連続である。どれもこれも、先を越される形で、報酬を横取りされたのだ。いや正確に言えば、その報酬はクライアントの手元にある。抜け駆けした当の本人は、報酬を受け取らずに消息を絶つ。それもそのはず、犯人は海賊亡霊なのだから――。
彼女は深く悩む。普段の自分であれば、強行突破、最終手段などと言った窮地に追いやられた末の行動は好まない。それでは行き当たりばったりで困難を乗り切ったも同然だ。彼女の殺し屋の理想像は、あくまで慎重で、計画的。決して衝動的に動いたり、感情に振り回されたりしない。そうDのように短絡的な思考では早死にするのだ。
だから今回も手堅く行きたい――のであるが、さすが四連続で失敗は信用のガタ落ちに繋がりかねない。ただでさえ、最近は地味な存在となりつつあるのだ。
見送るか、動くか。その二択の選択が、彼女を迷わせる。
「俺はスリルってもんが好きだ。Tは昔から、奥手で安定を求める性格だったよなァ。でも俺は生死の境ってもんに溺れたい。人生、一度きりなんだ。好き勝手やるのが、最高の生き方だと、俺は思うぜ」
「何が言いたいの?」
木村と出てきた男が、何か会話を重ねている。さすがに声は聞き取れない。
「Tは自覚ないかもしれないが、お前は熱くなりやすい」
予想外な言葉に、Tは不快感を露わにした。
「私が子供っぽいって言いたいの? 我侭なあなたに、私が子供だって言われてるの?」
「俺はいつでもクールだぜ。怒りや悲しみ、憎悪なんてものとは無縁だ。何事も、ありのままに、現実を受け止めるのが俺の信条でもあるんよ。ところが、Tはどうだァ?」
「何が」彼女の口調には棘がある。
「今日の酒場だよ。午後九時の出来事だぜ。お前、マジギレしてただろォ?」
今は丁度、深夜の零時を過ぎたため、三時間前の出来事だ。
彼女は黙って、最悪な酒場を思い出す。例えDですら、迂闊に髪を触られたくないのに――。それを意地汚い異常性欲者に撫でられたり、口に加えられたりしたら、怒るのは当然に思える。
ただ、奴らを殺した時間は、無我夢中で何も覚えていない。彼女はその場、逆鱗によって理性がぶっ飛んでいたのは確かだ。
「どっちかっつーとだ。俺よりお前の方が最終兵器なわけだよ。ピンチを切り抜けるジョーカーは、お前の足についたTだろ? その貴重なジョーカーをあの酒場で見せびらかすのは感心しないな。幸い、ガスマスク男は席を外していたし、他の連中もポンコツだから助かったが……女は見てた――」
「まさか、あいつ?」
「そうだ、ガスマスク男と一緒にいた美人な処女だよ」
わざわざDが酒場にいた白髪の女を美人と形容する点に、彼女は訳も分からない苛立ちを感じた。
「俺はクールでホットな男だが、あの時のTはただの野獣だったぜ」
「お子様の癖にうるさいわね! 私はいつでも冷静なのよ!」
堪忍袋の緒が切れたTは牙を向いて、睨みつける。
「どっちが真にクールか。いずれ分かる」
「別に興味ないわ。そんなもの」
「一先ずだ、何か動きがあったら俺が出るぜ。お前は一歩退いた位置で、眺めてくれれば良い」
「Dが行くなら、私も行くわ」
「その必要はナッシングだ」
「あなたが心配なのよ! 危なっかしくて見てられないわ!」
Tは彼に詰め寄って、説得を試みる。言い寄られたDは乾いた笑い声を小さくあげて、真剣な彼女を見つめた。
「――俺はお前に死んで欲しくないんだ」
「……」
「俺が好きなのは、感情的になった綺麗な女じゃないぜ。黒髪が美しい、落ち着いた女だ。ぎゃーぎゃー喚くのは、お前に似合わないんだ」
「……馬鹿ね」一拍置いて、彼女はため息と共に肩の力を抜く。
「どっちが?」とDは興味深そうに笑った。
「どっちもよ。どっちもお馬鹿さんだわ」
「そりゃ違いねぇ」と大いに彼は笑う。
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