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上手だったでしょう?

作者: 和執ユラ
掲載日:2026/09/27


 貴族の子弟が多く通う学園で、アデライドは高等部本館一階の外廊下にいた。

 アデライドは王家の血を引く公爵家の娘である。淡い水色の髪と紫の瞳、白い肌に儚い美貌、洗練された振る舞いから、妖精姫という愛称がつけられていた。その愛称は知らぬ間に国民にも広まってしまっており、新聞でも度々その愛称が使われている。


「アデライド様だわ」

「いつ見てもお美しいわね」


 生徒たちが遠巻きにアデライドを見つめていた。しかし一人、アデライドに近づく人物がいた。


「アデライド」


 この国の王太子であり、アデライドにとっては幼馴染みでもあるエミリアンだ。青色の髪と瞳は王家によく現れる色合いで、エミリアンはそれを受け継いでいる。


「本当に絵になるお二人よね」


 アデライドとエミリアンが並んで親しげに会話しているのを、生徒たちはやはりある程度の距離を保って見ていた。

 エミリアンは王太子という地位に甘えず努力家で、成績優秀、眉目秀麗。紳士的な性格が人気に拍車をかけており、学園内にとどまらず国民人気も高い。常に注目の的だ。


「慣れているとはいえ、さすがに視線が気になるな」


 見物人が増えてきたので、エミリアンの提案で、アデライドとエミリアンは庭園のガゼボへと向かった。


「そういえば先日、王宮で偶然公爵と会ったよ」


 エスコートされてアデライドがガゼボの椅子に腰掛けると、エミリアンは別の椅子に座りながらそう話を切り出した。エミリアンが言う公爵とはアデライドの父のことだ。


「絶対に娘を幸せにしてくださいと、ずいぶん釘を刺された。アデライドは本当に大切にされているな」


 公表はされていないものの、アデライドとエミリアンの婚約話は順調に進んでいる。学園内では知らぬ者はほとんどいないだろう。社交界でも噂は流れている。

 元々、エミリアンは昔から特別アデライドに優しかった。アデライドは王家の血を引く公爵家の娘なので、王太子の妃として十分に家柄も釣り合う。それらのことが理由で噂が出回ったのだ。

 アデライドとエミリアンは共に高等部三年生であり、卒業を控えている身だ。最近になって本格的に婚約の話が進んでいるのは、最早公然の秘密であった。


「父が過保護で、お恥ずかしいですわ」

「いやいや、羨ましいよ。昔は冷徹だなんだと言われていた公爵も、ただの子煩悩な父親だな。子離れができるのか心配だ」

「そうですね」


 アデライドは「ふふ」と笑みを零す。


「まあ、仮に公爵に『娘は渡しません』などと言われても、私は君を諦めるつもりはないが」

「殿下が父にそのように抵抗なさるお姿はあまり想像できませんわね」

「さすがに、尊敬する公爵相手でも譲れないものは譲れないからな」


 気恥ずかしそうに、愛おしそうにこちらを見つめるエミリアンに、アデライドはにっこりと笑った。





「姉さま! おかえりなさい!」

「ただいま」


 授業が終わって公爵邸に帰宅すると、エントランスホールの大きな階段を弟のノエルが真っ先に駆け下りてきた。キラキラと期待をのせた眼差しを向けられ、アデライドはノエルの頭を撫でる。

 まだ七歳のノエルはとても可愛らしく、しっかりしてはいるものの甘えたがりだ。


「ねえさま〜」


 ノエルに続いて、四歳の妹ミレイユも階段を下りてきて、そのままアデライドに抱きついた。ミレイユの頭も撫でる。


「ミレイユ、走ったら危ないわよ」


 一番下の妹、一歳のメロディを抱いているエレーヌが困った様子で同じく階下に下りてくる。

 エレーヌはアデライドにとって継母であり、弟妹の実母だ。


「おかえりなさい、アデライド。学園はどうだった?」

「いつもどおりです」

「うーん、そればっかりね」

「変わったことはそうそう起こりませんので」


 途中で高等部に上がってはいるものの、もう五年以上も学園に通っているので、変わり映えはさほどない。

 ただ、エレーヌはアデライドの学園での様子を色々と聞きたいようで、アデライドの返事にいつも残念そうにする。特にエレーヌが求めているのは女子トークの定番――恋バナである。


「殿下は?」


 そんなエレーヌの気持ちを知ってか知らずか、ノエルがそう訊ねてきた。


「姉さま、卒業したら殿下と結婚するんでしょ?」


 ノエルの声は不満の色を帯びている。ミレイユも呼応するようにアデライドに抱きつく力をぎゅっと強くした。


「ねえさま、いなくなっちゃうのやだ」

「ずっと僕たちとこの家にいて?」


 アデライドはぱち、と瞬きをする。すると、エレーヌが「ノエル、ミレイユ」と声をかけた。


「殿下と結婚しても、アデライドがあなたたちのお姉様であることは変わらないのよ。アデライドが王宮にお引越ししても会いに行けばいいし、アデライドも会いにきてくれるわ。ね?」


 エレーヌが優しく言い含めるけれど、ノエルとミレイユの表情は晴れない。


「本当にみんな、アデライドのことが大好きで離れたくないのね」


 困った様子のエレーヌから、アデライドは先ほどからずっとこちらを見つめているメロディに視線を移動させた。そして、ノエルとミレイユを見下ろして口を開く。


「家族だとしても、ずっと一緒に生活するのは難しいわ。兄妹というものは、結婚や独り立ちでいつかは別々で生活することも珍しくないもの。でも、それはそんなに悪いことじゃないのよ。大切な人や大切なことが増えて、生活が少し変わるだけ。家族という関係性が消えるわけではないわ」


 屈んで二人に目線を合わせたアデライドは、二人の頬に手を伸ばした。


「あなたたちも、大人になって色んなことが見えてくるようになればわかるはずよ」


 そう伝えると、ノエルとミレイユが顔を見合わせてからちらりとアデライドを窺う。


「姉さまは、ずっと一緒にいたいくらい殿下のことが好きなの?」


 その問いにアデライドが微笑んだところで、アデライドたちの後ろにある扉が開かれた。

 邸に入ってきたのはこの公爵家の主、父ヴァランタンだった。


「アデライド、帰ってたのか」

「はい」


 アデライドが立ち上がるのと同じタイミングで、ノエルがヴァランタンの元に寄る。


「父さま、おかえりなさい」

「ただいま」


 数日ぶりに父と会えて嬉しいようだ。ノエルは目をキラキラさせてヴァランタンを見上げている。ノエルの頭を撫でたヴァランタンがアデライドに視線を向けるので、アデライドは微笑を浮かべた。


「お早いお戻りですね」


 数日ほど仕事で家を空けていたヴァランタンの帰宅は明日の予定だったはずだと、アデライドは記憶している。


「お前たちが恋しくてな、急いで仕事を終わらせてきた」


 ヴァランタンは髪がぼさぼさにならないように配慮しつつ、アデライドの頭を優しく撫でた。アデライドの鞄を持つ手にわずかに力が入る。

 ミレイユが「わたしも!」とせがむので、アデライドから手を離したヴァランタンはミレイユの頭に手をのせた。


「数日会わないうちに背が高くなったか?」

「おねーさんになりましたか?」

「ああ、そうだな。立派なレディだ」


 その返答に、ミレイユは満足そうに破顔した。

 ヴァランタンは次に、エレーヌに抱っこされているメロディの顔を覗き込む。


「メロディ、父様のことを忘れないでいてくれたか?」


 メロディはじっとヴァランタンを観察したあと、アデライドを見て「ねー」と手を伸ばした。


「私よりアデライドがいいようだな……」

「あらあら。そんなにしょんぼりなさらないでください」


 明らかにショックを受けているヴァランタンにエレーヌが笑みを零し、アデライドも「そうですよ」とフォローする。


「私、着替えてきますね」

「わかったわ」


 エレーヌの返事を受けて、アデライドは自室に向かう。先ほどノエルたちが下りてきた正面の階段を上がり、一度歩みを止めて振り返った。

 メロディは相変わらずこちらを見ていて、ヴァランタンはしゅんとしていて、そんなヴァランタンをエレーヌ、ノエル、ミレイユが慰めている。


 家族思いの父親、実子と分け隔てなく接してくれる継母、慕ってくれる異母弟妹、婚約間近で常に気にかけてくれる王太子、公爵令嬢という地位、妖精姫と呼んで親しみを持ってくれる国民。

 将来が約束された、輝かしい人生。

 羨望の眼差しは幾度となく向けられてきた。自身が恵まれた側の人間であるという自覚は持っている。――けれど。


 いかにも幸せな家族の光景を、アデライドは冷めた目で眺めた。





 数日後の夜、アデライドは自室でトランクを閉めていた。

 中にはお金、宝石類、数着の衣服が入っている。

 アデライドの格好は寝巻きではなく、動きやすい服だった。冒険者の服装と近しいものだ。その上にローブを羽織っている。


 トランクを持ったアデライドはバルコニーに出た。二階なので庭を見下ろせる。

 夜の庭は月や星の明かりで淡く照らされている。アデライドはバルコニーの手すりに上ると、自室を振り返った。


 これは、いわゆる『家出』である。アデライドはもう、この邸に戻ってくるつもりはない。というより、この国にさえ戻ることはないだろう。


(みんな、どうしてと思うんでしょうね)


 冷えた心で再び庭を見下ろしたアデライドは、魔法で水の足場を階段状に作った。一段ずつ、軽い足取りで下りていく。

 庭の石畳を踏み締めて空を見上げる。

 これからに心が躍って、自然と口元が緩んだ。


 アデライドが門の方向に向かって数歩足を動かした、その時だった。


「――誰だ」


 聞き慣れた声が耳に届いて、アデライドはぴたりと止まる。


「アデライド……?」


 振り返ると、ヴァランタンとエレーヌ、ヴァランタンに抱えられているメロディ、エレーヌと手を繋いでいるミレイユがいた。メロディは眠っているようだ。


「ねえさま!」


 ミレイユがアデライドに駆け寄ってくる。アデライドはしゃがんで目を合わせ、笑顔で唇の前に人差し指を立て、「しー」とミレイユに静かにするよう伝えた。


「メロディが起きてしまうわ」


 ミレイユは自分の口を両手で覆うと、こくこくと頷く。そんなミレイユの頭を撫でて、アデライドはミレイユを抱き上げた。ミレイユは嬉しそうに擦り寄ってくる。


「……こんな時間に、どこに行くつもりだ?」


 ヴァランタンに問われて、アデライドは愛想笑いを浮かべた。


「寝付けなくて、少し散歩をするだけです」

「そんな格好で、荷物を持ってか?」


 当然、誤魔化されてはくれないようだ。ヴァランタンとエレーヌはトランクをしっかりその視界に捉えている。


「お父様たちは、メロディとミレイユが眠らないからお散歩ってところですか?」


 ノエルがいないのは、ノエルは自分の部屋で寝ているからだろう。まだ幼い下の二人は、両親と共に眠ることが多い。

 メロディは今は眠っているようだけれど、メロディも連れ出したということは、それまでは起きていたということだ。


「アデライド」


 話を逸らすなと言わんばかりのヴァランタンに、アデライドはため息を吐いた。


「どうしてこうもタイミングが悪いんですかね?」


 エレーヌが心配そうな眼差しを向けてくる。ミレイユが不思議そうにアデライドを見上げるので、アデライドはミレイユの頭に軽くキスを落とした。


「眠っていてね」


 ミレイユはうとうとしてすぐ眠りにつく。魔法で眠らせたのだ。起きないよう、メロディにも魔法をかけておく。


「起きてしまったら可哀想ですものね」


 アデライドはエレーヌの元まで歩み寄り、眠っているミレイユを差し出した。エレーヌが戸惑いながらもミレイユを受け取ってくれたので、アデライドは数歩下がる。


 両親と、大切そうに抱えられている妹たち。今はいないけれど、ここにノエルが加わる。

 これは『家族』の光景だ。今では当たり前の、仲のいい、幸せな家族の姿。

 それがいつも、アデライドの心がささくれ立つ原因だった。


「――お父様。私、お父様のことが大嫌いで、憎いです」


 アデライドの言葉にヴァランタンとエレーヌが瞠目する。アデライドは気にせず続けた。


「お父様が私を愛していなかった時期を、あの日々の寂しさ、虚しさを、私は一生忘れません。いくらお父様が改心しようとも、昔のことはなかったことにはなりません」


 アデライドの実母とヴァランタンは政略結婚で、母のほうはヴァランタンに好意を持っていたけれど、ヴァランタンは妻に関心がなかった。子供――アデライドが生まれてもそれは変わらず、アデライドに対しても愛情を向けたことはなかったのだ。アデライドの教育は母と家庭教師に任せっきりだった。

 エミリアンはヴァランタンのことを、昔は冷徹だったと言っていた。家族に対してはそんなことはなかったという意味だけれど、あの頃のヴァランタンは冷徹という評判どおりの男で、母は愚かな女だった。ヴァランタンにとって家族は特別な存在ではなかったし、母にとってアデライドは、ヴァランタンの関心を惹くための道具でしかなかったのである。


 あの頃、両親に優しく抱き上げられた記憶はない。ヴァランタンはいつもアデライドに厳しい目を向けていた。母はいつもあの人があの人がとヴァランタンのことばかりだった。

 あなたが男の子だったら。もっと優秀だったら。

 それがアデライドの前での母の口癖だった。

 二人とも、どうして自分を見てくれないのかと、アデライドはずっとそう思っていた。


「幼い頃は、お父様に愛してほしくて頑張りました。厳しい家庭教師の授業にも耐えました。でも、お父様から褒められることも、会話も、一緒に過ごす時間も、ほんどありませんでした」


 幼い子は当たり前のように愛情を求める。しかし、父は愛をくれなかった。父にとってアデライドは公爵家の後継者でしかなかった。

 今とは、全然違う。それがとても腹立たしい。


 ヴァランタンが母と離婚したのはアデライドが五歳の頃。その三年後、エレーヌとの再婚も政略によるものだった。

 ヴァランタンはもう結婚はこりごりだと思っていたようだけれど、周りがうるさかったらしい。国王にまで促され、仕方なく再婚を受け入れたのだとか。


 二度目の結婚が一度目と違ったのは、エレーヌがヴァランタンからの愛に執着しなかったことだろう。

 エレーヌはアデライドを可愛がってくれた。アデライドのために、娘に関心を向けないヴァランタンを怒ってくれた。父親失格だと、真正面から非難したのだ。


 そのような経験が新鮮だったのか、ヴァランタンは次第にエレーヌに興味を持つようになり、いつしかエレーヌに恋愛感情を抱き始めた。アデライドのことも大切にするようになった。

 その変化を、アデライドは間近で実感していた。


「エレーヌ様の言葉、よく覚えています。『お父様はね、本当はアデライドのことが大好きなのよ。だからアデライドも歩み寄ってあげて』と、そうおっしゃいましたね」


 それはきっと、今まで愛情を向けられてこなかった子供のための言葉だった。あなたは本当は愛されていると伝えるための、優しい言葉だったのだと思う。


「そうなのだと信じる気持ちよりも、疑問のほうが強かったのです。私がそれまで見てきたお父様と、エレーヌ様の影響で変わったお父様が、あまりにも重ならなくて。味方だと思っていたエレーヌ様からお父様を許すことを強要されたようで……突然突き放されたような気分にもなりました」


 愛には飢えていた。けれど、それまでの経験を無視できないほど、違和感に蓋をできないほどに、アデライドの心の傷は深かった。

 エレーヌはアデライドに愛情を注いでくれた。母親とはこういうものなのだと嬉しくなったけれど、それでは終わらなかった。


 父親として変わっていったヴァランタンに次第にエレーヌも惹かれるようになり、二人はとても仲の良い夫婦となった。ヴァランタンの変化に困惑と嫌悪を抱いていたアデライドは、それを見て孤独感が強くなっていったのだ。

 ノエルたちが生まれて、さらにその感覚は増した。


 アデライドはエレーヌから視線を逸らし、ヴァランタンを見据える。


「娘のためには変われなくとも、他人のためになら変われるのですね」


 アデライドの言葉にヴァランタンはまた目を見開いた。エレーヌも息を呑む。

 アデライドは上品にくすっと笑った。


「ああ、愛する妻は他人ではありませんでしたね。愛してもいない娘と違って」

「アデ――」

「許されたと思ったのでしょう? 幼い頃の記憶などほとんど忘れたと思ったのでしょう? 父親になれた、と。あいにく、私は記憶力がいいのです」


 忘れられるわけがないのだ。

 すべてを覚えているわけではないけれど、深く心に、脳に刻まれている。


「ノエルたちの誕生日を祝うたび、私は虚しさが募りました。あの頃の私の誕生日をお父様が祝ってくれたことなんてなかったのに、お母様だって本心から祝ってくれたこともなかったのに、ノエルたちはみんなに祝福されて、幸せそうに笑ってる。ノエルたちは私と違って、誰からも望まれて生まれてきた子だから」


 魔法によって起きる気配のないミレイユとメロディに視線を落とす。


「お父様。私が眠れないからって、そうやって散歩なんてしたことありませんよね?」

「っ……」

「それどころか、私が慕っていた乳母を、私を甘やかすからと解雇しました。私にとっては、血の繋がりがある親よりよっぽど親と呼べる存在だったのに」


 アデライドが『やめさせないでください』と泣いて縋ると、ヴァランタンはみっともないと一蹴した。結局、乳母の解雇が取り消されることはなかった。

 ヴァランタンはアデライドから、『唯一信頼できる親』を奪った存在なのだ。


「私は、お父様のためになることはしません。――王族との結婚なんて、冗談じゃない」

「……嫌なら、それで構わない。無理やり結婚させるつもりは断じてない。お前の人生だ、好きにしていい。だから」

「そうおっしゃるなら、邪魔をしないでください」


 不安や動揺に揺れるヴァランタンの瞳を、アデライドはまっすぐ見つめる。


「ここで引き止められないことが、私の望むことです。これ以上、私の人生の邪魔をしないでください」


 アデライドが穏やかな笑みでそう告げると、不安からか、エレーヌはミレイユを抱きしめた。


「……アデライドは、王太子殿下を慕っているのではないの?」


 どうにかアデライドを引き止めようと頭を働かせた結果、エレーヌはエミリアンを出してきた。アデライドは思わず笑い声を漏らす。


「お父様のような人間を尊敬している人なんか、好きになれるわけありませんわ。私を好きだと言うわりに、私があなた達に恨みを抱いていることにも気づかないような人ですし」


 エミリアンはかつて、ヴァランタンに命を救われたことがある。王位を欲した別の王族に暗殺者を差し向けられ、異変に気づいたヴァランタンが暗殺者を返り討ちにして救ったのだ。

 それ以来、エミリアンの中でヴァランタンは命の恩人であり、憧れの存在となった。

 エミリアンはアデライドに好意を向けているけれど、その感情には少なからずヴァランタンへの憧憬が影響している。


 昔は純粋な好意だったように思う。子供の淡い、可愛らしいものだった。それが、暗殺未遂事件以来、彼の中ではアデライドよりもヴァランタンの存在が明らかに大きくなってしまったのだ。

 それなりの時間を一緒に過ごしてきたので、アデライドはよくわかっていた。エミリアンのほうは、アデライドのヴァランタンに対する憎悪に少しも気づいていないのに。


(いつだって私は、この人(お父様)の下位互換)


 貴族や王族に政略結婚はつきもの。時代の流れとともに恋愛結婚が増えつつはあるものの、想い合う相手と添い遂げることができる人は決して多くない。

 政略結婚をした相手とお互いに愛が芽生えるのなら、それは幸運なほうである。アデライドの眼前にいるこの夫婦のように。


「先月、お母様に会ってきました。エレーヌ様ではなく、私を生んだ人です」

「……、どうやって……」


 捜したのか――と、ヴァランタンはそう続けたかったのだろう。その疑問には応えず、アデライドはそっと口角を上げた。


「お母様ったら、再婚して、子供もいて、とてもお幸せそうでした。かつてはお父様からの愛を求めて私の誘拐まで偽装なさったのに、人は本当に、随分と変わるものですわね」


 母はヴァランタンに愛してもらうために必死だったけれど、アデライドが生まれて五年が経過しても、ヴァランタンは妻子に興味を示さなかった。その事実で母は次第に壊れていき――アデライドの誘拐事件を企てた。街のならず者を雇い、誘拐を偽装する計画を。

 誘拐されれば、さすがのヴァランタンも娘の大切さに気づくはず。ショックを受けた自分を慰め、寄り添ってくれるはず。母はそう考えたのである。

 母の計画どおり、実際にアデライドは誘拐されたけれど、優秀な公爵家の手の者によってすぐに救出され、犯人も捕まった。母が計画を持ちかけたことは犯人の口からあっさり暴露されてヴァランタンの怒りを買い、二人は離婚に至ったのだ。


 夫の関心を得たいがために実子の誘拐事件を起こしたことは実家の耳にも入り、母は離婚後に実家にも戻れず、ヴァランタンが渡した当面の生活費とわずかな荷物を持って田舎に引っ越した。

 貴族令嬢として育ち、公爵夫人となった母は、当然自分のことを自分でできない。平民になっても、中身はなんでも周りがやってくれていた世間知らず。使用人もいない田舎暮らしで最初は苦労したらしいけれど、美人な母に一目惚れした村の青年が色々と手助けしてくれたようで、段々その生活に慣れていったようだ。そうしてその青年と再婚し、息子が生まれた。


 もちろんこれらの事実は公表されていない。醜聞でしかない事件をヴァランタンが徹底的に握りつぶしたためである。

 アデライドがこの一連の流れを知っているのは、この家に残されている記録を勝手に確認したからだ。ヴァランタンは離婚後、元妻がまた何かやらかさないかと監視をつけ、記録していたのである。


「私に気づきもしませんでしたよ、あの人。まあ私も、普通に街ですれ違っていれば気づかなかったでしょうね」


 アデライドから声をかけたわけではない。アデライドだ(あなたの娘です)と名乗ったわけでもない。

 特にどうするかも決めていないのに村に行って、余所見をしながら走ってきた子供とたまたまぶつかりそうになった。そこで慌てて駆けつけて謝罪をしてきた子供の親が母だった。夫もいて、しきりに謝罪する彼らに「気にしないでください」とアデライドが微笑むと安堵した様子を見せて、一家は去っていった。


 母が離縁され、家を追い出されて十二年以上。記憶力に自信があるとはいえ、アデライドとて母の顔をはっきりとは覚えていなかった。そこにいるとわかっていて会いに行ったから、夫が母の名前を呼んだから、記憶にぼんやり残る髪と瞳の色が同じだったから、その人が母であると認識できたに過ぎない。

 そして、アデライドは五歳から十七歳に成長している。母が気づかないのも当然でしかない。それほどの年月が流れたのだ。


「お父様もお母様も、再婚して子供が生まれて、幸せな家族を築きました。私なんていなくても、どうせ幸せでしょう?」

「そんなわけないだろう!」

「信じられませんわね。実際に、かつてお父様にとって、私は跡継ぎでしかなかったわけですし」


 誘拐事件のあと、ヴァランタンからアデライドへのケアはなかった。優しい言葉はかけられなかった。抱きしめられることもなかった。ただ母のことは忘れろと命じられただけ。厳しい家庭教師を増やされただけ。乳母が解雇されただけ。

 エレーヌと再婚してヴァランタンの中の価値観が変わるまで、何も変わらなかった。


「今は愛する妻との間に生まれた可愛い息子がいるのですから、跡継ぎの役割すら私のものではなくなりました」


 爵位の継承は男子優先だ。ノエルが生まれた瞬間、アデライドは後継者としての立場を失った。


「私はただ血が繋がっているだけの他人ですわ」


 冷徹だったヴァランタンは、エレーヌのおかげで『父親』という存在に変わった。けれど、アデライドは受け入れられなかった。成長するにつれてあの頃の理不尽さを理解して、ますます許せなくなった。それだけのことだ。


「私の演技、上手だったでしょう?」


 そう訊くと、ヴァランタンとエレーヌは悲しそうに眉間にしわを作った。その表情に、アデライドの心がすっと軽くなる。


「ずっと私に関心がなかった父、私に父を許すよう諭した継母、私と違って愛されないことを知らない異母弟妹たち、不純物が混じった恋愛感情を向けてくる王太子。みんなの理想の、聞き分けのいいアデライドを演じて、準備をしてきました。誰も私の演技に気づきませんでした」


 誰も、気づいてくれなかった。


「私はこの家を出ます。二度と戻ってきません」

「……一人で生きていくのはそんなに簡単なことではない。まして、若い女性には様々な危険がつきまとう」

「私がなんのためにこの年まで大人しくこの家にいたと思っているのですか? 一人で生きていくための準備をしてきたに決まっているではありませんか」


 公爵令嬢という立場は、一流の教育を受けるのに不足はなかった。魔法に関しては重点的に学んだ。授業で実戦経験も積んでいる。国民の暮らしを理解するためと称して定期的に自ら市場で買い物をして、ものの相場も頭に入れた。

 興味がある。学びたい。そう言えば、この男はやってみるのはいいことだと叶えてくれた。こうなるとも知らずに。――昔、アデライドには一切与えてくれなかった最大限の優しさや愛情をもって。


「世間が厳しいことくらいわかっています。それでも、どんな結果になろうと、この家にいるよりは……お父様の娘として生きていくよりは、納得のいく人生になるでしょう」


 父も、母も。アデライドのためには変わってくれなかった。だったら、アデライドが自分のために変わるのは何もおかしなことではない。


「ノエルたちには申し訳ないですが、私は心を殺してこの国に居続けたくはありません」


 アデライドはヴァランタンに、綺麗に、可愛らしく笑顔を見せる。


「さようなら。今後会うことはないでしょうけれど、最後に一つだけ」


 笑顔で、呪いの言葉を紡ぐ。


「私がいなくなっても、もう二度と私の父親ヅラはしないでくださいね、クソ野郎」



  ◇◇◇



 ――半年後。とある国、王都にある冒険者ギルドにて。


「シュゼさん、いつもお仕事が丁寧で助かります」

「いえ」


 シュゼという名前を名乗っているアデライドは、受付のギルド職員に魔物の討伐報告をしていた。

 冒険者になって半年。シュゼは問題なく新しい生活を送っている。


「それにしても、魔法使いなら冒険者にならなくても宮廷魔法使いとか色々道があるのに、どうして冒険者を選んだんですか?」


 明らかにいいところの出だし、とギルド職員の目が語っている。

 シュゼはふっと目を細めた。


「だって、冒険者って自由の象徴って感じがするじゃないですか」


読んでいただきありがとうございました。誤字報告はそのうち閉じます。

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