第3話:異世界のヒロインを奴隷にした
「く……っ、あ……!!」
眼前に迫るロードの顔と、その上に聳え立つ巨大な大剣は、俺を圧殺するに十分な威圧を放っていた。この騎士の表情には、岩のように厳格な意志と正義感が宿っている。
「……っ」
腕を振るい、黒魔法を叩き込もうとしたが、奴は左手を斜めに回して俺の身体を絡め取り、両腕を拘束した。スキルを発動する手段を封じられたのだ。
「……よかろう。最期に言い残したいことがあるなら、聞いてやろう」
(……好機だ……!)
俺は込み上げる笑いを必死に押し殺した。やはり騎士とは、どこまでも「騎士」ということか。その無意味な正義感ゆえに、わざわざ俺に隙を与えてくれる。
「ならば……」
「……?」
俺は言葉を濁した。そして一気に声を張り上げる。
「正義は、俺だ……!!」
先ほど兵士たちを阻むために使った、フィンガースナップを繰り出す。
――パチンッ!!
指を弾く強烈な音が周囲に響き渡り、禍々しい魔力が俺の周りへと溢れ出した。
「卑怯な真似を……っ!」
命を奪うために放った一撃だったが、奴はそれを即座に大剣で防ぎきった。王国のエースというのは伊達ではないらしい。だが、構わなかった。
(一旦、後退だ……これ以上やり合えば、こちらの命が危ない)
俺はなりふり構わず、目の前の街の入り口へと走り出した。黒髪に脂汗が滲むが、そんなことはどうでもいい。今はとにかく逃げ延びるのが最優先だ。
――パチンッ! パチンッ! パチンッ!
俺は魔力……いや、「対価」を乱発しながら、フィンガースナップを連打した。街の中は不気味な紫色の霧に染まり、その影響を受けない俺だけが、煙幕の中を突き抜けるように脱出した。
……目を覚まして最初に見えたのは、見知らぬ木造の家だった。地球には存在しない特異な樹木の香りが鼻腔をくすぐり、天井では小さな蝋燭の火が周囲を照らしている。
「お目覚めですか」
女の声だった。細く、穏やかな響き。それが耳に届く。
「ここは……っ、ぐっ!」
「無理に動かないでください。傷が深いですから」
(殺すか……いや、今は様子を見よう)
上半身を起こそうとすると、全身に鋭い痛みが走る。魔法の反動か、あるいはロードの攻撃を掠めた破片のせいか。服は脱がされ、代わりに包帯が俺の肌を覆っていた。俺は内心で、この女をどう扱うべきか苦悩した。
(この身体の惨状は「対価」によるものか……? いや、あの時の破片か……)
「王都の外の土道で倒れていたので、馬車に乗せてお連れしたんです。体中傷だらけで泥まみれでしたが……一体、何があったのですか?」
「……ただの、軽い怪我だ」
対価について思考を巡らせている最中、女から質問が飛んできた。女はレトリバーのような耳を持つ獣人だった。
異世界にはこうしたヒロインが多いと聞いていたが、現実に目にすると妙な感覚だ。腰まで届く長い白金髪。その瞳は俺と似ているが、より淡い、透き通るような桃色をしていた。
――チリンッ。
彼女と視線を交わした刹那、玄関の鈴が鳴った。女は席を立ち、扉を開けて何かを受け取ってきた。
「……新聞……?」
「ええ、そうです。ええと……あら……? 『王都にて、黒魔導士が住民を虐殺』……」
「……」
異世界にも新聞が存在するのか。印刷技術があるということは、それなりに文明が発達しているらしい。そう思考を巡らせた直後、彼女が読み上げた文言に背筋が凍った。
(正体が露見すれば、殺すしかない……)
そう決意した瞬間、女が心配そうな声で尋ねてきた。
「この黒魔導士に襲われて、お怪我をされたのですね……。それで……」
彼女の瞳は、残酷なまでに悲しげだった。俺を心から「被害者」として案じる、その純粋な眼差し。
「……ああ、そうだ」
返せるのは、嘘だけだった。俺は善良な人間としての表情を作り、か弱き犠牲者を演じながら彼女を見上げた。
「王都の中は、どうなったんだ……?」
「虐殺された住民が、大勢いるそうです。私はただの旅の者なのですが……本当に、無残な光景でした。私は壊れた城壁の隙間から、命からがら逃げ出しただけで……その後のことは、記憶にないんです」
「……そうでしたか。ここは王都から少し離れた村ですが……それでも安全かどうか。犯人は逃走したと書いてありますし……」
「逃げたのか……ちくしょう! あんなに、大勢の人を……残酷に殺しておいて……っ!」
俺は、絶望に打ちひしがれる演技をした。学校で優等生を演じて過ごしてきた俺にとって、この程度の小芝居は造作もない。
心から悲しんでいるようにベッドを叩き、俺は彼女に問いかけた。
「……名前を、教えてくれないか。この恩は必ず返す」
「……ソリカです。貴方は?」
「俺は、神凪 伊織だ」
名前を聞いたのは、決して興味があったからではない。今は彼女に対して親愛の情を見せることが、利益に繋がると判断したからだ。彼女の体つきは、俺より大人びて見えた。恐らく、十七歳の俺より二、三歳は年上なのだろう。
「数日間は、家で休んでいってください。格好も珍しいですし、恐らくこの土地の方ではないようですから、長くは留まれないでしょうけれど……」
「助かる、ソリカ。……君の職業は、何なんだ?」
「私は……冒険者、です」
意外だった。冒険者、か。彼女の赤い瞳には、どこか哀愁を帯びた光が宿っている。俺はその微かな違和感を逃さず、言葉を継いだ。
「……今は、引退しているのか?」
「いえ、その……仲間が、みんな……死んでしまったんです……」
(これだ。この点を利用して、こいつを仲間に引き入れる。表向きは善良な冒険者を装わせ、裏では俺の計画の駒として、住民を攻撃に巻き込んでいく。今の俺にとって、一人で動くのは危険すぎる。異世界の知識もない。ならば、この女を矢面に立たせたパーティを作り、黒魔法を普通の魔法に見せかけて活動すれば、王宮にまで食い込めるはずだ。異世界ものでは優秀なパーティが宮廷に召し抱えられるのはよくある話だ。そこで軍を掌握し、住民を抹殺すれば……)
そこまで思考を加速させた時、ふと背徳感が胸を突いた。ついさっきまで地下鉄で問題集を解いていた俺が……一日で、優等生から殺人鬼へ。
(いや、違う……これは俺の世界の人間を救うための死闘だ。この世界の住人は、ただのNPCに過ぎない……。そうだ、それでいいんだ……)
「あの……どうされたのですか?」
沈黙し、思考に沈んでいた俺を、ソリカの声が現実に引き戻した。俺は即座に「演技モード」へと回帰する。
「すまない。辛いことを聞いてしまったな。……かけるべき言葉を、探していたんだ」
「……謝らないでください。もう、過ぎたことですから」
俺は一旦口を閉ざした。それが最も自然な選択だと思ったからだ。数秒の静寂の後、ようやく重い口を開くように提案した。
「……ならば、俺とパーティを組まないか?」
「……えっ……?」
彼女の顔が、戸惑いに歪んだ。だが、それは拒絶や怒りではない。
「俺と一緒に……冒険をしよう。俺も、仲間がいないんだ。俺は魔術師だ。足手まといにはならないと断言できる」
「……で、ですが……」
「君の顔を初めて見た時、直感したんだ。きっと、志が同じだろうと。俺を救ってくれたその時点で……君はすでに、それを証明してくれたんだよ」
「……」
俺の放った「優しい嘘」に、彼女は言葉を失い、立ち尽くした。身振りを添えるたびに身体が疼いたが、おくびにも出さない。
「……わかりました。一緒に……行きましょう」
俺は今にも噴き出しそうになる笑いを必死に堪えながら、短く答えた。
「ああ。俺たちはこれから、仲間だ」
今回の第3話はセリフが少し長くなってしまい、退屈に感じられたかもしれません。次回はもっと大胆な展開を目指して頑張ります。ぜひ、評価★をよろしくお願いします。まだお一人も押してくださっていません!
それでは、今日も読んでいただきありがとうございます!




