第1話:異世界に召喚されて授かった能力は、命を代償とする黒魔法だった。
それは、ただの一日だった。いつもと変わらない、ただの一日。毎日繰り返される、倦怠感に満ちた午前に過ぎなかった。俺もまた、この退屈に巻き込まれている平凡な高校生に過ぎなかった。
「……」
俺が乗っているのは地下鉄。無数の人混みの中で、俺だけが車窓を眺め、外の風景を眺めていた。いつもと同じ展望。ここを通れば必ず見える街のビル群と、所々に植えられた街路樹。
「……はぁ」
溜息をつき、俺は顔を向けてカバンから問題集を取り出した。その横には、いつものように「100点」と赤ペンで記された試験紙が丸まっていた。そこに書かれた名は「神凪 伊織」。俺の名前だ。
「……カリカリ……」
登校時間。遠く離れた高校へ通うため、俺はいつもこの地下鉄に乗らなければならなかった。特進クラスだが、そこでも俺は常に優秀な成績を収めてきた。そして、手持ち無沙汰に問題集を解いているうちに……
うとうとと、眠りに落ちてしまった。
外からは地下鉄の騒々しい音が響き続けていたが、俺は頬杖をついたまま、暗黒の中に閉じ込められた。
「どれくらい眠っていたんだ? この時間なら、地下鉄はもう終点のはずだが……」
目をこすりながら、俺は独り言ちた。
やがて、俺の深い赤眼が暗闇の中で見開かれた。
「……これは……」
目の前に広がっていたのは地下鉄ではなかった。いや、21世紀の日本ですらなかった。ただ……初めて見る風景だった。あるいは、初めてではないのかもしれない。
中世のような雰囲気の壮大な城と街並みが広がっていた。俺はその中央にあるベンチに座っていた。服装は制服のまま……
「は……はは……。徹夜で勉強ばかりしていたせいで、頭がおかしくなったようだな。明晰夢というやつが、地下鉄に乗っている状況で起こるとは思わなかった」
夢だろう。夢でなければ説明がつかない。俺が最も忌々しく思っていたオタクどもの夢、異世界が実現するはずがない。
だが……21世紀では再現できない深い草の香りと、靴に伝わる地面の質感は、あまりにも生生しかった。
「……いや、ありえない。俺は地下鉄に座っていたんだ。これは夢の中で再現された、仮想の香りに過ぎない……」
俺はひとまず歩き出してみた。明晰夢なら、通行人に聞いてみるつもりだった。子供の頃に聞いた怪談がある。
明晰夢の中でそれを指摘すると、全員が自分を凝視し始めるという、そんな怪談だ。
普段なら聞き流すような下らない話だが、なぜか今はそれを真っ先に試してみたかった。
俺にとって重要なのは「学校」であり、「異世界」ではないからだ。
「こんにちは。伺いたいことがあるのですが」
俺は赤ん坊を抱いている、最も害のなさそうな中年の女性に声をかけた。すると女性は穏やかな顔で無言の返事をした。
「もしや……これは『明晰夢』でしょうか?」
ゴクリと息を呑み、問いかけた。怪談通りなら……ここで女性と周囲の通行人は一斉に俺を見るはずだ。
しかし、女性の反応は意外なものだった。
「メイセキ……ム? 何をおっしゃっているのか、よく分かりませんが……」
女性は戸惑いながら言葉を濁した。これで確信した。この世界は……この異世界は……俺の知る地球ではない。
「異……世界……?」
俺が目を見開いて城を見上げると、中年の女性は席を外すように去っていった。そうだ。これは……異世界。オタクなら誰もが夢見たであろう……普段の俺なら妄想だと切り捨てたであろう……あの「異世界」が現実に成ったのだ。
「……ふっ、はは……」
俺は口角を吊り上げた。妄想が現実に成った瞬間、これまで俺を押しつぶしていた「優等生」という重荷が消え去るのを感じた。勉強だけを見据え、大学だけを目標にしていた人生は終わったのだ。
「さて……拝ませてもらおうか。『能力』というやつをな」
異世界のテンプレは、学校でオタク共が話していた内容を小耳に挟んでいた。だから俺は、わざと狭い路地裏へと足を踏み入れた。
「やはり……いたか」
路地には5人ほどのならず者が、品のない姿勢で座り込んでいた。いわゆる「戦闘力測定器」。異世界物では通常、主人公が最初に叩き伏せる雑魚キャラだ。
「おい、何をガン飛ばしてんだ? 俺たちに用でもあるのか?」
一人が立ち上がると、残りの4人も連鎖的に立ち上がった。そして彼らは俺に近づき、肩を掴んだ。強力な握力だったが……
「おん? 黙りか? 何か言えよ。時間を取らせるんじゃな……」
「――ッ!」
その時、時間が静止した。正確には、俺の目と口、耳を除いたすべてが止まった。周囲の景色は黄色く染まり、どこからかチクタクという時計の音が聞こえてきた。
「気に入ったようだな」
動けない俺の背後から、何者かの声が響いた。人間の声ではなかった。この世のものとは思えない、怪異な声。そいつは影だけを見せ、実体を持たずに俺に近づいてきた。
「……フン。気に入ったさ。異世界か、はは。なら、お前は神なんだろう?」
「……凡夫どもはそう呼ぶな。そうだ、私は『神』だ。そして、お前を異世界に呼んだ理由は……」
「魔王を倒せ、とでも言うのか?」
神を自称する者が言葉を継ぐ前に、俺は予測を口にした。すると、神が鼻で笑う音が聞こえた。形のない影でしかなかったが。
「お前の目的は、この世界の住人たちの『破滅』だ」
「……どういう意味だ?」
その影は、不可解な答えを返してきた。神という名に相応しく、大層な物言いをするものだ。
「お前は今から、『異世界』と呼ばれるこの世界の人間すべてを殲滅しなければならない」
「なぜだ?」
「異世界を滅ぼさなければ、地球が滅びるからだ」
地球……が滅びる? 異世界と一体何の関係があるというのだ。この者は、わけのわからぬ理屈を勝手に吐き出した。
「単純な話だ。異世界人が生きれば地球人が死に、地球人が生きれば異世界人が死ぬ」
「……なぜ数多の人間の中から、俺を選んだ? それに、二つの世界にどんな因果があるというんだ」
「お前が最も『優秀』だったからだ。この世は徹底した保存の法則で成り立っている。一方が立てば一方が死ぬ。地球は成長しすぎた。本来なら隕石を落としてでも廃棄するつもりだったが、この滑稽な演劇に興味が湧いてな」
「……無責任だな」
俺は無意識に、非難の色を込めて言葉を漏らした。神という存在は、想像通り無責任で、時に冷酷だった。
「与えられた時間は5年。その間に……地球と異世界の滅亡が決まる。もちろん、タダで演劇を観るつもりはない。お前に能力を授けよう」
「……好きにしろ。まずはこのならず者どもを掃除しなきゃならないからな」
「いい返事だ。ならば決めた。お前に与える能力は……」
神は言葉を濁した。俺の肩に伝わるならず者の手の感触はなかったが、神のなだらかな口調はなぜか耳をくすぐった。
「『黒魔法』だ」
「ふっ……気に入った」
神が告げた能力を聞き、俺は冷笑を漏らした。黒魔法……間違いなく、途方もなく危険なスキルだろう。だが、確実に気に入った。異世界に呼ばれるほどの俺なら、その程度のスキル、容易く使いこなしてやると確信しながら。
「対価はある。……では、時間を再生しよう」
「対価か……期待しておく」
神の言う「対価」とは何だろうか。興味深い眼差しで俺は影を見下ろしたが、それはすぐに消え去った。チクタクという時計の音も、もう聞こえない。背景は再び多彩な色を取り戻した。
「……じゃなくて、早く吐けよ! 何様のつもりだ?」
時間が再生されると、ならず者の怒声が再び耳に入ってきた。威圧的な動作、今にも俺を殴りつけそうな雰囲気。だが、関係なかった。
「お前たち」
「あぁん? 何だ?」
「……消えろ」
俺の体には、得体の知れない強大な力がみなぎっていた。その力が溢れ出す中で、俺はついに腕を軽く振り抜いた。
「――ドォォォォン!!」
紫黒色の魔法だった。それは瞬時に、目の前のならず者の腹を貫いた。
「……はははははは! どうだ? もっと威勢よく吠えてみろよ!」
「……か、頭……っ!!」
頭目らしき男が血を流して崩れ落ちると、残りの下っ端たちが各々短剣を取り出し、俺に飛びかかってきた。だが、俺は眉ひとつ動かさなかった。
「覚えておけ。俺の名は神凪 伊織。お前たちが最後に耳にする名だ」
「ボォォォン!!」
腕をもう一度振ると、紫の魔力は奴らを跡形もなく破壊した。路地裏は惨状と化した。壁は粉々に砕け散り、破片を血のように吐き出していた。
これから連載していくダークファンタジー作品です。残酷な描写が苦手な方は、あらかじめブラウザバックをお願いします。もし面白いと思っていただけたら、ぜひ評価(★)のほうもよろしくお願いします!




