井戸を覗けば
十数年前の夏、今でも思い出すたびにあれは何だったんだろうというあやふやな疑問と、行かなければよかったという後悔の念が混じる。
肝試しに廃村に行こうと言い出したのはサークルのイケメンな先輩だった。憧れていたアキラ先輩の誘いに、怖さよりも一緒に出かけられることに浮かれた私は二つ返事で、参加することに。
アキラ先輩と、先輩の同期のタカシ先輩と、その彼女であり私の同期でもあるヨーコと私の四人で車に乗り込み、その廃村を目指す。山の木々に囲まれた廃村に辿り着いた頃には、すっかり日が落ちていた。電気が通っていない真っ暗な村は、細い月明かりに照らされて、かろうじて建物の形がわかる。その壁に、懐中電灯を向けると、丸い光の輪が浮かび上がった。
懐中電灯の明かりを頼りに建物の周りを歩いてみると、昔ながらのつるべ井戸を見つけた。小さな屋根に滑車が付きそこから縄が垂れ下がっている。人が這いつくばって出でてくるあの映画の光景が脳裏をよぎり、
「いやいや、あれはフィクションだから。」
と、慌てて浮かんだイメージを掻き消す。
「もっと近く行ってみようぜ。」
ノリノリのアキラ先輩に対して気が引けているタカシ先輩。
「いや、やめとこうよ。」
「そうだよ。」
同調するヨーコ。
「せっかく肝試しに来てるんじゃん。お前どうする?」
と振られ、怖さよりも恋心が強かった私は、払拭でききれない不安を抱えながらも答えた。
「行きます。」
「そうこなくっちゃ。」
ぐいっと手を引っ張られたかと思うと、そのまま指が絡みギュッと握られた。そして、井戸の木枠の中が見えないくらいの距離まで連れて行かれた。
「まだ、井戸生きてるかな。」
アキラ先輩は、足元にあった石を拾い上げて、中に投げ入れた。ほんの少しの間をおいて、ポチャンと音が鳴った。
「へー結構深いんだ。」
と、アキラ先輩が言い終わるかいなや地面が揺れだす。立っていられないほどの地震に、思わず井戸の枠に、握られていない方の手を着いた。すると冷たい感触がある。目をやると、井戸の中から水が溢れ出てきている。
「ひっ!」
となって手を離す。直感的に、
「逃げなきゃ!」
と体は井戸に背を向けたいのに、繋がれた手が邪魔をして、動けない。咄嗟に先輩を見ると固まって井戸を凝視していた。
「先輩、行きますよ!」
その声にはっと我に返った先輩だったが、体にうまく力が入らないのか、私が無理やり引っ張って車まで連れて行く。車のドアを開けようとガチャガチャとするが、開かない。
「おーい、どうした?」
後ろからタカシ先輩の声がした。振り返ると、小走りではあるけれど切迫した様子はなく、ヨーコと二人でやってきた。
「もう、急に走り出しちゃって、なんかあったの?」
「車、すぐ出して!」
二人を急かして、出発した車内で一部始終を話すと、
「またまた〜。地震なんて起きてないよ。こっちから見てたら、アキラが井戸になんか投げて、井戸の中を覗き込んだだけにしか見えなかったよ。」
アキラ先輩はといえば、車内で一言も発せず、固く繋がれた手から、ずっと先輩が震えていたことが、伝わってきた。
その後、先輩はサークルに顔を出すこともなく、キャンパス内で見かけることもなかった。しばらくして大学を辞めたらしいという噂を聞いた。
先輩はあのとき井戸を凝視していた。私の位置からは視界に入らなかった何かが見えたのかもしれない。