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アイドル

作者: 藤野葵

 「純文学の人間みたい」


 手元には、2冊の雑誌。

 片方は雑誌の名物企画、ほぼエロ版。

 対して片方は、先の雑誌で表紙を飾った人間の正当な写真集。


 彼女が今呟いた声の先にあるのは右だ。

 右とは片方のこと。

 どちらの片方かというとエロ版の方。


 当然上裸、ベッドに寝転び下も一枚ぱらりと掛けているだけか。

 左の片方の表紙が焦げ茶色の髪に対して、片方は漆黒。断然こちらの方が似合っている。

 これは片方ともう片方の2つに言えることだが、白い肌の映えが素晴らしい。

 名物企画は毎年制作者らのイメージに沿った男性を表紙に迎え、名も顔も出さないこの手専属の女優と共にワンショットを飾らせる。

 対して、今回の片方は彼のソロでの一枚。

 片方を半分に割ったとき、左に頭、右に下の寝転び方。

 時刻は夜でもなければ事を終えた早朝もしっくり来ない。


「今から死にに行く男が自宅の何かに向けた目。うん、とても良い」


 私はそうだと解釈することにする。


 前夜に誰かとの愛に溺れたわけでも今日仕事があるわけでもない。

 何もない一日、何を思い立ったでもなく、突然死ぬことを決めた男の顔。目が合ってすぐの私には、そう見えた。

 


 黄色を感じない白肌と黒髪、身は引き締まっていることはなくこの男性が初見でない者なら女と見紛うような、性別の無さを感じる。

 別にこれを見て発情するような体を、私もしていない。

 美しさとは、性別の無さだったのか。宇宙の最後を考えるような顔で一瞬悩んだ、ただの私だった。

 だが、そんな私でも、これはこの世の何よりも美しいのだと察した。客観ではない、完全な主観。耽美主義を自称する私の一声だ。


 

 表紙の露出した腰をなぞった。

 ゾク、とはするが当然実物に触れた感覚には至らない。

 実物がどれだけのものか、気になる。

 がそれより前にやってきた強烈な興奮と不快感の連鎖に、両方の片方から首を逸らす。


 美しすぎて、とか、そんな話はこの人に対する議題ではないと思う。

 決して、巷で美男子と語られる人ではない、しかしふとした時、あるいはその僅かな確率がハマった瞬間、人間の感覚を逆さまに吊り上げる狂人はたまにいる。

 白い肌、黒い髪、溝の浅い腹筋、別に特別なものではない。しかし、一切のテコ入れ無しに限りなく男という人種を逸脱した男性。

 男性を裏返してもそこに女性はない。つまり彼が女性に見えると、そういう意味ではない。


 彼に惚れるという概念を引き起こした女性もそう少なくはないだろう。

 だが、惚れる、好きになるという感覚よりも先に、美術品として、造形としての美しさが作った違和感に私達の脳が持たない。

 ギャップという言葉はそれを一番単純に言い表した答えなのかもしれないし、今にとっても適切だろう。

 彼の作る美しさはイケメンでも男女問わずの性欲を引き起こすにも、既存作と比べればそうはならない。

 その既存の描かれ方を知っている人なら、むしろそれらよりは弱いと感じるはずだ。

 だからこそ、単純な愛や欲ではなく、背徳を感じさせる男。


 私は吐いてしまった。

 今作品で表紙の彼が世に引き起こしたのは鑑賞物・美術品としての最高峰の記憶の提供だと考える。

 過激でも大胆でも、そんな小細工は撮影者にもそのレンズの先の彼にも、全くない。

 ただ、彼という存在だけが一枚の目隠しと共にやってきて、ネットでそれを一目見た途端、呻き声を誘発させるようなもの。

 退廃的な耽美は生き物が成すものというよりは、三途の川で香るもののよう。遅れてやって来る美しいという感情よりも先に、この男と最後を共にしたいなんて馬鹿な発想を誘発させるような罪の味と表情の柔らかさ。


 私はそれを始めに純文学の人間と例えたがどうだろう。

 耽美主義でいうなら、麗しい女性をいけない事情を背負ったまま追いかける男ではなく、その女性が拠り所とする黒い宿り木になるような人だ。

 首も胸も背も唇も決して与えてはくれない罪は、耐えかねる相手に欲を蓄積させるのではなく純粋な記憶として刻んでゆく。


 きっと私は、この雑誌を明日可燃ゴミに出したとしても。

 三日と立たないうちに男の名をネットで検索に掛け画面の向こうで今一度詰まる呼吸に溺れることだろう。

 耽美とは美しさに対して道徳的倫理を無視してでも魅了されることを言う、美しいの最上級の表現である。

 今作の彼は既に一般に手が届くような存在ではない代わりに、現在の生物であるというたった一つの私達との共通点が、その可能性をほんの僅かでも残させ、私達に感じさせる。

 愛してしまい、思い返してしまい、もしも遠目ですら見てしまった日には、それこそが現実を生きる耽美な人間への一番深い感情になると言えるだろう。

 それこそが、一般に美男子と呼ばれる人間達がここに映ることとの違いだ。

 純粋な愛や欲を感じ世間から99%称賛されるような美の持ち主ではない代わりに、彼は背徳という耽美の新たな一面を持ち合わせてしまっている。彼を良く知らない私のような人間であれば、こんな奴にこんな感情を、と悔しさすら覚えるかもしれない。

 美しさの全てを純粋な心で受け止めきれる人は意外と少なく、誰しもが自分の中で勝手に、美しいに対してランクや厳しい評価基準を持っている。毎回のようにその基準を突破する人こそが世に言うイケメンである反対に、彼自身が僅かに隠し持つ、美へのクリティカルヒットの確率を突破されてしまった瞬間に崩れるのは、精査する側の私達だったのだ。堕ちたのは決して女性だけではないだろう。男性の彼に生理的な欲求を感じた同性も、0ではないはずだ。

 


 非常に美しい。私はそう思う。これ以上に美しいという感情を抱いた人物、というよりは純文学への昇華を見たことがない。

 正気ではない興奮を声に漏らし、どうしても触れたいと思わせ、それでも異なる次元では決して叶わない恋を、金という物体に引きずり込ませる。

 そんな同じ空でも違う次元にすら愛を持つ優しい偶像が、一般にその温かさと避暑地を同時に降り注がせる方法として、彼はこの純文学に登場することを選んだのかもしれない。



 翌朝、私は目が覚めた時、目に涙を溜めていた。

 便所へ行った後、私は雑誌の片方、どちらの片方かというと昨日の右。今日は枕の隣の、究極の耽美の方。それを、写真として写る彼を拾ってきた地域のゴミ収集所に返した。


 そこからアパートの自室への階段を上がると。



「☓☓さーん、お届け物でーす!」

「あ、私です」

「はい、では雑誌一冊ですね。毎度ありー」


 自室に駆け込む。

 初見の衝撃がない代わりに、2度目という体験に彼がもたらしてくれたのは訪れたこともない田舎に感じる懐かしさと同じものだった。何も変わらないその表情。しかし、昨日の私と違うのは背徳感だろうか。


 またこの人と出会ってしまった。

 そして、この人を好きになってしまった。


 なってしまったという表現方法こそ、彼を好きだというには最も適切な言い回しだ。



 封を切った私は再び携帯から支払の効果音を鳴らしていた。

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