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99.偏った恋と執着の物語⑤

翌朝。

アイスベルク侯爵家の門が静かに開かれた。


真っ白な外壁に、蔦の緑がよく映える清楚な屋敷――アルディシオン公爵家と比べればこぢんまりとしているが、どこか落ち着きのある佇まいだった。


「……悪くないな。」


そう呟いて微笑んだのは、完璧な礼装に身を包んだ俺――エンデクラウス・アルディシオン。


屋敷の玄関で出迎えたのは、顔を引きつらせたアイスベルク現侯爵。

まるで胃痛をこらえているような顔つきで、苦々しく言った。


「……ここは、君の家と思って、自由に過ごしてくれて構わんさ。」


ほぼ脅迫に近い書状を受け取ってのこの対応。まぁ当然だろう。


「ありがとうございます。では、遠慮なく」


一礼して館に入ると、廊下の向こうでこちらを見ていた二人の人物と目が合う。


ディーズベルダと、兄ベインダル――

どちらも仏頂面というより、むしろ若干引いていた。


(いい。これでいい。まずは距離を詰めることから始めるんだ……!)


 


そして、その日の夜。


「コンコン」


「……何の用ですか」


わずかに開かれたディーズベルダの部屋の扉から、冷ややかな声が聞こえた。

だが、俺は動じない。むしろ慣れている。


「寝る時間ですよ」


「いえ、忙しいので」


「だめです。健康の管理も俺の務めです。すぐに寝ないなら……強制的に寝かせます、薬で」


「その発想やめて!? もうちょっと普通に説得して!」


顔を真っ赤にしながら、ぴしゃりと扉が閉まる。

うん、今日も元気だ。安心した。


 


そして、別の日――


「ディーズベルダ嬢。食事の時間です」


「……あとで結構」


「では、失礼して――」


ひょい。


「ちょっ!? なにしてんの!? 降ろしなさいよエンデクラウス!」


「膝の上でなら、食べてくれますよね?」


「なにその理論!? おかしいから!」


ジタバタと暴れるディーズベルダを軽く抱き留めたまま、俺はスプーンを持った。

ひとさじ、口元へ。


「はい、あーん」


「ううっ……!」


ぷるぷると唇を震わせながらも、ディーズベルダは観念したように口を開いた。

差し出したスプーンが、小さく彼女の口の中へと収まる。


ほんのひとさじ――だけれど、俺にとっては、それが宝物のように感じられた。

こんなふうに、彼女の世話を焼ける日が来るなんて、以前の俺なら想像もしなかった。


けれど。


――――――――――

―――――――


(……最近、なんだか様子が変わった気がする)


気づけば、ディーズベルダは俺と目を合わせなくなっていた。

表情も、どこか無機質で、口数も少ない。


それでも、こちらの言うことには逆らわなくなった。

呼びかければ返事をし、声をかければ素直に従ってくれる。けれど――まるで、“心”が抜け落ちてしまったみたいだった。



ある日の下校時。並んで歩く俺は、思い切って口を開いた。


「……ディーズベルダ嬢。そろそろ、“ディズィ”と呼んでも?」


言葉を飲み込むような一瞬の間のあと――彼女は、無表情のままきっぱりと答えた。


「いえ。それは、結婚してからにしてください」


柔らかな拒絶。

けれどそれは、どこか“距離”の線引きをするための言葉に思えて、胸にじわりと重くのしかかった。


それでも、俺は歩みを止めない。立ち止まるわけにはいかなかった。


「……では、帰りにスイーツでもいきませんか?」


そっと彼女の手を取ろうとする。

けれど――


「……っ!」


パシッ、と音を立てて、振りほどかれた。

手の甲がひりりと痛んだが、それよりも胸の奥が、じんわりと痛かった。


それでも、また手を伸ばす。

もう一度、今度は少し強く、ぎゅっと引いた。


「空気を読みなさいよ! 空気を!!」


苛立ちまじりの声が跳ねる。

けれど、俺はほんの少しだけ笑って返した。


「はい。とても評判のいい店なんです。“はちみつの花”という果物スイーツの専門店で、特に朝のフルーツプレートが人気だそうですよ」


そう言っても、彼女の表情は動かない。

無表情のまま、ただ流されるように足を運ぶだけ。


到着した店は、王都の中でも特に美しいと評判のカフェだった。

白壁の建物に、ガラス越しの彩り豊かな果物たち。甘い香りに包まれた空間で、俺は静かに彼女と向かい合う。


テーブルに運ばれた艶やかなフルーツを一切れ手に取り、そっと彼女の唇へ運ぶ。

彼女は無言のまま、ただ口を開いてそれを受け取る。目は合わない。笑いもしない。味の感想もない。


それでも、俺は諦めない。


(いつか――この瞳が、俺を見てくれる日が来ると信じている)


―――――――――

―――――――


今日も彼女の工房の扉をノックした。


中では、ディーズベルダが分厚い設計図に顔を寄せ、何かを夢中で書き込んでいる。机の上には歯車、魔石、金属板、それに……木製の小さなドラム缶のようなもの?


「……ディーズベルダ嬢、それは何を?」


ちらりと顔だけ向けて彼女はさらっと答える。


「洗濯機です」


……沈黙。


「……もう一度お聞きしても?」


「だから、洗濯機。服を入れて水と石鹸でぐるぐるするやつ。自動で洗濯してくれて、乾燥機能付きです。」


「……お待ちください。それを、貴族の屋敷で実用化するおつもりですか?」


眉をひそめながら、エンデクラウスは前に出た。


「その発明は――確かに画期的だ。革命的ですらあるでしょう。ですが」


彼は机の上の設計図を指先でとんと叩き、冷静な口調で語り出す。


「それが実用化された場合、どうなるか。第一に、洗濯にかかる時間と労働力が一気に削減されます。結果として、使用人――特にメイドたちの仕事が著しく減少する。つまり、雇用の縮小に繋がる可能性が高い。」


「……またそれですか?」


ディーズベルダはうっすらと眉をひそめながらも、手元の設計図から目を離さない。


しかし、エンデクラウスはさらに続ける。


「さらに言えば、洗濯音、排水、魔力消費――すべてが環境に影響を及ぼす可能性もあります。前例がない以上、屋敷内の構造そのものにまで手を加える必要があるかもしれません。コストと労力を考慮すれば、現状では……実用化しない方が良い気がしますよ。」


「……」


ディーズベルダは静かに手を止めた。

羽ペンの先が、さらさらと動いていた設計図の余白で止まり、沈黙が落ちる。

視線は紙の上を滑らせたまま、けれどわずかに口元が揺れた。


「……そっか」


ぽつりと漏れた声は、あまりにも自然で、素直だった。


「そうね。……助かったわ。ありがとう」


それはほんの少しだけ心を許した人にしか見せない、微かな“ほころび”。

その瞬間、彼女の中の冷たい無表情に、わずかに温度が差したように感じた。


エンデクラウスは驚きはしなかった。けれど、胸の奥がじんわりと温かくなる。

彼女がきちんと自分の言葉を聞き、受け止めてくれたこと。

それだけで、十分だった。


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