表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

98/188

98.偏った恋と執着の物語④

数日後のことだった。

俺のもとに、思わぬ報せが届いた。


どうやら――王女、スフィーラ・グルスタント殿下が、俺に興味を示したらしい。

王が父に、婿としてどうかと打診してきた、というのだ。


アルディシオン公爵家、本邸・執務室。

父――ディバルス・アルディシオン公爵の前に立った俺に、差し出されたのは一枚の紙だった。


「ここに、サインをしろ」


無機質な声音で告げられたその言葉に、俺は静かに眉をひそめた。

差し出されたのは、スフィーラ王女との“婚約契約書”だった。


「お待ちくださいませ、父上」


「なんだ。口答えはいらん。公爵家の者が感情など持ってどうする。

己を“道具”と思え。それが当主としての務めだ」


淡々と放たれるその言葉に、息をのみそうになった。

……だが、それでも俺は一歩も退かない。


「はい。俺は、自分が道具であることを承知しております。

しかし――“より効率的な道具の使い方”をご提案申し上げたく思います」


父が僅かに眉を上げた。

俺は合図を送り、後方に控えていたジャケルが、さっと分厚い資料を差し出す。


「これは?」


「こちらをご覧ください。

ディーズベルダ・アイスベルルク嬢が、九歳の頃から発明し、稼ぎ出した利益の詳細です。

すでに個人資産だけで、地方貴族五家分に匹敵します。加えて、彼女の発明品は王都市場に広く出回っており、今後も安定した継続的な利益が見込まれます」


「……ふむ、これは……」


分厚い帳簿の一枚一枚をめくる父の手が、次第に止まっていく。

やがて、父の隣に立っていたディバルス家の執務官までもが、目を丸くした。


「父上……この額は、ただの商会とは思えません。王宮御用達にしてもおかしくない規模です」


「うむ……。確かに“天才令嬢”などと噂は聞いていたが……。

まさかここまでとはな……。女とは思えん……」


――失礼極まりない感想だが、俺はそこに食いついた。


「父上、母上は“王族の出”でいらっしゃいましたよね」


「そうだが、それがどうした」


「同じ血統をさらに濃くすれば、後継の誕生に支障をきたす可能性もございます。

加えて、スフィーラ王女殿下の浪費癖は公にも知られております。

それに対し、ディーズベルダ嬢は収益を伸ばす実績を示しており、知性も実行力も並外れています」


「……それで?」


「俺は、このディーズベルダ嬢を“公爵家の駒”として完璧に機能させられます」


そう言い切る俺に、父は沈黙ののち、低く唸った。


「……ふむ。“金の肥やし”には、こやつの方が優れていそうだな」


「俺の目的は、“公爵家の安定と発展”です。

そのためには、“王族”よりも、“稼げる才女”を選ぶべきではありませんか?」


「……よかろう」


重々しい口調で、父が告げた。


「その代わり、逃げ道はないぞ。

本当にその女を公爵家に迎えるのなら、どんな形であれ“全うする”のだ」


「もちろんです」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


そうして二年が過ぎた。


ディーズベルダは――まったく俺になびかなかった。


どれだけ距離を詰めようと、どれだけ甘い言葉を囁こうと、彼女は微動だにしなかった。いつも淡々と、冷静で、まるで氷の壁を築くように。


そして、ついにあろうことか。


リーフィット侯爵子息――あの草食系の、温和で礼儀正しい青年と縁を結ぼうとしたのだ。


あの瞬間、俺の中で何かがぷつりと切れた。


やや強引に。 いや、正確には――脅迫じみた手段で、俺は彼女との婚約を取りつけた。


もちろん、心から望んでいた婚約ではあった。 ただし、彼女にとっては、まったくそうではなかったのだろう。


けれどそれでも――俺は、諦めなかった。


それどころか、すぐさま次の一手を打つため、執務室へと向かい、父ディバルス公爵の前に立った。


「父上。お願いがございます」


「なんだ、今度は何を企んでいる」


執務机に積まれた書類から視線を上げずに、父はぶっきらぼうに答えた。


「アイスベルルク侯爵家に――俺を滞在させてほしいのです」


「……は?」


初めて、ディバルスが顔を上げた。


「文が必要です。“婚約者と愛を育むため”という建前で構いません。公的な書状を出していただければ、アイスベルルク侯爵家も断れません」


「ふむ……」


父ディバルスは、机に指をトントンと叩きながら、俺を値踏みするように見た。


だが本音は別にあった。


この文があれば――あの家に俺を“置ける”。彼女の開発を間近で監視し、盗めそうな技術があれば、すぐにでも手を出せる。誰よりも早く、その才能を我が物にできる。


そう、彼女を“公爵家の駒”として囲い込むには、これ以上ない口実だった。


「……よかろう。公的な文書は、こちらで手配しておこう」


ディバルスがゆっくりと口角を持ち上げる。俺もまた、静かに一礼した。


たとえ今、彼女の心が俺に向いていなかったとしても。


それでも――俺は絶対に手放さない。


好きだから、なんて綺麗事ではない。


そう、あのときの俺は、まだただ“欲しかった”だけだったのだ。


手に入れたい。誰にも渡したくない。ただそれだけの、我儘な欲望。


だが、そう思いながらも、ほんの一瞬、胸の奥がきゅうと痛んだ気がした。


(ディーズベルダ嬢……きっと、あなたはまだ気づいていない。俺が、どれだけあなたに人生を捧げてきたかを――)


ほんの少しでも、報われたくて。

ほんの一度でも、俺を見てほしくて。

振り向いてくれる日を夢見て、積み上げてきた時間だった。


けれど――まだ、彼女の瞳には、俺は映らない。


だからこそ、俺は手段を選ばない。

欲しいものを手に入れるために、俺は努力を惜しまない男だ。


そうして――


翌日には、俺は“婚約者として愛を育む”という名目のもと、アイスベルルク侯爵家の別邸に住まうこととなった。


すべては、彼女の隣にいるために。

どれだけ冷たくされようと構わない。

この距離にいられるなら、それだけで――俺は、十分だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ