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95.偏った恋と執着の物語①

(――あれは、物心がついた頃のことだった)


俺が初めて意識したのは、燃えてゆく“家”の光景だった。


荘厳な柱も、繊細なカーテンも、全て――火に包まれていた。

それは、俺自身の魔力が暴走した結果だった。


制御不能な“火の魔力”があふれ、意思を持つかのように龍の姿をとって、

屋敷のすべてを焼き尽くしていった。天井が崩れ、悲鳴が上がる中で、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。


――それでも奇跡的に誰一人、死ななかったのは、

公爵家に仕えていた教会の司教が、間一髪で浄化の術を使ってくれたからだった。


けれど、その日から――俺の世界は、閉ざされた。


本邸とは遠く離れた別館の“燃えぬ塔”と呼ばれる石造りの塔に、俺は隔離された。

鉄の扉、重たい窓。空気の流れも、時間さえも止まったような場所だった。


外の空は見えず、触れるもの全てが硬く冷たい。

俺はそこに“危険物”として閉じ込められたのだ。


(――このまま、魔力を制御できなければ、いずれ“処分”される)


そんな未来が、すぐそこにあった。


だが――それでも俺は、完全には壊れなかった。


魔力が少しでも落ち着いた時だけ、

世話係としてやって来る執事・ジャケルと、乳母のスミールがそばにいてくれた。


ジャケルは、何度か俺の炎に巻き込まれ、髭の先を焦がしていた。

それでも、どれだけ燃やしても、彼は俺を見捨てなかった。


スミールは聖属性を微弱に持っていて、教会から来た治癒師でもあった。

彼女は、焼けどを負ったジャケルを治し、俺の心が完全に崩れないよう、穏やかに話しかけてくれた。


……そんな日々が、何年も続いた。


そして、俺が十四歳になったある日――


「坊ちゃんっ!! 坊ちゃん、これを!!」


塔の廊下を転がるように駆け上がってきたジャケルが、息を切らしながら部屋の扉を開いた。


中は、またしても魔力暴走の影響で燃え始めていた。

天井の一角が赤く染まり、家具の表面が焦げている。


「なんだ。火傷するぞ、ジャケル」


「構いません! これを!! あちっ!」


ジャケルが投げるように差し出したのは、見慣れぬ白い細長い筒――


「……“ボディークリーム”? なんだこれは」


ラベルにはそう書かれていた。


あやしさ全開だった。

だが、腕を真っ赤にしているジャケルの様子を見て、俺は黙ってキャップを外し、中身を指に取ってみた。


そして、半信半疑のまま、それを腕、肩、胸と、全身に塗り広げていった。


すると――


(……収まった)


今まで暴れるだけだった魔力が、すっと、静かに沈んだ。

体の内側から沸き上がっていた火の奔流が、ぴたりと止まり、

まるで“皮膚”という名の境界ができたかのように、魔力が外へ漏れ出すのを止めた。


「……これは……!」


「はいっ! アイスベルルク侯爵家のご令嬢、ディーズベルダ様が作られたのです。お年は……たしか、まだ九歳とか」


「……なに……!?」


にわかには信じがたい。

俺を救ったこのクリームを作ったのが――たった九歳の少女だと?


衝撃だった。

世の中に、こんな発想を持つ者が存在するのか。しかも、まだ子どもだというのに……。


その日から、俺はボディークリームを欠かさず使うようになった。


朝も、夜も、そして何かを始める前にも。


手のひらで丁寧に伸ばしたそのクリームを肌に馴染ませるたび、

かつて暴れまわっていた魔力は、嘘のように静まりかえった。


まるで――

俺の中の“獣”が、ようやく檻に収まったかのようだった。


(……まさか、こんな日が来るとは)


それはもう、奇跡に近かった。


そしてふと思ったのだ。


(……もしかして……)


クリームを塗る自分の手を見つめながら、胸の奥に、ぽつりと希望が生まれる。


(もしかすると……俺の存在に気づいて、俺のために作ってくれたのでは!?)


彼女のことを知った瞬間から、なぜかそんな確信にも似た思い込みが芽生えていた。


いや、冷静に考えれば、それはまったくの偶然。

彼女は侯爵令嬢で、俺とは関わりのない人生を送っているはずだ。

それに、彼女はまだ九歳だという。


だが、そんな理屈は――この時の俺には通じなかった。


「ジャケル!!」


寝室から勢いよく顔を出すと、書類整理をしていた老執事が、眉をひそめて振り返った。


「彼女は九歳と言ったな!? 本当に九歳か!?」


「……はい。アイスベルルク侯爵家の長女、今年で九歳と伺っておりますが……」


「よし。なら、俺はあと三年この塔に籠る!! 入学は十七歳まで遅らせる!!」


「――はい!?」


ジャケルの手から紙束が滑り落ちる。


「な、何を仰って……! あれほど外の世界に出たいと……」


「いいんだ!!」


熱を帯びた声に、自分でも驚いた。


「今はそれよりも重要なことがある!」


エンデクラウスは足音も荒く、執務机へと戻り、地図や本をバッと広げる。


「ディーズベルダ嬢と……“接点”を作らなければ!」


「せ、接点……?」


「そうだ! 学園生活こそが貴族の青春の要!! 本にそう書いてあった!」


「は、はぁ……?」


「だから俺は、彼女と同時に学園に入学する!! 十七歳だ。そこまでに完璧に準備する!」


「ぼ、坊ちゃま……いえ、ご子息……」


「それから! アイスベルルク侯爵家に間者を送ってほしい!」


「ま、間者……!?」


「彼女の行動記録、家の財政状態、発明品による利益、それに交友関係!! 一日一報告、頼む!」


ジャケルは額に手をあて、長い沈黙ののち――深くため息をついた。


「……これは、ご子息がついに恋に堕ちたということで、よろしいでしょうか」


「こ、恋……!? な、なにを言っている! これは、あくまで恩返しだ! 感謝の気持ちを――その、えっと……敬意と……その……好奇心だ!!」


「はいはい、“好奇心”でございますね」


どこか諦めたような顔のまま、ジャケルはゆっくりと頭を下げた。


「かしこまりました。では、間者の手配と、学園入学までの準備期間の設定――すべて、手配いたします」


「頼んだぞ、ジャケル!!」


「まったく……“どちらが病気か”わからなくなってまいりましたな」


ジャケルは肩をすくめながら、そっと扉を閉じた。


塔の中。

その石造りの静けさの中で、ひとり胸を高鳴らせる少年。


彼の名前は、エンデクラウス・アルディシオン。


……そしてこの瞬間、彼の“偏った恋と執着”の物語は、ひっそりと幕を開けたのだった。



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