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92.絶体絶命エンリセア

王宮の建国記念パーティー。 金と白を基調にした会場の中、音楽と人々のざわめきが華やかに響く。


その中で、エンリセアは――ずっと、ある男に“捕まっていた”。


「ねえ、俺のこと……覚えてる?」


やや甘さの残る青年の顔が、すぐ目の前で微笑んでいる。 金髪碧眼。整った顔立ち。ラフィート・グルスタント第一王子。


「もちろんでございますわ、ラフィート王子殿下」


エンリセアは、完璧な礼儀をたたえた笑顔で応じた。 けれど、心の中ではすでに“面倒な相手に絡まれてしまった”と警報が鳴りまくっていた。


「俺がいなかったせいで、君……ひどい目にあってるんだろ?」


「……はい?」


言葉の意味がつかめず、思わず眉をひそめる。


「だってさ、あの“氷の貴公子”って呼ばれてるベインダル・アイスベルルク。血も涙もないって有名だよ。しかも君より七つも年上の男と婚約なんて……ひどい話だ」


「………………」


(何を、言い出すのかしらこのお方……)


ラフィート王子は、真剣な顔で続ける。


「でも安心して。俺が戻ってきたからには、そんな婚約、すぐに塗り替えてあげるから」


「……は、はぁ?」


「だから俺と――」


「少々、何を仰っているのか分かりかねますわ。私は、ベインダル様を心よりお慕いしておりますのよ」


微笑を崩さず、エンリセアはさらりと返す。だが内心は、すでに“早くどこか行って”と念じていた。


「ふふっ、そういう嘘はいいって。誰も彼には近寄りたがらないって聞いてるしね?」


ラフィート王子が、得意げな笑みを浮かべて言い放つ。


(――あら、それは当然ですわ)


エンリセアは、微笑を崩さぬまま、内心で冷ややかに思った。


誰もベインダルに近寄りたがらない理由。 それは彼の気迫や“氷の貴公子”という異名ゆえではなく――


彼女自身が、常に半歩後ろで付きまとい、 どんな社交の場でも他の女性が近づこうものならすかさず間に入り、 言葉巧みに追い払っていたからだ。


しかし、王子はそれに気づいていない。特にこの王子は、まるで自分が“本命”であるかのような勘違いをしている様子だった。


(……恐ろしいほどに、自己評価が高いですわね)


それでも、礼儀を崩すわけにはいかない。 エンリセアは、上品な笑みをたたえたまま、まっすぐに彼を見上げた。


「王子殿下。なにか誤解をされているようですが、私とベインダル様は、深い信頼と敬愛のもとに、婚約を結ばせていただいておりますのよ」


言葉の選び方も、声のトーンも完璧。だが、込められた“遠回しな拒絶”は、明白だった。


――けれど。


「そういう嘘は、もういいってば。俺とリセの仲じゃないか」


ラフィートは悪びれるどころか、むしろ“懐かしさをにじませた微笑”でそう言い返してきた。


(仲? 誰と誰の? ……気が狂ってらっしゃるのかしら?)


エンリセアは優雅に微笑んだまま、心の中では全力で叫んでいた。


(これはもう、かつての“留学送り”の恨みですの!? でも私は悪くありませんわよ!? あなたが勝手に飲まれていっただけで……!)


逃げ出したい。でも、できない。 貴族令嬢として、公共の場で騒ぐのは許されない。 それに、下手に拒絶すれば“わざとそうしている”と思われる危険すらある。


そのとき――


ふわり、と空気が変わった。


会場の奥、楽団の前で、指揮をする指揮者がゆっくりと腕を上げる。 始まりの合図のように、繊細な旋律が流れ始めた。


(この旋律……!)


耳に覚えのある、それは“求愛のワルツ”の前奏。 この曲が流れるとき、それは“誰かが、誰かに心を示す”という意味を持っている。


当然、申込みの意志がある者は、その一小節前から相手に声をかけるのが通例。


「――あぁ、ちょうどいい。リセ、このダンス……俺と…」


(……きたっ!!!)


逃げ場が――ない。


踊りを断るというのは、相手の面目をつぶすこと。 しかも、それが第一王子となれば、影響は計り知れない。


(いやいやいや!!ベインダル様以外とこの曲で踊るなんて、ありえませんから!!)


緊張と焦りが胸を締めつける。 しかし次の瞬間――


「リセ」


その一声が、静かに、けれど強く、背後から届いた。


エンリセアの心臓がドクンと高鳴る。呼ばれ慣れた名前なのに――“彼の口から”聞くのは、これが初めてだった。


(……いま、リセって……)


振り返らなくても、わかる。背筋が自然と伸びるような、あの存在感。銀の髪がゆるやかに揺れ、冷たい青の瞳が空気を一変させる。


ベインダル・アイスベルク。


堂々としたその立ち姿が、ラフィート王子の隣に割って入り、その視線を遮るように立った。


「俺が先に――!」


ラフィートが反射的に声を上げたが、ベインダルは一切意に介さず、ただ一歩、静かに進み出る。


「王子であれど、他家の婚約者に求愛するのは……この国の秩序に関わる行為では?」


その声音は冷ややかで、しかし一点の曇りもなかった。


「政略結婚なんて、くだらない。俺は自分の意志で選びたいだけだ!」


感情をあらわにするラフィートに対し、ベインダルは涼しい顔で一言。


「それが、他者の未来を踏みにじるものならば――それはただの我儘だ」


(え……っ、なに、このやり取り……)


エンリセアは呆然と二人を見つめていた。


だが、次の瞬間――


「リセ、返事を」


凛とした問いかけが、彼女に向けられた。


その目は、いつものように冷たい――でも、ほんの少しだけ、揺らいでいるようにも見えた。


(ベインダル様……こんな大勢の前で、私のことを“リセ”って呼んで……)


胸がぎゅっと苦しくなる。


「はい……喜んで、お受けいたしますわ」


エンリセアはしっかりと顔を上げ、ラフィートから目を逸らして、彼の差し出した手を取った。


その瞬間、会場の視線が一気に二人へと集まる。


「え!? お兄様とリセちゃんが踊るの!?」


遠く、壁際でその様子を見ていたディーズベルダが、思わず声を漏らす。


「先を越されてしまいましたね」


隣のエンデクラウスが、どこか楽しそうに肩をすくめた。


――そして。


場に――華やかでいてどこか切ない旋律が流れはじめた。


ショーダンス・ワルツ。


技と演出を重視した、舞台型のワルツ。

滑らかに広がるリズムの中に、激情と優雅さが織り込まれた旋律が、会場を包み込む。


その一歩一歩に意味があり、

ひとつひとつの振付には、パートナーに捧げる“物語”が宿る。


それは、ただのダンスではない。

――想いを示す、愛の告白そのもの。


「お、踊れますの……? この曲……」


エンリセアの声が、ほんの少し震えた。

このダンスの意味と流れを、彼女は当然知っている。

最初と中盤に三度――そして終わりには、必ず“キス”があると。


不安げな視線を向ける彼女に、ベインダルは一歩近づき、

冷たいほどに静かな眼差しで見下ろした。


「問題ない」


そのまま、ふっと顔を近づけ、耳元に息がかかる距離で低く囁く。


「……覚悟しておけ。これは“本気”で踊る」


その言葉が意味するすべてを、エンリセアは理解していた。


(な、なんですって……!?)

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