90.建国記念パーティー
あっという間に時は過ぎ――
ついに、王室主催のパーティー当日を迎えた。
朝、支度部屋で髪を整えながら私は、何気なく隣にいたエンデクラウスに問いかけた。
「ん? 今日って、なんのパーティーなの?」
その瞬間、部屋の空気がピリッと変わった。
エンデクラウスの優雅な笑顔に、背後で雷が走る。いや、幻じゃなくて本当に。
ぴしりと張り詰めた空気の中、ジャスミンをはじめとした侍女たちまでもが、凍りついたように微笑んでいた。
「……ディズィ。いくらなんでも、この王国の“建国記念日”くらいは覚えておきましょうね?」
「え!? あっ……ええと……もう、そんな時期……?」
「ええ、“もうそんな時期”なんです」
エンデクラウスの声音は優しいのに、どこかじわりと圧がある。
私は思わず視線を逸らしながら、頬を指先でかいて言い訳した。
「し、仕方ないじゃない。最果ての荒れ地は、春夏秋冬の変化がないんだもの。常にずーっと、21度から25度の快適気温を保ってるんだから、季節感が薄れちゃうのよ」
「……ふぅ。確かに、楽園のような地で季節感を失うのも分かりますが――」
エンデクラウスは息をひとつ吐くと、私の瞳をじっと見つめて言った。
「……ディズィ。今日のパーティーでは、俺から絶対に離れないようにしてくださいね。妊娠していることもありますが――」
彼の声はぐっと落ち着いた、貴族らしい低音になった。
「天才発明家として名を知られるあなたが、もし“ボロ”を出せば、それは我がルーンガルドの信用に直結します。誤解されれば、王都中に尾ひれがついて広まるでしょう」
「う、うん。わかったわ。……真面目に頑張る……」
本当に、あらゆることを見抜いている夫である。
“いつも適当に流している私”を理解したうえで、こうやって釘を刺してくれるあたり――やっぱり抜け目ないなと思う。
やがて、鏡の前で仕上がった私の姿を見て、思わず息を呑む。
ディープパープルのドレス。
軽やかなマタニティ仕様で、お腹に負担をかけず、動きやすく設計された生地。
裾にはびっしりと青の糸で繊細な刺繍が施され、小さなダイヤモンドが宝石のように煌めいていた。
一方、エンデクラウスも同じ紫を基調に、同じく青の刺繍を施された礼装をまとっていた。
白金のボタンが煌めき、まるで“魔王の正装”かと見紛うほどの貫禄と優雅さを放っている。
そんなとき――
「みゃ~~~~っ!」
廊下から、ジャスミンの腕に抱かれたクラウディスが、目を輝かせてこちらへ駆け寄ってくる。
「クラウ、お留守番お願いできるかしら?」
「……あぃっ!!」
小さな体でビシィッと敬礼するその姿に、私の胸が一気にきゅんと締めつけられる。
「はっ!? ……天才……!!」
あまりにしっかりした反応に、思わず両手で頬を覆って感動した。
エンデクラウスによる日頃の騎士たちへの命令や指導を、横でずっと見ていた結果だろう。
(もう……我が子ながら、どこまで賢いのこの子……)
エンデクラウスはクラウディスの頭を軽く撫でると、私に手を差し出して言った。
「それでは――行きましょうか、魔女様」
「ええ、魔王様」
ふたりして顔を見合わせ、小さく笑い合う。
紫に身を包んだ“魔王と魔女”は、王国の建国を祝う場へと、ゆっくりと歩き出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都中心部にある大広間。その扉の前には、貴族たちがずらりと整列し、出番を静かに待っていた。
会場の扉は、まだ固く閉ざされている。
――そう。最初に通されるのは、王と王妃なのだ。
扉がゆっくりと開かれると、赤の礼服に身を包んだ国王と王妃が、堂々とした足取りで歩を進めていく。さらには王子、その後ろに続いたのは――
「王女スフィーラ・グルスタント殿下 ならびに、グルスタント王国忠臣、コーリック・ダックルス辺境伯——ご入場!」
高らかに名前が読み上げられ、ドレスの裾をひるがえすスフィーラ王女が、誰よりも高貴な笑みを浮かべて進んでいく。付き従うのは、厳つい鎧のような正装に身を包んだコーリック。会場はその瞬間、ざわっと小さくどよめいた。
続けて――
「アルディシオン公爵夫妻、フィードレイ夫人、ディバルス公爵殿——ご入場!」
黒を基調とした一団が通ると、
「パーシブルスト公爵夫妻、ミリオン夫人、ケイオス公爵殿——ご入場!」
青の衣装に包まれた貴族たちが、優雅な歩みを見せていく。
そして、見慣れた後ろ姿が現れる。
「アイスベルク侯爵家嫡男、ベインダル・アイスベルク殿 ならびに、アルディシオン公爵令嬢、エンリセア・アルディシオン嬢——ご入場!」
水色のドレスがゆらめき、完璧にまとめ上げられたアップヘアがきらりと光る。 相変わらずお兄様は隙のない美しさだったし、リセはリセで、どこか張り切っている様子。
そしてついに――
「アルディシオン公爵家嫡男、エンデクラウス・アルディシオン殿 ならびに、そのご夫人、ディーズベルダ・アルディシオン嬢——ご入場!」
場の空気が、ピンと張り詰めた。
紫のドレスと礼服をまとった私たちは、並んで会場の中へと足を踏み入れる。 まるで、物語の中の登場人物のように。
(……やっぱり、何度経験しても、慣れないわ)
私たちが足を進めるたび、視線がぶつかる。 きらびやかな会場の中央を進むこの“入場の儀”は、毎年恒例――私が14歳で半ば強制的にエンデクラウスと婚約してから、建国記念パーティーでは必ずこの形で入場してきた。
今となっては、歩き方もタイミングも、呼吸を合わせるのも自然なこと。
けれど、周囲の視線は相変わらずだ。
「……あれって、罪人じゃなかった?」 「なのに、なんで堂々と?」 「エンデクラウス様を、まるで“拘束”しているみたいよね」
ざわざわと、ヒソヒソ声が耳に届いてくる。 けれど、もう驚かないし、驚けない。
他方――男性陣は目の色を変えていた。
「あれが、“例の発明家”か……」 「魔導冷蔵庫に、温度調整布……市場に出す前に一枚噛めないものか……」 「公爵夫人といえど、商談次第では――」
まるで獲物を見るような目つき。 商人として、研究者として、そして何より“金儲け”を目論む者として。
さらに別の方向からは、視線が腹元に集まる。
「……あのふわっとしたシルエット……」 「まさか、ご懐妊中……?」 「そんな状態で出てくるとは……!」
(……ふぅ。まったく、どこを見てるのよ)
周囲の視線を軽く流しながら、私は一歩、また一歩と会場の奥へと進んだ。
全ての招待客が所定の場所へ整列し、天井に届きそうな大扉が、再び重々しく閉まる。
豪奢な空間に、荘厳な沈黙が広がった。
――建国918年の祝賀式、開幕である。
壇上に立った王が、朗々とした声で演説を始める。
この国の礎を築いた祖王の歴史から、現在に至るまでの繁栄。
平和を守るための努力。国民への感謝。そして、今後の希望――。
(長い……)
思わず欠伸をこらえそうになるのを、ぐっと堪える。
ちら、と横を見れば、エンデクラウスは表情ひとつ変えず、王に視線を向けていた。
その姿が妙に凛々しくて、私はつい、ふふっと笑みを漏らす。
(そういえば昔から、こういう式典は苦手だったのよね、私)
けれど、その隣に立つ彼は――誰よりも堂々としていた。




