9.モンスターウェーブ
それからというもの——。
最果ての荒れ地には、人が続々と集まり始めた。
王都の貧民、各領地で行き場を失った者たち、そしてエンデクラウスが招いた公爵家の使用人たち。
かつては誰も寄り付かず、ただ荒れ果てるだけだったこの土地に、人々の足音と、生活の気配が広がり始める。
粗末な荷車を引きながら歩く親子、肩を寄せ合う老夫婦、不安そうに辺りを見渡す若者たち——
彼らの表情は様々だったが、その瞳にはどこか希望が灯っていた。
(ここが、本当に新しい生活の場になるのかぁ……。)
ディーズベルダは、城のバルコニーから集まる人々を見下ろし、そっと息を吐いた。
だが、この領地はまだ完全に開拓されたわけではない。
問題は山積みだ。
食糧、住む場所、そして何よりも——外部の目。
今はまだ、王都や貴族たちの目をかいくぐりながら、この地を成長させなければならない。
そこで、エンデクラウスと話し合い、一つの策を打つことにした。
◇◆◇◆◇
「モンスターウェーブという周期的な魔物襲来がある、ということにしておきましょう。」
エンデクラウスが、静かに提案した。
ディーズベルダは椅子に座ったまま、頬杖をついて考える。
「周期的な魔物襲来……?」
「ええ。定期的に魔物が発生し、領地を襲うという設定を作るのです。」
彼は、さらりとした口調で続ける。
「そうすれば、この地がまだ"安全ではない領地"だと認識されます。」
「つまり、王都や貴族たちが深入りしない理由を作る、ってことね?」
ディーズベルダは納得したように腕を組んだ。
最果ての荒れ地は、今でこそ開拓が始まったものの、正式な領地としてはまだ発展途上。
もし王族や貴族たちが、ここに価値を見出してしまえば——
「下手をすると、王族の直轄地にされるか、強引に別の貴族が乗り込んできて支配を主張するかもしれない。」
「その通り。だから、"危険な場所"という認識を作っておいたほうが、しばらくは安全です。」
「……賢いわね、エンディ。」
ディーズベルダは感心したように微笑んだ。
(こういう駆け引き、本当に得意よね、この人……。)
だが、確かに有効な手段だ。
"モンスターウェーブ"があるという噂を広めることで、この地に簡単には手を出せなくなる。
「でも、そうなると、領地の発展も制限されるわよね?」
「だからこそ、適度に"制御された脅威"にするんです。」
エンデクラウスは紫の瞳を細める。
「本当に襲われては困りますが、適度に"魔物がいるらしい"という空気を維持する。」
「……なるほど。」
ディーズベルダは頷きながら、指先で机を軽く叩いた。
「つまり、適度に魔物の痕跡を残しながら、本当に人々が襲われないように管理するってことね?」
「そういうことです。」
彼女は考える。
「なら、魔物の討伐依頼なんかも作って、適度に騎士たちや冒険者に手を出させておくのもアリね。」
「ええ。それも領地経営の一環として機能するでしょう。」
こうして——
最果ての荒れ地には「周期的に魔物が襲ってくる」という架空の危機が設定された。
◇◆◇◆◇
「さて、それじゃあ次にやることは……。」
ディーズベルダは、考え込むように呟きながら城の地下研究所へと足を運んだ。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
魔王城の地下に広がるこの研究所は、かつて魔王が何かを研究していた場所らしく、
古びた机の上には、異世界の技術を模したような装置が並んでいる。
ランプの光に照らされた棚には分厚い研究ノートが詰め込まれ、
その奥には、今も稼働し続ける謎の生産装置が静かに佇んでいた。
彼女は機械のそばに歩み寄り、スイッチを入れる。
ガコン……
機械が低く唸りを上げると、セットしておいた設計通りに、鋤や鍬などの農具が次々と生み出されていく。
この装置を使って、現在大量の農具を生産し、住民たちに配布していた。
食糧の安定は、開拓の最優先事項。
「農具がなければ畑を耕すことすらできないものね。」
ディーズベルダは、すでに出来上がった農具を手に取り、軽く重量を確かめる。
頑丈で、実用的なデザイン。
魔道具の技術が組み込まれているのか、通常の鍬よりも軽く、扱いやすくなっているようだ。
「これなら、女性や子どもでも扱いやすいかも……。」
この装置があるおかげで、領地の開拓は順調に進んでいた。
しかし——。
(この装置、無制限に使えるわけじゃないかもしれないのよね……。)
彼女は、生産を続ける機械を見つめながら、眉を寄せた。
今のところは問題なく動作しているが、そもそもこの装置の仕組みやエネルギー源は解明されていない。
研究ノートは未だ全てを読み終えたわけではない。
この機械がどれほどのエネルギーを持ち、どこまで使えるのか——それが分からない以上、無闇に頼るのは危険だった。
彼女はそっとノートをめくりながら、小さく息を吐いた。
「……慎重に使っていくしかないわね。」
一度は呟いたものの、その言葉には不安が滲む。
もしもこの装置が突如として動かなくなったら——。
すでに開拓が進んでいるとはいえ、生活基盤が整う前に農具の供給が絶たれたら、住民たちの生活に大きな影響が出る。
(もし装置が止まったときのことも考えて、早めに別の方法を用意しておかないと……。)
代替手段を確保する必要がある。
たとえば、現地で手作業で農具を作る技術を持った職人を育てるとか、簡単に修理できる設計を考えるとか。
(何事も、便利なものに依存しすぎるのは良くないわ。)
思わず、前世の世界のことを思い出す。
高度な技術に頼り切っていたあの時代。
もし何かが突然使えなくなったら、人々はどうなるのか。
便利さは諸刃の剣。
それは、魔王城の装置にも当てはまることだった。
ディーズベルダはノートに目を落とし、機械の起動プロセスやエネルギー供給について記された部分を探る。
(何かヒントがあればいいけど……。)
時間をかけて慎重に解読しなければならない。
それでも、焦ることなく、一歩ずつ。
慎重に、しかし着実に——。
この地を、自分たちの手で開拓していく必要があった。