89.魔王と魔女
王都の高級ドレスショップ【ヴィクトリシア】――
ネッサリオールと並ぶ一流店のその店内は、上品な香りと、糊のきいた新しい布の音に満ちていた。
私は、大きな姿見の前でふわりとスカートの裾をつまみ、そっと身じろぎする。
(……なにこれ、軽っ)
驚いたように鏡を見つめる。
目の前に映っているのは、見慣れない“私”だった。
着ているのは、エンデクラウスが選んでくれたマタニティ用の礼装ドレス。
お腹まわりにゆったりと余裕を持たせたデザインで、けれど野暮ったさは一切ない。
腰元からゆるやかに広がるスカートには、小さなダイヤモンドがこれでもかというほど丁寧に散りばめられていて、
一歩動くたびに星の粒のようにきらめく。
そして、その生地全体にびっしりと施された青い刺繍――
流れるようなその文様は、遠くから見れば清楚で気品にあふれ、近づけば近づくほど、繊細な美しさが浮き上がってくる。
見れば見るほど、高級感と洗練の塊。
(……うん。文句なしに綺麗。綺麗なんだけど……)
問題は、ベースの“色”だった。
(なんで、よりによって紫なの……!?)
「我慢してください。ルーンガルドに与えられたモチーフカラーが紫ですから」
すぐ隣で、エンデクラウスが察したように口を開く。
「わかってるわよ……でもこれ、私、魔女みたいじゃない?」
紫のドレスなんて、前世じゃいかにも“妖艶”とか“怪しい系”ってイメージだった気がする。
でも、この世界では――
「……魔女って、なんですか?」
エンデクラウスがきょとんとした目で聞いてきた。
(あっ、そっか……)
この世界では“魔女”という存在が日常の一部すぎて、逆にそういうファンタジー的な分類すらされていない。
「……ううん、なんでもない」
私は曖昧に笑って誤魔化しながら、もう一度鏡の中の自分を見つめた。
ちょっと気取って、手を胸元に添えてみる。
たしかに似合ってる気もするけど……やっぱりどこか、魔女感。
「……ふふっ、魔王みたいね」
隣に目を向けると、エンデクラウスもまた、私とお揃いの生地を使った礼装を身につけていた。
深い紫に、同じく青の刺繍。
シルバーの装飾がさりげなく光を反射していて、全体的に引き締まった印象。
あの上背で、あの顔立ちで、しかもこの色――
なんていうか、すごく“ラスボス感”ある。
「なら、魔王と魔女とやらで、お揃いですね」
その声に、思わず目を細める。
たとえ色が紫だろうと、きっとこの人と並んでいれば、堂々としていられる気がする。
(――よし。もう魔女でいいや)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都の華やかな街並みを後にし、エンデクラウスと私はようやく別邸の門をくぐった。
荷馬車の荷台には、ジュエリーショップで購入した宝石箱の山と、靴屋で選んだ靴の入った箱がずらり。もちろん、全部エンデクラウスの“セレクト”によるものである。
私の方は、というと――疲れた足をさすりながら、少し呆れたように彼を見上げた。
「ねぇ、あなた……今日だけでどれだけ買わせたと思ってるの?」
「必要なものを、必要なだけ買っただけですよ」
と、当たり前のような顔で返すエンデクラウス。軽く微笑んでいるくせに、全く反省の色は見られない。
「……産後用のヒール靴なんて、まだ早すぎるでしょ」
「今のうちに準備しておけば、あとで困りませんからね。妊娠中はヒールなし、お揃いの紫のパンプスにしておきましたよ」
「お揃いって……いつの間に私と靴のコーディネートまで組むようになったのよ……」
彼の“完璧な買い物マスター”っぷりに、もはや苦笑しか出てこない。
ようやく玄関ホールに入ると――
「奥様、旦那様!? もうお帰りになったのですかっ!?」
ジャスミンが慌てて顔を出してきた。腕の中には、クラウディスが大事そうに抱っこされている。
その姿を見た瞬間、自然とエンデクラウスと視線が交わった。
「……やっぱり、クラウに会いたくなっちゃったのよね」
「……ああ、まったく同感です」
ふたりして声をそろえたように言うと、クラウディスがぱっと顔を明るくして、にこにこ笑いながら手を伸ばしてくる。
「まぁ~~っ♪」
短く高い声をあげて、クラウディスが両手をばたばたと振る。ジャスミンが抱き上げていた腕をそっと緩めると、すぐにエンデクラウスがその手を引き受け、ひょいっと優しく抱き寄せた。
「クラウ……良い子にしてたか?」
「にーこ! にーこっ!」
その無垢な声と表情に、彼はまるで魂ごととろけたように頬を緩めた。
「……か、可愛い……」
それはもう、うっとりするような表情だった。いつもどこか冷静なエンデクラウスの、完全なる“親バカモード”に私は肩をすくめた。
「それにしても……随分と沢山買われましたね」
と、ジャスミンが控えめに言いながら、ちらりと玄関の荷物に目をやる。
「ほんとよ。エンディが“これも、あれも”って、ほいほい買うから……」
「こういう時に買わないと、ディズィは外に出ませんからね」
得意げな声でそう言う彼の横で、クラウディスもまるで“わかってます”とでも言いたげに口を開く。
「えまへんああねっ!(出ませんからね!)」
「ちょっ、なによその真似!?」
思わずツッコミを入れると、クラウディスは「きゃっきゃっ!」と声をあげて笑った。最近、私たちの会話を覚えては真似するのがブームらしい。
それを見て、エンデクラウスも満足げに目を細める。
「……ふたりとも、本当に仲良しですね」
ジャスミンが、目尻を下げて優しくそう言った。
「うん、まぁ……。この家、うるさいくらい笑い声が響くから、ちょっと前の私からすると信じられないわ」
まるで、自分でも驚いてしまうくらいに穏やかな日常。
「……ふふっ。さ、じゃあ少し休憩してから、荷物を片付けましょうか」
「俺がやります。ディズィは座っててください」
「……ほんと、甘やかしすぎ」
「ええ。妻は、甘やかすためにいますから」
「ちょっと、クラウの前では控えてくれない!?」
「まぁ~~~!! ぱぱ! ままっ!」
クラウディスはまた手をぱちぱちと叩いて、大人たちのやりとりを喜ぶように笑っていた。
――ああ、もう。本当に、どうしてこうなるのよ。
でも……悪くない。むしろ、すごく幸せだ。




