85.無邪気な顔をした掌の上
それからというもの、毎朝“迎え”は来るようになった。
それも、ただの迎えじゃない。
酷いときは――寝ていたはずなのに、目が覚めたら馬車の中。
そこから下車して、気づけば学園の門をくぐっているのだ。
(……これはもう、諦めるしかない)
抵抗する体力より、発明に時間を使いたい私は、すでに悟りの境地にいた。
しかも最近は、あのスフィーラ王女に呼び出されることもない。
(絶対また説教されると思ってたのに……)
それもそのはず。
エンデクラウスは、始業から終業まで、ほぼ“私の隣”に張りついている。
(呼び出される“隙”もないってわけね……)
苦笑いを浮かべながら、私は魔法演習棟の広い訓練場へと足を運ぶ。
今日は――魔法の実践授業らしい。
「それではペアを組んで、対戦してみましょう」
教師が朗らかにそう言ったあと、軽やかに付け加えた。
「本日は、教会からベネツェーラ枢機卿が来てくださっています。致命傷や重傷を負っても、即座に蘇生してくださいますので、心置きなく戦ってくださいね」
(いやいやいやいや!?)
思わず心の中で机をひっくり返した。
どんな授業よそれ。子ども相手に“蘇生”前提でバトルって……命、軽すぎじゃない!?
「ディーズベルダ嬢」
エンデクラウスが、いつもの冷静な笑みを浮かべて、手を差し出してくる。
「お相手を」
「……馬鹿なの?」
本音が口からすとんと落ちた。
だが彼は、あくまでもにっこりと微笑むばかり。
むしろ“嬉しそう”にさえ見えるのは、なんなの。
「氷と炎じゃ釣り合わないわ。私が不利に決まってる。他を当たって」
手をはたこうとすると――彼はすっと顔を近づけ、囁くように言った。
「いえ。俺には……ディーズベルダ嬢しか見えていませんので」
(うわっ、来た、色気MAXモード……!)
喉の奥がきゅうっとなる。
けど、もう慣れた。
「……は、はは。そう。そうね。ええ」
ひきつった笑みを浮かべながら、私は彼の隣に立った。
(もういいわ、どうにでもなりなさいこの展開……)
教師の合図が響いた。
「ディーズベルダ・アイスベルルク! エンデクラウス・アルディシオン! はじめ!」
その瞬間、私は間髪入れずに氷の魔法を放った。
――キィィィン!
彼の全身をすっぽり包み込むように、分厚い氷が一気にせり上がる。
(よし。しばらくそこで彫像になっていなさい。心ゆくまで“凍ってろ”。)
けれど。
「……ふぅ」
氷が、しゅぅぅぅぅ……と音を立てて、白い蒸気に包まれながら融け始める。
(……うん。知ってた。そうなるとは思ってた)
彼は涼しい顔のまま、氷の中から現れた。
しかも制服まで乾ききっていて、髪一筋乱れていない。
(は!? え、何? 今の氷、乾燥機付き!?)
(っていうか、この魔力制御の精密さ……絶対12歳じゃないでしょ。あの背丈……170センチはあるわよね!?)
「……ちょっと。なにかしなさいよ、対戦でしょ?」
そう声を飛ばすと、彼はおもむろに口を開いた。
「賭けをしませんか?」
「しないです。負けるし」
「じゃあ、俺は“俺が負けるほう”に賭けます」
「……は?」
「ディーズベルダ嬢は、“俺が勝つ”方に賭ける。これでいかがでしょう。
勝ったほうの賭けが通れば、可能な願いをひとつ、聞き入れる」
(……それ、私に勝たせる気満々じゃない。紳士なの?それともおだてて調子に乗らせてくる系?)
まぁ、こちらとしては願い事なんてしないけど、彼が勝手に負けてくれるなら、まぁそれもよし。
「いいですよ。それなら」
そう答えた直後、エンデクラウスの掌から火の玉が放たれた。
それも絶妙に威力を調整されたもの。私のほうにゆっくりと向かってくる。
(え……何この配慮……やさし……いやいやいや!舐めないで!)
氷の壁を展開し、それをしっかり防いでやった。
(どうせ負けるし、だったらこっちも魔力の発散に全力出してやる!!)
燃えた。いや、冷えた。
私は怒涛の勢いで、氷の柱、氷の槍、吹雪、凍結ビームと次々に繰り出した。
エンデクラウスも、炎の剣、火球、爆炎陣で応戦してくる。
炎と氷のぶつかり合い。
まるで、訓練場の空気が一瞬で“真夏と極寒”の二重奏に変わったようだった。
そして――
最後は、お互いの最大魔法が真正面から激突。
氷のビームと、紅蓮の炎が、中央でぶつかり合い、轟音とともに光の奔流が弾けた。
「っ――!?」
視界が揺れ、爆風が巻き上がり、私は思わず膝をついた。
やがて、立ち込めた煙が晴れていく。
そこには――
致命傷を負って倒れ込んだエンデクラウスが、枢機卿の治癒魔法を受けて横たわっていた。
(……え。うそ。勝っちゃったの?)
ぼうぜんと立ち尽くす私の耳に、教師の驚いた声が届いた。
「勝者、ディーズベルダ・アイスベルルク!」
(いやいやいや、ちょっと待って!?)
思わずその場に棒立ちになった。
いや、確かに最後の魔法、ちょっと力んだとは思うけど……ほんとに勝っちゃうなんて聞いてない!
(これ、絶対なんかのフラグ立てたやつだよね!?)
ざわめく訓練場。その中央で、ベネツェーラ枢機卿がせっせと回復魔法をかけているのは、案の定――
「ディーズベルダ嬢……賭けは…俺の……勝ち…ですね……」
「いやいやいやいや、苦しそうにしながら何言ってるんですか。
というか、静かに治療受けててください!」
「いえ……俺が……勝ったので……」
私は氷で勝利を掴んだはずなのに、彼の中では“賭けの勝者”は彼自身。
やばい、すごく嫌な予感しかしない……!
「……何よ。はっきり言ってよ。何が目的なの?」
「これから開かれる……全てのパーティーのパートナーを、俺にすると――誓ってください……」
「……はぁ!?」
空気が止まった。
いやいや、なに言い出してるのこの人!?
本気!? しかも枢機卿がめちゃくちゃ困った顔してるし!!
「ちょっと待って、それはさすがにどうかと――」
言いかけた私の横で、エンデクラウスが再び“苦悶の表情”を浮かべて枢機卿にぐらりと預けられた。
(ずるい……! この流れ、断りづらいじゃない……!)
けれどその時の彼の目は――しっかり、しれっと笑っていた気がした。
(ああもう、ぜったい後悔するやつ……!)
――こうして私は、知らぬ間に“王都社交界の最注目カップル”に仕立て上げられる第一歩を踏み出してしまったのだった。




