83.彼と私の出会い
王立グルスタント学園の入学式。
整然と並ぶ生徒たちの制服は、平民も貴族も全く同じ――はずなのに、
立ち居振る舞い、背筋の伸び、目線の高さ。そこには、まるで目に見える“境界線”が存在していた。
貴族と平民。その間に横たわる、無言の壁。
教室の中も、それを象徴するようにきっちりと左右に分かれていた。
まぁ、仕方ない。魔法が使えるのは、基本的に貴族だけ。
魔力は“生まれ”と“家柄”の証。平民にとっては夢物語だ。
稀に魔力を持つ平民は“編入”のような形で貴族クラスに組み込まれるけれど、そんなのは伝説みたいな話。
私は、ディーズベルダ・アイスベルルク。
12歳にして侯爵家の娘で、氷魔法を使える“期待の星”――らしいけど、本人の気持ちはまるで乗ってない。
人生二回目。前世では三十路を超えて働いていたから、お遊戯ごっこみたいなこの空間は、正直ツラい。
派閥?対立? 馬鹿みたい。しがらみなんて御免だ。
「――続いて、新入生代表の挨拶。アルディシオン公爵家子息、エンデクラウス・アルディシオン殿」
壇上に現れたその瞬間、空気が変わった。
黒髪に紫の瞳。まだ十二歳とは思えないほど落ち着き払った長身の少年。
その立ち姿には、すでに“青年”のような気品が漂っていて、無意識に周囲の視線を奪っていた。
「新入生代表として、このような晴れの場に立てたことを、光栄に思います。
我々は今、学びの門をくぐりました。
これは義務ではなく、未来を選び取る権利を得たということ――」
彼の声はよく通るのに、どこか淡々としている。
貴族らしい美しい言葉選び。けれどその裏に、どこか冷めた響きがある。
会場のあちこちからため息が漏れ、女子たちが頬を染めている。
その中には、第三クラスの上席――スフィーラ王女の姿もあった。
(……なに、この“攻略対象感”。設定盛りすぎじゃない?)
冷めた目で彼を分析していたはずの私だったけれど――
不意に、壇上の彼と目が合った。
そして、にこり。
(……へ?)
一瞬、何が起きたのかわからなかった。反射的に目を逸らす。
……今の、気のせい? こっち見て笑った……?私、変な顔してた……?
入学式が終わり、ざわつく生徒たちの波に流されるように廊下を歩く。
女子の一団がキャーキャーと先ほどの少年の話で盛り上がるのを尻目に、私はさっさと自室に引きこもろうとしていた。
……そのとき。
「――俺のスピーチ、退屈でしたか?」
背後から、あの声。
背筋がびくりと跳ねた。
振り返るのが怖い。まさか、まさかとは思うけど――
おそるおそる後ろを向くと、やっぱりいた。エンデクラウス。
整った顔立ちのまま、まっすぐにこちらを見ていた。距離が近い。近すぎる!
(……うそでしょ!?)
「……急いでるんで」
半ば逃げるように言って、足を速めた。
さっさと立ち去ってしまおう。目立つ人間には関わらないのが一番だ。
……が。
「では、ご一緒します」
「ちょっと!?」
横に並んできた。まるで当然のような歩調で。
「私、別にあなたに話しかけられるようなこと、してませんけど!?」
「俺も、“話しかけていいですか”と許可を求めた記憶はありません」
「だったらやめなさいよ!!」
声を張り上げる私をよそに、彼はまったく動じない。
「……ですが、“目が合ったら微笑むのは礼儀”だと、うちでは教わりましたので」
「なにそれ……変な家!」
「“普通”という言葉の定義が、貴族社会ではあまり信用されていないもので」
「ひねくれすぎでしょ、ほんとに……」
「……ひねくれ者には、ひねくれ者が引き寄せられる。そういうことです」
「……どういう意味よ、それ」
思わず眉をひそめて問い詰めると、彼――エンデクラウスはほんのわずかに、唇の端をゆるめた。
静かな微笑み。けれど、その目はじっとこちらを見据えていて、まるで冗談でも戯れでもなく、本気で何かを見抜こうとしているように思えた。
「ディーズベルダ・アイスベルルク。良い名前ですよね」
「……そうですか? 悪役令嬢みたいで、個人的には微妙ですけど」
少し棘のある返しにしたつもりだったのに、彼はきょとんとしたように目を細めた。
「悪役……? ん?」
意味が伝わっていない。まぁ当然か。
この世界には“乙女ゲーム”なんて概念、ないのだから。
(前世知識が通じないの、地味にツラいわ……)
「とにかく、ついてこないでください」
ぴしゃりと冷たく言い放って、歩調を速める。
もう話しかけられないように、意識して視線も逸らす。
本来なら、声をかけられる立場でもない。
エンデクラウス・アルディシオン――彼は名門中の名門、アルディシオン公爵家の嫡男。
しかも、噂によれば母親は王族の血筋。何代か前には王女を正妻に迎えていたとも聞く。
スフィーラ王女が目をつけているというのも、学園内では有名な話。
関わって得することなんて、ひとつもない。
(だからお願いだから……無駄に関心向けないで)
そう思いながら、私は自分の教室へと足を踏み入れた。
……そして、思わず足を止める。
自分の席の上に、べったりと広がる墨のような汚れ。
机の縁には、魔法で刻んだようなラクガキが残っている。
《氷の令嬢(笑)》
《氷結した女心、いりません》
《お高くとまっててサムいわ~》
(……はぁ。早くも、これか)
目立つ家柄、魔法の才能、入学早々エンデクラウスと並んで歩いた事実――
どれかひとつでも十分なのに、全部持ってる私は、目をつけられるには絶好の標的らしい。
とりあえずため息をついて、椅子に手をかけた瞬間――
「……この机は、俺が使います」
不意に背後から聞こえた落ち着いた声。振り返れば、そこにはまた、エンデクラウスの姿。
彼は私の隣に立ち、汚れた机を軽々と持ち上げ、片隅の空きスペースに運び始めた。
「は……? なにしてんの……」
ぽかんとする私に返事もせず、彼は替わりに自分の机を持ってきて、私の席の前にすっと置く。
動きに一切の無駄がない。まるで最初からこうする予定だったかのように、堂々と。
(いやいやいや……)
「……あんたが近づかなければ、こうはなってないのよ。全く……」
ぶつぶつと文句を呟きながら、私は改めて席につく。
彼はそのすぐ斜め前に座り、あいかわらず無表情なまま何も言わない。
(なんなのよ、あの落ち着きっぷり……こっちが一人で空回ってるみたいじゃない……)
教室のざわめきはまだ続いている。
けれどその中で、隣に座る彼だけが、どこか別世界のような静けさを纏っていた。
そして私は――その沈黙が、どうにも落ち着かなかった。




