81.紋章決定!
応接間での賑やかな時間が過ぎ去り、ディーズベルダは再び別邸の執務室に戻っていた。
テーブルには、さっきまで広げていた紋章案とスケッチ用紙が散らばっている。
「……にしても、どうしてお兄様、リセちゃんのお洋服燃やしたのかしら」
椅子に腰を下ろしながら、ふと呟くように問いかけた。
背後では、クラウディスがエンデクラウスの腕におさまり、揺られながらご機嫌そうにしている。
「さぁ……」
エンデクラウスは肩をすくめながら、冷静に答えた。
「ですが、“俺に聞け”とディズィに言ったということは――
おそらく、“アイスベルルク侯爵家の嫁になるのだから、そろそろそれ相応の振る舞いをしろ”という警告でしょう。あとは……まぁ、単純に嫌がらせでしょうね」
「えぇ!? それ、大丈夫なの?」
ディーズベルダが眉をひそめると、エンデクラウスはあっさりと頷いた。
「嫌ならリセは何がなんでもやめますし。……案外、まんざらでもないんじゃないですか?」
「………変わった二人ね」
その言葉に、エンデクラウスの腕の中にいたクラウディスが、嬉しそうに小さな手を上げて声を真似した。
「かーった! うーいー!」
「ふふっ、クラウまで変わったわね」
ディーズベルダが笑いながらその小さな頭を撫でると、クラウディスも満足そうににっこりと微笑んだ。
その空気に包まれながらも、ディーズベルダはふと視線を執務机へ戻す。
目の前に広げられた一枚の白紙――それを見た瞬間、さっきまでの笑みが自然と引き締まっていく。
「……うーん……」
顎に手を添えながら、ディーズベルダはその紙をじっと見つめた。
それは“ルーンガルド辺境伯家”として正式に提出する、新たな家の象徴――“紋章”を描くための大切な用紙だった。
「うーーん!」
クラウディスが、嬉しそうにその声を真似した。
「ふふっ……悩ましいのよ、クラウ。ほら、これが私たちの“顔”になるんだもの」
小さく息を吐いたそのとき、背後から低く優しい声が届いた。
「なら、俺が少し書き出してみますから、そこから決めてみますか?」
「えっ、できるの?」
驚いて振り返るディーズベルダに、エンデクラウスは静かに微笑んだ。
「……あまり上手ではないですが、手を動かしてみれば、何か見えるかもしれません」
そう言って彼は、クラウディスをそっとディーズベルダの腕に戻す。
「まま!」
笑いながらしがみついてくるクラウディスを片手で抱き寄せながら、ディーズベルダは目をぱちくりとさせた。
その間に、エンデクラウスはディーズベルダの椅子の背後に立ち、
ゆっくりと身を屈め、肩越しに彼女を包み込むような姿勢をとる。
(ちょ、ちょっと近い……)
ドキン、と一瞬だけ鼓動が跳ねる。けれど、彼はあくまで自然体のまま、ペンを手に取ると、
迷いのない動きでさらさらと線を走らせていった。
城壁を背に、堂々と座る銀灰の狼。
その首元には氷を思わせるシャープな襟飾りがあり、背には機械羽のような意匠が走る。
背景には大剣が垂直に立ち、鋭く重厚な印象を与えていた。
歯車と鎖の文様が周囲を囲み、結界のように全体を守る構成――
まさに、技術と誇り、強さと忠誠を象徴する、完璧な構図だった。
「……え? うそ、上手……っ!」
目の前で仕上がっていく図案に、ディーズベルダは素直に声を漏らした。
「じょーじゅ! じょーじゅっ!」
クラウディスも、嬉しそうに手をぱちぱちと叩いてはしゃぐ。
「……これは、私じゃ思いつかないわ。狼、氷、機械、剣、全部入ってて、それでいて整ってる。どうしてそんなに――」
「ディズィが悩んでいたことを、いつも聞いていましたから」
「……っ!」
後ろから囁かれる声に、思わず耳が赤くなる。
「あなたが考える“ルーンガルド”の未来、俺にも見えてきた気がしたんです」
エンデクラウスは、さらりとした口調で言ったが――
その瞳は、ディーズベルダとクラウディスが守ろうとするものを、しっかりと見据えていた。
(……もう。ほんと、時々ずるいんだから)
そのまま彼女は、満足げに微笑みながら頷いた。
「……この紋章、使いましょう。これが私たち“ルーンガルド辺境伯家”の顔になるわね!」
胸を張ってそう宣言すると、後ろにいたエンデクラウスが、少しだけ間をおいて優しく問いかけてきた。
「……ほんとに良いんですか?」
「え?」
思わず振り返ると、彼はどこかいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「実は、この狼――ディズィを表していてですね。
それを俺が“しっかりと捉えている”って構図になってます。象徴的に」
「なっ……!?」
顔が一瞬で真っ赤になるディーズベルダ。クラウディスが膝の上でキョトンと見上げている。
「ちょ、ちょっと!? そんなの聞いてないわよっ!」
「言ってませんからね。ははっ。
でも、もう“これにしましょう”って言ったので――これにしますね。正式提出で」
「こ、このっ……! 末代まで残るってわかってる!? 恥ずかしすぎるでしょ!!」
「それだけ“俺の手で掴んだディズィ”ってことですから。誇りですよ」
「やめてええええええぇ!!」
頭を抱えて机に突っ伏すディーズベルダの背中を、クラウディスが「ままぁ?」と不思議そうに撫でてくる。
その横で、満足そうに笑みを浮かべるエンデクラウス。
彼の筆で描かれた狼は、きっとこれから何百年も、この家を見守り続けることになる――
ディーズベルダがどれだけ赤面しようと、もうそれは決定事項だった。




