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79.第一王子の帰還

王都の中心、荘厳な城門の前に、ゆっくりと一台の黒塗りの馬車が到着した。


御者が手綱を引いて静かに停車すると、すぐさま衛兵たちが整列し、恭しく扉が開かれる。


その中から現れたのは、陽の光を受けて輝く金の髪と、透き通るような碧眼を持つ青年――

ラフィート・グルスタント。現国王の第一王子にして、数年ぶりに王都へ戻った“帰還者”だった。


「……久しいな、王都は」


石畳に革靴を踏みしめながら、懐かしげに門を見上げる。

穏やかな風が彼のコートの裾を揺らし、金の髪をさらりと撫でていった。


その瞬間――ふと、懐かしい記憶が胸をよぎる。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


数年前――

王城で催された、同盟諸国との交流晩餐会。


煌びやかなシャンデリアが照らす大広間には、各国の王族や要人が集まり、華やかな衣装と香水の香りが空間を満たしていた。


本来なら、グルスタント王国の代表としてラフィートの隣に立つのは、妹であるスフィーラ王女のはずだった。


けれど――


「今日はよろしくお願いいたします、殿下♪」


エンリセア・アルディシオン公爵令嬢が、上品なカーテシーとともに目の前に現れた瞬間、ラフィートは内心でひそかにガッツポーズを決めていた。


(……やった)


そう、これは偶然などではなかった。


以前から、エンリセアのことが気になっていたラフィートは、このパーティーを“彼女と二人で参加する好機”ととらえ、自ら王宮の側近たちに働きかけていたのだ。


「スフィーラ王女は最近ご公務続きですし、無理に出席させるのはご負担では?」 「代わりに、公爵令嬢の中でも社交界で評判のエンリセア嬢など、適任かと――」


それとなく、しかし的確に話を回し、結果として“妹は体調不良”ということで差し替えに成功。


その甲斐あって、今、彼の隣に立つのは――誰よりも華やかで、気さくで、礼儀も完璧な令嬢。


金のカーテシーのスカートがふわりと揺れ、楽しげに笑うエンリセアの姿に、ラフィートは思わず見とれていた。


(……このまま、夜が終わったら)


彼女の横顔を盗み見ながら、自然とそんな考えが浮かぶ。


(もしかしたら、婚約を申し込んでもいいかもしれない)


エンリセアの笑顔を見つめながら、ラフィートは静かにそんな想いを抱いていた。

それは浮ついた感情ではなく、自分の将来に彼女がいたなら――という、じんわりとした確信にも似た気持ち。


だが、次の瞬間――彼の未来をぐらりと揺るがす存在が声を上げる。


「おお、これはグルスタントの第一王子殿下! お噂通りの聡明なお顔立ちですな!」


海の向こう、交易での要所を担う隣国マーメレン王国の第一王子と国王が、笑顔を浮かべながらラフィートのもとへ近づいてきた。


マーメレン――その国は主に海産物の輸出入を担い、グルスタント王国の食卓を支える要とも言える重要な同盟国。

この場での振る舞いひとつで外交関係に響くほど、神経を使う相手だった。


「これほど優秀で、礼節も心得た若者であれば……ぜひとも我が国へ留学でもしていただきたいものだ」


場にいた誰もが笑顔を浮かべる中、国王は冗談めかしても、確かな熱を帯びた目でそう言った。


(――これは、まずい)


ラフィートの笑顔がわずかに引きつる。


ここで「お断りします」とは言えない。

だが、下手に曖昧な返事をすれば、相手の機嫌を損ねる可能性もある。


なんと返そうかと口を開きかけたそのとき――


「まあ、ご安心くださいませ、マーメレン陛下。

殿下はすでに、次の学び舎を“潮の流れのように自然にお決めになった”ご様子でしたもの♪」


――エンリセアの、にこやかで透き通る声が響いた。


にっこりと扇子で口元を隠しながら、優雅にお辞儀をする彼女は、まさに完璧な貴族令嬢。


だがその言葉の裏には、「もう決まった」と断言にも等しい強引さが潜んでいた。


(ちょっ……ま、待って、それって、俺が……!?)


「おお、それは素晴らしい! さすがグルスタントの未来……まさに国際感覚にあふれておられる!」


マーメレン国王が嬉しそうに笑い、周囲も拍手を送り始める。


ラフィートは頭を抱えそうになりながらも、どうにか笑顔を保つしかなかった。


(……この子、わざと……? いや、まさか。でも、まさか、な……?)


パーティー会場で“留学決定”という空気が固まってしまった直後――

ラフィートは、そのまま控室へと通されていた。


豪奢なソファに腰を下ろしたものの、思考はまるで渦の中にいるようで、頭の中は整理できていない。


(……え、俺、留学するの? 本当に? 今のやり取りで?)


「ラフィート様……」


控室の扉がそっと開き、エンリセアがふわりと入ってくる。

肩を落とし、目元を赤く染めたその姿は、見るからに“反省しています”という演出が行き届いていた。


「申し訳ございません……っ。私……少しでもお役に立とうと思って……。大人のように、立ち居振る舞いを学んで頑張ったのですが……まさか、こんな……こんなことになるなんて……!」


ふるふると肩を震わせながら、目元をハンカチで何度も押さえるその姿に、周囲の視線もざわざわと集まってくる。


(あ、あかん……めっちゃ泣いてる……!)


焦ったラフィートは、慌ててそっと肩に手を置いた。


「もう……泣くな、エンリセア。君は本当によく頑張ってくれた」


できるだけ優しい声で語りかけると、エンリセアは目を潤ませたまま、ハンカチ越しに彼を見上げた。


「でも……でも私のせいで……グルスタント王国の大切な第一王子を、国外へ……っ」


「いいんだ」


ラフィートは、ゆっくりと首を横に振った。


「俺が……君を選んだのだから。まだ10歳の君を」


エンリセアの肩がびくんと震える。


「君はただ、懸命に振る舞ってくれただけなんだ。策略も、駆け引きも、そんなものじゃない。ただ、純粋に――」


(そうだ。彼女はまだ10歳なんだ。何かを狙ったわけじゃない。ただ、少し背伸びをして“大人の世界”で一緒に歩こうとしてくれていただけ)


そう思った瞬間、ラフィートの中で何かがストンと落ち着いた。

まるで“運命を受け入れる”ような、穏やかで静かな決意だった。


……その横で、エンリセアのハンカチの下の口元が、ほんのり“勝ち誇ったように”笑ったのは、誰にも気づかれていない。


――そう、彼女以外には。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


現在――


(エンリセアは……俺のことを覚えていてくれているだろうか)


あの頃はまだ、彼女はほんの十歳。けれど、彼の中でその笑顔は今も色褪せずに残っている。

無邪気で、可愛らしくて、それでいて人を動かす不思議な力があった少女。


この数年、どれほどその名前を心に思い描いたことか。

会いたいと思いながら、ただの憧れにしておくには惜しい存在だった。


(この度こそ……今度こそ、彼女を迎えにいく)


彼女の隣に立てる男に――なれているだろうか。

その問いを胸に、ラフィートはゆっくりと歩き出す。


再会は、近い。

そしてその時、きっとすべてが――動き出す。


まだ、彼は知らない。


その令嬢がすでに“婚約者”という肩書きを持っていることを――

そして、迎えに行こうとするその先に、とびきり強敵な“氷の貴公子”が待ち受けていることを。


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