78.王都到着!
「たやたや!!」
馬車の扉が開いた瞬間、クラウディスが小さな腕を突き出して、目の前の屋敷を見上げながら元気よく叫んだ。
目の前に広がっていたのは、まるで貴族の本邸と見紛うほど立派な建物だった。
アイボリーとミントグリーンで統一された外壁は美しく塗装され、玄関前の石畳は白く輝いている。
塔屋のような丸い小部屋までついていて、どう見ても“別荘”の規模を越えていた。
「これ……別荘じゃなくて、別邸よ」
ぽつりと呟いたディーズベルダに、隣から涼しい顔で返答がくる。
「はい? そうですか?」
悪びれもせず首を傾げるエンデクラウス。
「えぇ……。しかもこれ、買ったんじゃなくて――建てさせたでしょ?」
「ご名答」
エンデクラウスはドヤ顔で胸を張る。
その顔があまりにも誇らしげで、思わずディーズベルダは唇を噛みながら笑った。
「……もぅ! ……でも、ありがとう」
小さく呟いたその一言に、エンデクラウスは柔らかく微笑む。
「どうぞ中へ。ディズィとクラウのために用意した家ですから」
玄関口には既に数人の使用人たちが並んで出迎えていた。
手入れの行き届いた制服に、物腰も柔らかく、教育が行き届いているのがひと目でわかる。
庭園を通って玄関へ向かうと、咲き誇る薔薇たちがふんわりと香り立つ。
白や淡いピンク、濃い赤と、色とりどりの花が咲き誇るその光景に、思わず立ち止まってしまうほどだった。
「ばあ! ばあ!」
クラウディスが薔薇を指さしながら、嬉しそうに声を上げる。
「あらやだ……この子、天才だわ!」
「同感です……」
ディーズベルダがクラウディスを抱き上げ、頬ずりすると、エンデクラウスも隣で誇らしげに頷いた。
扉が開かれ、一行は屋敷の中へ。
中に足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑む。
煌びやかなシャンデリアに、繊細な彫刻が施された白木の柱。
淡いピンクと金を基調にした壁紙は、華やかでありながら品もある。
ロココ調――そう、前世でなら“テーマパークやホテル”にありそうな内装だった。
「わぁぁ……!」
ディーズベルダは目を輝かせてホールを見渡す。
あまりの完成度に思わず感動する一方で――心の片隅が妙にざわついた。
(……ちょっとラ〇ホみたいだけど……いや、でも素敵……!)
そんなツッコミを胸に抱えながらも、ディーズベルダは上機嫌で屋敷の中を見て回っていた。
執務室は落ち着いた深緑と木の香りが漂う内装で、窓からはきれいに整備された庭園が見下ろせる。
私室は清潔で過ごしやすく、どこか柔らかさを感じさせる調度品が揃っていた。
どの部屋も完璧に整えられていて、まさに“住まうための城”。
そして――最後に案内されたのが、寝室。
扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは、天蓋付きのキングサイズベッドだった。
枕はふかふか、掛け布団は上質な羽毛入り。天井にはほんのり光る魔導灯が優しく灯っている。
(……これはもう、一緒に寝る気満々のやつね……)
ディーズベルダは一歩足を踏み入れたまま、軽く口元を引きつらせた。
「簡単に荷ほどきを済ませたら、久しぶりに王都を歩いてみませんか?
ドレスの寸法直しも……と言いたいところですが、今日はこのまま寝室で休みましょうか」
そう言ったエンデクラウスは、すでにディーズベルダの様子をじっと観察していた。
声はいつも通り穏やかで優しいが、その目は本気だった。
「え?」
突然の切り替えに戸惑う彼女に、エンデクラウスは一歩近づきながら、優しくも逃げ道を与えないような響きで――
「道中、あなたが幾度か口元を押さえていたのを、見逃すとでも思いましたか?」
ディーズベルダは一瞬、びくりとまばたきして、視線を逸らす。
「ま……まぁ、ちょっとね。ちょっとつわりが強めだっただけで……ほら、気合いで何とかなるレベルよ?」
強がるように笑うが、視線が逸れているのは自覚していた。
「ダメです。……ジャスミン、クラウをお願いします。」
エンデクラウスは振り返り、落ち着いた声でクラウディスを抱くジャスミンに軽く合図を送る。
「お預かりします、旦那様。奥様、少しゆっくりなさってくださいね」
ジャスミンがにこやかにクラウディスを受け取り、クラウは「ままぁ〜」と名残惜しげに手を伸ばしたが、すぐにジャスミンにあやされて、けろりと笑い出した。
「さぁ、横になりましょう」
エンデクラウスがディーズベルダの手をそっと取って、寝室の奥へと促す。
(……もう。優しいんだから)
ディーズベルダは軽くため息をつきながら、エンデクラウスに手を引かれるまま、ふかふかのベッドへと腰を下ろした。
シーツはまだ新品の香りが残っており、身体を預けるとすっと沈み込む。
高級な羽毛の感触が背中を支え、旅の疲れがじわりと解けていくようだった。
「うーん……」
天井を見上げながら、彼女がぽつりと呟く。
「どうしました?」
隣で椅子に腰かけたエンデクラウスが、ディーズベルダの髪をそっと撫でながら問いかける。
「まさか、こんなに早く王都に戻ってくることになるなんて、思ってなかったのよね」
その言葉には、少しの困惑と、ほんの少しの覚悟が混じっていた。
王都――あの冤罪によって追われた場所。
もう二度と戻らないと思っていた場所に、こうして堂々と帰ってきている自分が、なんだか夢のようだった。
「もとよりディズィは、何も悪いことをしていないのですから当然でしょう」
エンデクラウスの声は穏やかで、けれど迷いのない響きを持っていた。
「ずっと側にいた俺が保証します。あなたは、正しかった」
そのまっすぐな言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「……ありがとう、エンディ」
「ここには、どれくらい滞在する予定なの?」
少し気を取り直すように体を起こし、ディーズベルダが尋ねると、エンデクラウスは静かに答えた。
「王室パーティーが終われば、俺たちは正式に“辺境伯夫妻”となります。それに伴い、社交界からの招待状も山のように届くはずです」
「うわぁ……想像しただけで、胃が痛くなりそう……」
「それから――」
「それから?」
彼が言いかけて口をつぐむのを見て、ディーズベルダが首をかしげる。
「リセとベインダルお義兄様の婚約パーティーも、近いうちに開かれるはずです」
「えっ? 二人の婚約、もう決まったの?」
「もう決まったも同然でしょう。今日の新聞に――
“王女殿下とダックルス辺境伯の婚約成立”と、しっかり載っていましたから」
「……あぁ、なるほど、そういうこと」
思わずディーズベルダは頬を押さえながら、小さく笑った。
この国の婚姻事情は、表より裏のほうがずっとスピーディなのだと、改めて思い知らされる。
(あの二人……うまくいってるのかしら。)




