表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/188

77.王都でデート

場所は、アルディシオン公爵家――

ベインダルが一時的に借り受けている客間にて。


まだ朝の光が差し込む静かな時間。室内では、紅茶の香りと、書物のページをめくる乾いた音が漂っていた。


その落ち着いた空気を――


「ベインダル様〜♪ お出かけいたしませんこと?」


勢いよく、バンッ!!という音と共に打ち破ったのはエンリセアだった。


無遠慮に、けれど楽しそうに部屋へ踏み込んできた彼女は、フリルのついた外出用ドレスに身を包み、日傘まで差している完璧なお出かけスタイル。


その姿はまるで、これから舞踏会にでも行くかのようだった。


対して――ベインダル。


「……はぁ………………」


深く、実に深く、思いつめたような溜息を吐く。


その顔には、いつもの鋭い眼差しも完璧な表情もなかった。

なんと、髪が前髪を残したままふわりと下りており、あの“氷の貴公子”とは思えないほど――幼く見える。


眉間に皺を寄せながら、低い声で呟いた。


「……男性の私室というものは、まだ整いきらぬ舞台裏と同じもの。

ノックもなしに踏み込まれるのは、幕を開ける前の役者に観客が乱入してくるようなものだ」


言葉自体は遠回しだが、明らかに“やめろ”と言っている。


しかしエンリセアは、まったく気にした様子もなく――


「あら、ごめんあそばせ? つい、うっかり扉が軽くて……」


と、明らかにわざとらしい笑顔でくるくると部屋を見回していた。


ベインダルは、ひとつまた小さく息を吐くと、黙って棚へ向かう。

そこから小ぶりな銀の容器――愛用の整髪用ワックスを取り出し、鏡の前に立った。


指先にワックスをとり、手のひらで温めるように伸ばすと、慣れた動きで前髪をきっちりと撫で上げる。

彼の表情にはいつもの冷淡さが戻り、眉のラインもぴしりと整う。


「……即刻、扉を閉めろ。玄関で待っていろ。支度が整い次第、向かう」


鏡越しに、ベインダルは淡々と、しかし微塵の妥協もない声音で告げた。


その言葉に込められた“無言の了承”――つまり、“今日は付き合ってやる”という意思を、エンリセアはちゃんと受け取っていた。


だからこそ、彼女は満面の笑みでくるりとターンし、スカートの裾をふわりとひるがえす。


「はぁ〜い♪ お待ちしておりますわ、ベインダル様〜!」


上機嫌な声を残して、ぱたんと勢いよく扉を閉める。


部屋に再び静けさが戻ったその瞬間。


ベインダルは、鏡の中の自分を見つめたまま――


小さく、ほんの小さく、眉間を押さえて頭を抱えた。


(……この先が、思いやられる)


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


王都の中心街では、昼の喧騒が一層活気を帯びていた。

石畳の通りには、高級店が軒を連ね、香水と焼き菓子の香りが風に乗って流れてくる。


そんな中、ベインダル・アイスベルルクとエンリセア・アルディシオンは、腕を組んで通りを歩いていた。


エンリセアは本日もばっちりドレスアップ済み。レースのついた日傘をくるくると回しながら、まるで舞踏会の延長のような軽やかな足取りだ。


「号外! 号外だよーっ!! ダックルス辺境伯家の大ニュース!」


新聞売りの少年が声を張り上げ、手にした紙面を道行く人々に配っていた。


その中には、目を引く見出しが踊っていた。


《スフィーラ王女、ついにご婚約! お相手はあのコーリック・ダックルス辺境伯!》


派手な見出しの下には、華やかなドレスを纏ったスフィーラ王女と、筋骨隆々の軍人然としたコーリックが並ぶ、妙に不釣り合いな写真が大きく載っている。


「ふふっ、あらあら、まぁまぁ……」


新聞の見出しを横目で見たエンリセアが、扇で口元を隠してにやりと笑う。

まるで“計画通り”と言いたげなその表情に、周囲の喧騒がどこか遠く感じられた。


隣を歩くベインダルは、相変わらず無表情を崩さずに歩いている。

けれど、絡みついたエンリセアの腕を振りほどくこともなく、むしろ歩調を合わせている時点で、彼なりに“受け入れている”のだろう。


(本気で俺を慕っているわけではない……それは最初からわかっている)


エンドクラウスから「妹を自由にしてやってほしい」と言われたのは、つい最近のことだった。

エンリセアの目的は、家を出ること。自由を得ること。

それでも――この数日のやりとりの中で、ベインダルの中には確かに、微かな“関心”が芽生えはじめていた。


「これで……私は晴れて、エンリセア嬢との婚約が決まった、ということになるな」


冷淡な声でそう告げた彼に、エンリセアはぱっと顔を明るくして、ぎゅっと腕に抱きついた。


「はいっ! うまくいきましたでしょう?」


彼女の演技じみた明るさもまた、計算づくなのだろう。

だが、その笑顔がどこか“板についてきた”のもまた、事実だった。


「一体いつからだ……」


ベインダルがぽつりと漏らす。


「いずれ夫婦になるのだから、そろそろ言っても差し支えないだろう」


その言葉には、建前の中に一滴だけ本音が混ざっていた。


エンリセアは、ぱちぱちと瞬きをしてから、ふっと笑う。


「まぁ……わたくし、こう見えても、ベインダル様のことはちゃんと慕っておりますのよ?」


その“慕ってます”にどこまで本気が含まれているのか、本人以外にはわからない。

けれど、ベインダルの目にはその微妙な“ずらし方”が、少しだけ興味深く映った。


「今日は……デートと言ったな?」


「はい! そうですわ。ついでに婚約書を教会に持って行きましょう!」


張り切った様子でそう言いながらも、エンリセアの目はちらりとベインダルの反応を窺っていた。


「ならば……近日催される王室夜会に備え、礼装を整えるとしよう。

あわせて、婚約式の衣装も一式――本日中に見繕っておくのが筋というものだな」


ベインダルは、何の迷いもない声でそう告げる。

まるで仕事を淡々と進めるように、段取りよく指示を出す姿に、エンリセアは思わず口元を引きつらせた。


「え、えぇもちろんですわ……買いに参りましょう」


ふたりの足が止まったのは、王都でも指折りの高級店ネッサリオール

上流貴族しか足を踏み入れられない、名実ともに“選ばれた者のための店”だ。


高身長のドアマンが恭しく頭を下げ、重厚な扉を開くと、中からは上品な香りがふわりと漂ってきた。


「いらっしゃいませ、お嬢様、旦那様」


控えめながらも上品な声が店内に響くと、ドレス職人たちがすぐに動き出した。

照明の下で反射するシルクやレースの布地、煌びやかなアクセサリーが整然と並ぶ光景は、まさに“夢の温室”。


エンリセアはぱあっと顔を輝かせ、子供のようにショーウィンドウへ駆け寄った。


「これ! これとか! 三段フリルのこのドレス、かわいい! あっ、このピンクのも――!」


まるで宝石を前にした子猫のように、あれもこれもと楽しげに指差す姿は、自然と周囲の視線を引きつけていく。


だが、その後ろから、ぴしゃりと水を差すような冷たい声が落ちた。


「……どれも、幼すぎる」


はっとして振り返ると、ベインダルはすでに店員と並び、濃紺と銀を基調とした格式高い布地を選び終えていた。

婚約式用にと彼が選んだドレスは、上質な生地に細かなレースをあしらったもの。

フリルなど一切ない、気品と威厳を重んじるデザインだった。


そして彼は、ごく自然な仕草で店員に命じる。


「この布で仕立ててくれ。婚約式にふさわしい一式を、彼女の寸法で」


「あ、あのっ!? ちょっと待って、私、まだ……!」


エンリセアが慌てて声を上げるが、ベインダルはすでに背を向け、注文を終えていた。

そして、淡々と振り返って言い放つ。


「私の妻になるというのは、こういうことだ」


その声音には、ほんのわずかに意地悪さがにじんでいる。

(――私室にノックもせず入った罰かしら)とエンリセアは察しながらも、にっこりと笑みを浮かべた。


「まぁ……ベインダル様ったら」


しかしその瞳には、うっすらと影が差している。


(ああもう、やりやがったわねこの野郎……!)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ