75.ママは人生二回目
魔王城の地下にある研究室には、金属や魔道具の素材が整然と並び、道具の音が時おり軽快に響いていた。
ランプの光が柔らかく揺れて、作業机の上のガラス管や設計図を照らしている。
ディーズベルダは保護用のエプロンを身にまとい、机に向かって細かな部品の接合作業を進めていた。
その指先は迷いなく動き、まるで魔法のようにパーツが次々と形を成していく。
そのすぐそばでは、エンデクラウスがクラウディスを膝に抱えながら、書類に目を通していた。
「……パパ、こえ!こえ!なぁん?」
「ん?ああ、それは魔力測定の石だ。触ってみるか?」
クラウディスが興味津々に魔道具のかけらをつまもうとすると、エンデクラウスが穏やかな声で説明しながら、さりげなく危ないものには触れさせない。
赤子ながら、しっかりと魔力のコントロールができるクラウディスも、きらきらと目を輝かせて父の膝の上で楽しそうにしている。
(……この男、なにやってもできるのよね)
ふと作業の手を止め、ディーズベルダはちらりとエンデクラウスを見やった。
(仕事もできて、子育ても完璧。しかもイケメン……)
思わず、ため息交じりに肩をすくめてしまう。
(前世にもいてくれたらよかったのに。あの時の私は、独身で、仕事ばっかりで、寂しいまま事故で死んで……)
ちくりと胸が痛む。だが、それと同時に、今の生活が温かく思えてくる。
(……まぁ、今は色々あるけど。面倒ごとも、苦労もあるけど……でも、楽しいし。いっか!)
そう自分に言い聞かせるように笑い、再び手元に目を落とす。
「ディズィ、何を作っているのですか?」
エンデクラウスの声が、優しく響いた。
クラウディスを膝にのせたまま、彼は手を止めずに視線だけこちらに向けている。
「ん? 王都に行ったときに売れるように、水筒をちょっとね」
ディーズベルダは軽く頬を緩めながら、手元の試作品を持ち上げて見せた。
まだ蓋の接合部分が甘く、液体の漏れ対策が必要な段階だが、全体のフォルムはすでに美しく整っている。
「どういったものですか?」
「持ち運びできる密閉容器って言えばいいのかしら。水とか飲み物とか、ぴったり閉じられる容器よ」
「なるほど……それは興味深いですね」
エンデクラウスは感心したように頷く。
クラウディスが容器に手を伸ばそうとするのを、さりげなく止めつつも、その目は真剣だった。
「海が開通してガラスも手に入るようになったし、ちょうど良いかなって思って。
まぁ、金属も必要なんだけど、それは私の所有してる鉱山から採れるし」
「なるほど」
エンデクラウスは微笑を浮かべたまま、その視線にほんのりと誇らしさを滲ませる。
彼女がこれまで築き上げてきた知識と技術、そして最果ての地で得た資源――すべてが今、確かに未来へと繋がっている。
「お腹にいる赤ちゃんが生まれたら、ミルクも入れておけるし。だから、今のうちに開発しておこうと思ったの」
ディーズベルダは、ふわりと笑みを浮かべた。
その表情には、ものづくりへの情熱と、母としてのやさしさの両方が宿っていた。
かつての氷の令嬢と呼ばれた彼女が、いまは未来の家族のために試作品を組み上げている――
その姿に、エンデクラウスは思わず目を細める。
「……本当に、何でもできてしまうのですね。あなたは」
そう呟くエンデクラウスの声には、尊敬とほんの少しの愛しさが混じっていた。
けれど、ディーズベルダは手元の作業から目を離さないまま、さらりと返す。
「なんでもできるのはエンディも一緒よ。
世界中どこを探しても、こんな良い男はいないわ」
ピンセットで部品を丁寧に取り付けながら、もう片方の手で手慣れた様子でメモ帳に工程を書き込んでいく。
字は走り書きではあるけれど、誰が見ても理解できるように、材料の分量、温度管理、組み立て順序まで細かく記されていた。
「……ふふっ、全く……ディズィは……」
エンデクラウスは思わず笑みをこぼす。
柔らかく、包み込むような微笑――それはまるで、春先の陽だまりのようなあたたかさで。
(……その顔は、反則よ)
ディーズベルダは思った。
涼やかな紫の瞳が細められ、長いまつげの奥にやわらかな光が宿る。
そんな顔で見つめられたら、どんな強がりも溶けてしまいそうになる。
「いーおーこっ!!」
――ぴょこん!
クラウディスが元気よく叫びながら、父の膝の上で跳ねるように身体を動かした。
どうやら“良い男”という響きが気に入ったらしく、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
「やだ!変な言葉を覚えないでよ!」
ディーズベルダは思わず顔を覆って、作業の手を止めた。
笑いをこらえながらも、どこか照れたような声になる。
その様子を見て、エンデクラウスが苦笑を含みながら肩をすくめた。
「ママは人生二回目だから口が悪いんだ。許してやってくれ、クラウ」
「まーまっ?」
「そう、ママはちょっとズルしてるからね。賢くて、強くて、でも言葉が時々おかしいんだ」
クラウディスはぽかんとした顔で父を見上げたあと、ふふっと小さく笑って、ディーズベルダの方へ手を伸ばす。
その仕草が愛おしくて、ディーズベルダはゆっくりと顔を上げ、頬を緩めた。
「もー、エンディまで変なこと言わないの。クラウが真に受けたらどうするのよ」
「では、“ママはちょっとおしゃべり好きな天才さん”ということにしておきましょうか」
「……うまいこと言ってごまかしたつもりね?」
「はい、もちろん」
そんなやり取りが交わされる研究室の空間は、道具と資料に囲まれているにも関わらず、どこか家庭的な温かさがあった。