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74.氷の貴公子の裏側

魔王城一階にある執務室――

厚い扉を閉めた室内は、穏やかな灯りに照らされていた。

エンデクラウスとディーズベルダは大きな書類机を挟み、並んで座っている。


机の上には、数日分の王都新聞が広げられていた。

あちこちに見出しが踊り、インクの匂いが微かに漂う。


ページ中央には、目を疑うような一枚の写真。

ベインダルが膝をつき、エンリセアの足元に――舌を這わせている姿が、これでもかというほど大きく載っていた。


ディーズベルダは新聞をじっと見つめながら、口元を押さえて固まった。


「……まさか、ベインダルお兄様がここまでするなんて……考えられないわ」


信じられない、というよりも、理解が追いつかない。

だってベインダル兄様といえば――


「“令嬢は黙って刺繍と花をいけていればいい”」

「“何時まで起きているつもりだ。早く寝ろ”」

「“学園で主席? そんなことをして何になる”」

「“家のために、貴族の男を捕まえるんだな”」


懐かしいはずの言葉たちが、次々に脳裏をよぎっていく。

口うるさく、頑固で、感情よりも家の威信を重んじる――

それが、氷の貴公子・ベインダル・アイスベルルクの本来の姿だった。


「……あの頑固者が、こんなことを?」


彼が誰よりも家の名誉を大切にし、外聞に厳しかったことをディーズベルダは知っている。

その彼が“こんな写真”を撮られるなんて、まるで別人だ。


すると隣で新聞を読んでいたエンデクラウスが、何気ない風を装いながら言葉を挟んだ。


「んー……そうですね。では、こう考えてみましょう。スフィーラ王女とベインダル殿が婚姻した場合、アイスベルルク侯爵家はどうなると思いますか?」


「うーん……スフィーラ王女って……とにかく金遣いが荒いイメージしかないのよね」


ディーズベルダは椅子にもたれながら天井を見上げた。

記憶の中から浮かび上がるのは、派手なドレスに身を包み、取り巻きを引き連れたスフィーラの姿だ。


「お金をばら撒いて、使用人や生徒を買って……あの頃、よく学園でいじめられたっけ」


ぽつりと漏らすその声には、懐かしさよりも少し苦い色が混じっていた。


「まぁ、エンディがつきまとってたせいだけど」


「その言い方は心外ですね。俺はただ、護衛のように後ろに立っていただけです」


「それ、余計に怖かったのよ……」


軽口を交わしながらも、ディーズベルダの表情には次第に陰が差してくる。


「……王城でも学園でも、スフィーラの豪遊っぷりには周囲もよくぼやいてたわね。

でもその文句も、なぜか全部私にすり替えられてた……」


その時のことを思い出すたび、胸の奥がじわりと疼く。

誤解され、陰口を言われても、必死に耐えてきた日々。

けれど、その中で試作を重ね、発明に没頭するようになったのも事実だった。


「……でもそのおかげで、発明品の商売がうまくいったのも確かだったわね」


ディーズベルダは苦笑しながら、そっと髪をかきあげた。


「……金遣いが荒いことしか思い浮かばないわ」


「それが一番の原因ですよ」


エンデクラウスはあっさりとそう断言した。


「アイスベルルク侯爵家は、ディズィが築いた財産で持ち直しました。それなのに、そこへ浪費家の王女が嫁げば――一気に没落してしまうでしょう。公爵家ならまだしも、侯爵家では耐えきれない」


ディーズベルダは目を見開いたまま、言葉を失う。

でも――たしかに、その通りだった。


「そっか……そうよね……」


財政難にあえいでいたアイスベルルク家を、ここまで回復させたのは、間違いなく自分の発明事業だった。

それを、スフィーラに食いつぶされる未来なんて――考えたくもない。


「だからこそ、リセを進めました」


エンデクラウスの声音には、いつになく重みがあった。


「アイスベルルク侯爵家とアルディシオン公爵家――どちらも守るためには、無理にでも“絵になる構図”が必要だったのです。

表向きには華やかで、裏では制御できる存在……その条件を満たせるのは、彼女しかいませんでした」


エンデクラウスの紫の瞳がまっすぐにディーズベルダを見つめていた。

真剣な視線に、一瞬息を飲んだものの――ディーズベルダはふっと表情をゆるめ、少し眉を寄せた。


「……でも、リセちゃん、大丈夫かしら。うちの兄で本当に良いの? 顔だけは確かに良いけど」


最後のひと言は冗談交じりで、肩をすくめながらお茶を一口すする。

けれど内心は、やはり心配だった。何せ相手は、あのベインダル。氷の貴公子の名を持つ、完璧主義の権化なのだから。


エンデクラウスは小さく笑いながらも、どこか達観した声で答えた。


「そうですね……うちの妹にとっては、家を出られるなら、相手は誰でも良かったのかもしれません」


「え? そんなに?」


ディーズベルダが目を丸くして聞き返すと、エンデクラウスは肩肘をつき、少しだけ遠い目をした。


「……俺もそうでしたから。アルディシオン公爵家って、外から見る以上に、息が詰まるんです」


彼の声には、穏やかさの奥に少しだけ滲む苦みがあった。


「でも、弟さんは?」


「エンドランスですか? あいつは問題ありません。むしろアルディシオン公爵家が大好きなタイプですから」


にこりと笑って見せたが、その笑みにはほんの少し皮肉が混じっていた。


「やりたい奴に、やらせておけばいいんですよ。家督も、家名も」


「……ん? どういうこと?」


ディーズベルダが首を傾げると、エンデクラウスは椅子に背を預け、少しだけ重い口調で語りはじめた。


「俺が十三歳になるまでは、別邸に“隔離”されていたんです。

監禁、というと物騒ですが……まぁ、事実ですね。世継ぎとして期待されていたのは、一歳下の弟の方で」


その言葉に、ディーズベルダの表情が曇る。


「……それで?」


「俺の監禁が解かれて、急遽“嫡男にふさわしい”と判断された途端、すべてがひっくり返ったんですよ。

当然、弟からすれば、寝耳に水だったでしょう。長年積み上げてきた“次期公爵”の座が、兄の帰還ひとつで奪われたわけですから」


「……そっか。エンディの家って……色々、複雑なのね……」


ディーズベルダは、胸の奥がきゅっと痛んだ。

彼のいつもの飄々とした態度の裏に、そんな過去があったとは。


「うちの家なんて、ベインダルお兄様がちょっと頑固なだけで、あとは和気あいあいとして平和よ。お母様も、お父様も優しかったし」


「はい、知っています。三年ほど、寝泊まりさせていただいていましたから」


「……そうね。確かにエンディは、“表向き”は私を監視するって名目で入り浸ってたわね」


少し目を細めて、懐かしそうに笑うディーズベルダ。

あの頃はまだ、彼に恋愛感情なんてなかった。ただの監視者で、口うるさい婚約者で――でも、今思えば、あの日々は確かに特別だった。


「当時はエンディに全然興味なかったから気にも留めてなかったけど……エンディとベインダルお兄様って、仲が良いの?」


その問いに、エンデクラウスがわずかに眉をひそめる。


「ん゛……今の言葉、地味に傷つきますね……」


それでもすぐに表情を戻し、どこか懐かしむように続けた。


「そうですね……“戦友”といったところでしょうか。この最果ての地への魔物討伐も、ダックルス辺境伯領の戦争も……彼とはよく一緒に最前線に立っていました。気づけば、肩を並べて戦っていた、そんな相手です」


「へえ……お兄様と、そんなに」


「彼は見た目に似合わず、策を練るのが苦手で。よく俺に作戦を聞いてきてましたね。

たぶん、他人には絶対に見せない姿だったと思いますよ」


そう語るエンデクラウスの声には、確かに親しみと敬意が混じっていた。


氷の貴公子と呼ばれる男が、唯一“心を許した相手”。

それが、今、自分の隣にいるこの男だったのだ。

いつも読んでくださってありがとうございます。

たくさんのイイネやブクマに、日々とても励まされています。


ところで、SNSで「紹介文がちょっと気持ち悪くて読む気が失せる」とのご意見をいただきまして……(汗)

なるほど確かに、と反省し、紹介文を修正いたしました。

ご指摘くださった方にも、感謝しております。より多くの方に読んでもらえたら嬉しいです。


そんなこんなですが、これからも変わらず、まったり楽しく書いていきますので、

引き続きどうぞよろしくお願いします!

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