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71.ディバルスの大誤算

 朝焼けの光が差し込む王城の玉座の間には、まだ冷たい空気が残っていた。

 その静寂を破るように――


「誠に申し訳ございませんっ!!」


 アルディシオン公爵・ディバルスは、重厚な絨毯の上に両手をつき、額が床に触れるほど深く頭を垂れた。

 銀糸の刺繍がほどこされた外套が乱れ、その背に刻まれた緊張は痛々しいほどだった。


(くそっ……ただの愚娘ではなかったのか!?)


 玉座に座るグルスタント国王は、その姿を鋭い視線で見下ろす。


「……密薬を使ったのは、そなたではないのか。ディバルス」


 その一言に、空気が震える。


 ディバルスは顔を上げぬまま、息を詰めて答えた。


「……いえ、決してそのような愚行を、私自身が命じたわけではございません。ただ……娘の振る舞いを、度が過ぎるほど甘く見ていたこと――深く悔いております」


 それは貴族としての婉曲な告白であり、支配しきれなかった“身内の暴走”への詫びだった。


(こんな策略を練れるわけがないと思っていた……!知っていたら――“策で上書きしてみせろ”などと、あんな無責任な言葉……!)


 国王の眼差しがさらに厳しくなる。


「しかし……アイスベルルク侯爵家の跡取りを、傀儡にまで堕とした罪は、いかに弁じようとも重いぞ」


 ディバルスは噛みしめるように言葉を返した。


「直ちに解毒処置を行わせます……! 幸い、あの密薬は長時間作用するものではございません。……数時間も経てば、自然と効果は薄れるかと……」


 王の眉がぴくりと動く。


「何……? それはつまり……エンリセア嬢と、アイスベルク侯爵子息が――我らを謀った、ということか?」


 沈黙が場を覆い、ディバルスは再び深く頭を下げた。


「……左様に存じます。あの愚娘と、ベインダル殿は……あの場面を、意図的に作り上げたのだと」


(薬を使っただと!? この私に隠れて……あの馬鹿娘め……あとで必ず問い詰めねば!!

 まさか本当にスフィーラ王女が“負ける”とは……!)


 だが、そんな内心をよそに――


「……ふっ、ふふ……はっはっはっはっ!!」


 王の朗々とした笑いが、玉座の間に響き渡った。


 その笑いには、怒りでも侮蔑でもなく、むしろ“してやられた”という痛快さがにじんでいた。


「これは一本取られたな。……実に見事な策。我らを“公に罠に嵌めた”とはな……!」


「申し訳ございません……! 我が愚娘が、まさかここまで……」


(馬鹿だと思っていた。小さな駆け引きすらできぬと思っていた……。まさか、まさか、ここまでの“用意”をしていたとは……!)


 王は片手を上げ、侍従が静かに一枚の新聞を持って前へ出た。


 その紙面をディバルスの前に置くと、見出しが目に飛び込んでくる。


《アルディシオン公爵家、アイスベルルク侯爵家を掌握か!?》

《氷の貴公子、傀儡に成り果てる》

《衝撃の一枚――令嬢の靴に、舌を――》


 その中央には、ベインダルが膝をつき、エンリセアの足元に舌を這わせる衝撃的な写真が、これでもかと大きく掲載されていた。


(くそっ……! ディーズベルダ嬢が写真技術などという文明を持ち込まなければ……!こんな証拠が出回ることもなかったのに!!)


 ディバルスはぐっと奥歯を噛みしめ、内心で悪態をつく。


 その時――


「……もうよい。娘の嫁ぎ先は、バーシブルスト公爵家にするとしよう」


「……ぬぅぅ……っ」


 それはまるで、首を絞められるような言葉だった。


 アルディシオン家とパーシブルスト家は、長年王家への献上品や貢献度を競い合ってきた名家。

 王家の姫を迎えるのはどちらか――その命運を分ける戦いの只中にあった。


 アイスベルク侯爵家に嫁げば、王家との繋がりができ、アルディシオン家の勝利は揺るがないはずだったのに――


 手を伸ばしかけた果実を、まさに“毒”によってもぎ取られたのだ。


 そんな中、玉座の側近が小声で王へと囁いた。


「陛下。……門前にて、ダックルス辺境伯が“謁見を”との申し出をされております。

 既に、かなりの時間お待ちとのことで……」


 王の目が細められる。


「ふむ……我々のやり取りを聞かれていたかもしれぬな……。よい、通せ」


「はっ」


 ディバルスは無言で立ち上がると、少しばかり後ろに下がり、謁見の位置から一歩横へと移動した。


(……まったく……この場でまた新たな火種か)


 グルスタント王が重くため息をつく中、玉座の間の扉の外から、威厳ある足音がゆっくりと近づいてきた。沈黙を裂いて開かれた扉の先から現れたのは――堂々たる体躯を誇る一人の男。


 栗色の髪に、黄金の双眸。そして瞼をかすめる一本の古傷が、彼の背負ってきた年月を静かに語る。


 銀灰の軍服に身を包んだその男――コーリック・ダックルス辺境伯は、剣のように鋭く、盾のように頼もしい雰囲気をまとっていた。


「陛下。突然のご無礼、何卒お許しを。辺境伯、コーリック・ダックルスにございます」


 彼は深く頭を垂れ、その動き一つすら訓練された軍人の如く乱れがない。


「……して、何用か」


 王が低く問いかけると、コーリックは一歩進み、落ち着いた声で用件を述べた。


「実は、我が一族の傍系であるディルコフ・ドルトール伯爵が、“最果ての荒れ地”に開拓支援として赴いたまま、いまだ帰還の報がなく。命に関わるとは思いませぬが、魔物多き土地ゆえ、念のため、所在確認のご許可を頂きたく、参上仕った次第にございます」


 王は小さく頷き、ひとまず了承の意を示す。


「ふむ、わかった。――それだけか?」


 その一言に、コーリックの金の瞳がわずかに揺れる。


「恐れながら、もう一つ、陛下にお願いがございます」


 低く落とした声音には、慎重さと計算が滲んでいた。


「実は……先ほどから玉座の間の外にて控えておりましたところ、陛下が王女殿下のご婚姻についてご議論なされているのを、僭越ながら拝聴してしまいました」


 ディバルスの顔がぴくりと動いた。


(……まさか、聞かれていた……?)


 王は軽く目を細め、無言で続きを促す。


「陛下さえお許しくださるのであれば、王女スフィーラ殿下を、ダックルス辺境伯家の正妻としてお迎えしたく――心よりお願い申し上げます」


 玉座の間に、一瞬重苦しい沈黙が満ちた。


 それを破るように、コーリックはさらに言葉を重ねる。


「アルディシオン家とパーシブルスト公爵家……いずれも王政において重きをなす家柄。ですが、王宮の要を両家ばかりが占め続けるのは、時に“均衡”を損なう火種にもなり得ます」


 王の眉が、わずかに動いた。


「我がダックルス家は、代々“終わらぬ戦”を担い、南方防衛を一手に担ってまいりました。血を流すことを惜しまず、ただ国の安寧のために尽くしてまいった次第。――王家と縁を得ることで、戦場にも王命を届けられると信じております」


 静かに、だが確かに心に響く言葉だった。


 その瞬間――ディバルスが、苦々しい表情を浮かべながら口を開いた。


「……陛下。拙者も……娘の一件に関し、責任を感じておりますが……」


 彼は深く一礼しつつ、続けた。


「今この状況で、パーシブルスト公爵家に嫁がせるのは……むしろ火種を新たに生むことになりかねませぬ。民の目が献上品や金で婚姻が決まると映っては、王威にも影響が出ましょう」


「…………」


「ここはむしろ、“国境を支える家”との縁をお持ちになることで、陛下のお心遣いが広く国中に届くのではと、愚考する次第にございます」


その声の裏には――


(パーシブルストに奪われるくらいなら、ダックルス辺境伯家の方がまだ……)


 そうした苦い計算が、ディバルスの声の奥底に滲んでいた。


 グルスタント王は、目を閉じ、しばしの沈黙のあと――静かに言葉を落とす。


「…………考えておこう」


 その一言に、玉座の間に再び沈黙が戻る。


 その裏では、王の脳裏にもまた、新たな火種と均衡のはざまで揺れる未来の予感が、じわじわと広がっていた――。

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