65.怒り
最果ての荒れ地に、また1つ“実り”が訪れた。
広大な畑の一角で、土を掘り返す音とともに、丸々と育ったジャガイモが次々と姿を現す。これは、ディーズベルダが土壌改良と水管理を徹底し、クラウディスの水魔法のサポートも受けながら育ててきた成果だった。
「ついにこの日が来たわね!」
ディーズベルダが目を細め、腕まくりをする。収穫されたジャガイモは、そのまま魔王城の簡易食堂――領内の面々が気軽に集まれる場所――へと運ばれていった。
ちょうど午後の“おやつの時間”。香ばしい香りを待ちきれない子どもたちや、作業終わりの騎士たちがわらわらと集まりはじめていた。
そんな中、待ちに待った出番に、筋肉コック・オルトが気合いを入れる。
「この日のために鍛えてきましたからな……薄切りポテト揚げ、仕上げてみせます!」
パリッ、パリッ――
軽快な音とともに、香ばしい香りが辺りにふんわりと広がっていく。
大鍋の中では、薄くスライスされたジャガイモがきつね色に揚がり、オルトの手で丁寧にすくい上げられていく。
仕上げに、最果ての海辺で採れたばかりの塩田の塩が、さらさらと振りかけられ――
それはまさに、異世界に誕生した“ポテチ”。
黄金色の一枚が、見る者すべての食欲を刺激してやまなかった。
「ん~~っ!! 美味しいっ!!」
目を輝かせて一枚を口に入れたディーズベルダが、天にも昇るような声を上げる。
その隣で、クラウディスがむすっとした顔でディーズベルダを睨んでいた。
「ぶーーーーーっ!!!」
可愛い抗議の声をあげるクラウディス。 彼の目の前には――すり潰したポテトの離乳食。
そう、彼の皿には「素材そのもの」のジャガイモしかなかったのだ。
「ふふふ。怒らないでよ、クラウ。あなたにはまだ早いわ」
ディーズベルダが微笑みながらフォローするが――
「むぅ!!」
クラウディスはさらにぷくっと頬を膨らませる。
その様子に、エンデクラウスもまた一枚のポテトチップを手に取り、指先で軽く折るようにして口に運ぶ。
パリッ。
澄んだ音が部屋に響いた、まさにその瞬間――
「まーーーーーーっ!!!」
クラウディスが、ついに限界とばかりに立ち上がった。
「あっはっはっはっ!」
「ははっ……可愛いな、まったく」
ディーズベルダはお腹を抱えて笑い、エンデクラウスは笑いながらも、クラウディスの頭をやさしく撫でてやる。
だが、クラウディスは“誤魔化された”とばかりに、さらに「むぁああああ!!」と叫び声を上げる。頬は真っ赤で、全身で怒りを表現していた。
「すっごく怒ってるわね……」
ディーズベルダが肩をすくめたそのとき――
コン、コン――と、控えめなノックの音が室内に響いた。
「奥様。旦那様。……お客様がお見えになっております」
扉の向こうから、執事・ジャケルの落ち着いた声が届いた。
「お客様?」
ディーズベルダはエンデクラウスと視線を交わし、一瞬の沈黙のあと、小さく頷いた。
「……行ってみましょうか」
「ええ。クラウディス、後で続きをね」
クラウディスは小さく「むー」と唸りながらも、ディーズベルダの手に小さく握られた指に応えるように、ふにゃっと力を抜いた。
ディーズベルダとエンデクラウスは並んで立ち上がり、客室へと足を向けていく。
◇◆◇◆◇
客室の扉を開けると、そこにはフードを深くかぶった男が、窓辺に背を向けたまま立っていた。
「えっ!? まさか――お兄様!?」
ディーズベルダが思わず声を上げる。フードの奥からちらりと覗いた銀色の髪――それだけで十分だった。
男はゆっくりと振り返る。やはり、間違いなかった。アイスベルルク侯爵家の長男、ベインダルその人だ。
彼は淡々とした口調で一言だけ言い放つ。
「……あまり大きな声を出すな。今は“忍び”で来ているのだ」
その低く張った声に、空気が一瞬で引き締まる。
エンデクラウスはすぐに態度を改め、きちんと背筋を伸ばして頭を下げた。
「アルディシオン家・エンデクラウス。ご足労、感謝いたします」
「やめろ。忍びだと言っているだろう」
ベインダルは面倒そうに手を振ったが、その声に特別な棘はない。ただ“形式など無用”という彼なりの誠意だろう。
「どうしたの? 突然忍びなんて、何かあったの?」
ディーズベルダが一歩近づきながら問いかける。
エンデクラウスは、ふっと皮肉を含んだ笑みを浮かべながら言った。
「まさか、エンリセアが嫌になったんですか?」
「……はぁ」
ベインダルは深いため息をつくと、フードの奥から懐に手を入れ、ひとつの小瓶を取り出した。
中には、不気味に輝く緑色の液体が揺れていた。
「この薬の効果を確かめに来た」
「……それは……」
ディーズベルダの瞳が驚きに見開かれる。
「持ち出し禁止の薬のはずですが……?」
「……持ち出してきた」
あまりにも堂々とした物言いに、ディーズベルダは一瞬言葉を失った。
「えっ……お兄様!? 何してるの!?」
ベインダルは彼女の制止を意に介さず、声を潜めて言う。
「大きな声を出すな。これは一体どういった代物だ?」
ディーズベルダは不安そうに目を伏せながら答えた。
「それは……喉に通した瞬間から三時間。最初に聞いた声にだけ絶対服従する――人を“傀儡”にしてしまう、禁忌の薬です。製造も極めて困難で、十年、いえ、二十年に一度できるかどうかの……」
その言葉に、エンデクラウスの眉がぴくりと動いた。
「お前が――エンリセア嬢を“勧めた”のだろう。ならば責任を取って、これを飲んでみせろ」
ベインダルはそう言うと、小瓶を手に取って一歩、エンデクラウスの前に出た。
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるのよお兄様!?」
ディーズベルダが慌てて止めに入ろうとするも、ベインダルは一切の動揺も見せず、腕を伸ばす。
「ぐっ……!」
エンデクラウスは顔をしかめながらも一歩も引かず、対峙する。
――小瓶の口は、すでに彼の唇のすぐそばまで近づいていた。
(――冗談じゃない。本当に飲ませるつもり……!?)