表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/188

64.命の兆し

 ――夕暮れ。

 薄く茜に染まったカーテンが、開け放たれた窓から入る風にゆらりと揺れていた。

 重厚な寝台の傍には、あたたかなぬくもりが寄り添っている。


 ゆっくりと瞼を開くと、天井に映る光のゆらぎが、まるで水面のように揺れていた。

 まだ少しぼんやりとする頭であたりを見渡したディーズベルダに、柔らかな声が降りてくる。


「……目が覚めましたか?」


 優しく、けれどどこか張り詰めたような声音。

 視線を向けると、椅子に腰をかけていたエンデクラウスが、静かにこちらを見守っていた。

 彼の紫の瞳は、安堵と、それ以上に深い感情で満たされていた。


「エンディ……私……」


 ディーズベルダが言葉を探すように呟くと、エンデクラウスは黙ってベッドの傍に膝をついた。

 そしてそっと、彼女の手を取ると、そのままゆっくりと下腹部に重ねた。


「……よく……耐えていましたね」


 まるで壊れものに触れるように優しい手つきで、彼は彼女のお腹に触れた。

 その温もりに、ディーズベルダははっと息をのむ。


「やっぱり……そうなの?」


 震えるような声で尋ねると、エンデクラウスは静かに頷いた。

 その動きには、誇らしさと、言葉にならないほどの感情がこめられている。


「はい。……あなたは、命を授かっています」


 ディーズベルダの喉が、小さく鳴る。


「そっか……私、初めてだから。不安だな……もちろん、すごく嬉しいけど」


 涙が出るほど嬉しい。

 けれど同時に、未知の道に足を踏み入れるような不安が胸を締めつけていた。


「……無粋なことを聞いても?」


 ふいにエンデクラウスが口を開く。

 少しだけいたずらっぽく、それでいて真剣なまなざし。


「ふふ……いなかったわ。彼氏……じゃなくて、恋人とか。結婚もしてなかったの。だから何もかも、エンディが初めて」


 照れくさそうに笑いながらも、ディーズベルダは真っ直ぐに彼を見つめた。

 その一言が、どれほど彼を救ったか、本人は知らない。


 エンデクラウスは、ふっと表情を緩めると、目元をやさしく細める。


「……読まれてしまいましたか」


「わかるわよ、あなたの考えることくらい」


 お互いのことを知り尽くしている。

 言葉にしなくても通じ合える、そんな空気が二人のあいだに流れていた。


 窓の外からは、カラスの鳴き声が一声だけ響く。

 日が完全に沈む前の、ひとときの静けさ。


 しかし、ディーズベルダは突然くるりと身を起こし――


「でも、王都のパーティーは出るわよ」


「……なっ!? だめです。危険です」


 反射的に声をあげたエンデクラウスが、眉をひそめる。

 心配がそのまま言葉になっている。


「じゃあ、また一人で行く気?」


「……っ、それは……」


 言葉を詰まらせる彼に、ディーズベルダは静かに微笑んだ。


「片時も離れたくないって……言ってたのに?」


「ぐ…………」


 完全に言い返せなくなったエンデクラウスは、唇を噛み、しばしの沈黙の末――


「……わかりました」


「ふふ、素直でよろしい」


 ディーズベルダはくすくす笑いながら、枕に頬を埋めた。

 目元はまだ少し赤いが、表情は明るく輝いていた。


「ドレスも新調しなきゃね。どれくらい大きくなるかしら……先生はなんて?」


「妊娠三ヶ月、とのことです」


「ふむふむ……パーティーは三ヶ月後よね?」


「ええ、そうです」


「六ヶ月かぁ。ふふふ、やっぱり楽しみが大きいわ!」


 ディーズベルダはそっとお腹に手をあてた。

 そこに確かに存在している、もうひとつの命。

 小さな心臓が、とくんとくんと鼓動を打っている気がした。


「ねえ、エンディ」


「はい?」


「この子、きっとあなたに似てると思うの。……優しくて、強くて、ちょっとおせっかいで」


「……“ちょっと”で済んでいるなら嬉しい限りです」


 そう返した彼の目元にも、かすかな涙が滲んでいた。


 「この子、きっとあなたに似てると思うの。……優しくて、強くて、ちょっとおせっかいで」


 ディーズベルダが微笑んでそう言うと、エンデクラウスはほんの少し、肩をすくめてから目元を緩めた。


 「……“ちょっと”で済んでいるなら、嬉しい限りです」


 ふっと笑いながらも、その紫の瞳には、かすかに潤んだ光が滲んでいた。

 言葉では語らぬままに、彼の中に渦巻く感情――それは、喜びと安堵、そして愛しさに他ならなかった。


 そしてエンデクラウスは、ゆっくりと立ち上がると、やわらかな声音で告げた。


 「クラウディスが……とても心配していました。こちらに連れて来ても良いでしょうか?」


 その問いに、ディーズベルダは一瞬、目を丸くし、そしてすぐに頷いた。


 「うん。来てくれると嬉しい」


 彼女がうなずくのを確認すると、エンデクラウスはそっとドアの方へ向かい、部屋をあとにした。


 ――その背を見送りながら、ディーズベルダは再びそっと腹部に手を当てた。

 まだ目立たぬそのお腹には、小さな命が確かに宿っている。


 (……私が、エンディの子を授かるなんて。考えてもみなかったな……まぁ、もうクラウディスがいるけども…。)


 なんだか……不思議な気分


 この一ヶ月の開拓は、本当に過酷だった。

 寝る間も惜しんで作業に参加し、虫も、魔物も――全てと向き合ってきた。

 それでも、エンデクラウスはいつも私を気にかけ、そっと支えてくれていた。


 (そういえば……重いものを持たせなかったのって……もしかして……)


 彼の手がいつも先に動いていた。

 荷物運び、伐採、工具の準備、すべて彼が率先してやっていた。

 その上、料理中にも鍋や重いカゴには近づかせなかった――それら全てが、今となっては思い当たる。


 (……気づいてたのね。エンディなら、ありえるわ)


 苦笑混じりにふっと微笑んだその時――


 「――まんまー!! ま……ままーっ!!」


 廊下の向こうから、必死な声が聞こえてきた。


 「クラウ!」


 思わず身を起こしかけたディーズベルダの元へ、扉が勢いよく開かれる。

 その先に立っていたのは、泣きそうな顔で小さな手を伸ばすクラウディスだった。

 その後ろには、微笑を浮かべたエンデクラウスと、サポートをするジャスミンの姿。


 エンデクラウスが静かにベッドに歩み寄り、クラウディスをそっと彼女の腕の中へと託す。


 「クラウ……!」


 ディーズベルダは両腕でクラウディスをぎゅっと抱きしめた。

 小さな手が彼女の髪に触れ、安心したように「ままぁ……」と何度も呼ぶ。


 その温もりに、ディーズベルダはこらえていた涙を一粒、こぼした。


 「……ありがとう、クラウ。おなかにね……クラウの妹か弟がいるのよ」


 「……みぃ?とぅと?」


 不思議そうな顔で見上げるクラウディスに、彼女はふわりと微笑んだ。


 「一緒に、待っててくれる?」


 「……まぁ~!」


 小さく頷いたその姿に、ディーズベルダは再びクラウディスを抱きしめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ