6.乳牛も作れます。
研究室を見渡していると、ディーズベルダはあることに気がついた。
「……これ、水道があるわね。」
壁際に設置された蛇口を見つけ、試しにひねってみる。
ゴボゴボ……シュルシュル……
しばらくの間、空気が抜けるような音が響いたかと思うと——
サァァァァァ……ッ!
透明な水が勢いよく流れ出した。
「地下に水が通ってるのね……。」
ディーズベルダは感心しながら、水を手にすくって顔を覗き込む。
「おお、これは便利ですね。」
エンデクラウスも興味深げに水を眺める。
「飲めるかしら?」
「一応、ろ過装置もあるみたいですし、問題はなさそうですね。」
さらに奥へ進むと、もう一つ衝撃的なものを見つけた。
「……ちょっと待って、これって……?」
ディーズベルダが見つけたのは、明らかに水洗トイレのような設備だった。
「まさか、この時代に……?」
一方、エンデクラウスはそれを見た瞬間、目を丸くした。
「こ、これがガードローブですか!?」
彼は信じられないものを見たような顔でトイレを指差す。
「ええ、水洗トイレよ。」
「これが……? では、まさか、あのレバーを引くと……?」
エンデクラウスは恐る恐るレバーを押してみる。
ゴォォォ……シュパァァァ!
勢いよく水が流れ、排水口へと消えていく。
「なんという画期的な技術……!!」
彼の紫の瞳がキラキラと輝き、まるで魔法を初めて見た少年のように感動している。
「……いや、そんなに感動するもの?」
ディーズベルダは呆れたように肩をすくめた。
「これさえあれば、汚物の処理に苦労することはないですね!」
「まぁ、快適な生活には不可欠ね。」
これで生活環境が大幅に改善されることは間違いない。
だが、この研究室で最も重要だったのは、霧を晴らす装置だった。
あの紫色の霧を晴らしたことで、最果ての荒れ地の雰囲気は一変した。
今まで淀んでいた空気が清浄になり、青空が広がり、風が心地よく流れるようになった。
そして、それと同時に——
魔物が姿を見せなくなってしまったのだ。
「……魔物がいない?」
ディーズベルダは驚きながら、遠くの景色を眺めた。
「どういうことですかね……? まるで、霧が魔物を繋ぎとめていたかのようです。」
エンデクラウスが冷静に分析する。
「もしかして、この霧って魔物の結界みたいな役割を果たしていたのかもね。」
「だとすると、この土地の本来の姿は、魔物に汚染されていたわけではないのかもしれませんね。」
いずれにせよ、これで魔物の脅威はなくなった。
これならば、人が住める領地として開拓することも可能だ。
◇◆◇◆◇
そして、それよりも——今すぐ解決しなければならない問題があった。
「クラウディス、お腹すいたの?」
ディーズベルダが腕の中で揺らしながら赤ん坊をあやすと、クラウディスは「まー!」と元気いっぱいに手足をバタつかせた。
(……そうよね。この子は赤ちゃんなんだから。)
お腹がすいているのは当然だった。
「さて、じゃあミルクを用意しないと。」
ディーズベルダがそう言うと、エンデクラウスは軽く首を傾げた。
「ミルクを用意する……とは?」
少し考え込むように眉をひそめる。
それに対して、ディーズベルダはまるで当たり前のことのように、研究室の端にある装置のスイッチを押した。
「乳牛を作る。」
「えっ?」
——ゴゴゴゴゴ……!!!
重々しい音を立てながら、装置が起動する。
そして数秒後——
モォォォォォ……!
白黒模様の立派な乳牛が、魔王城の研究室の片隅に出現した。
「ほら、できた。」
ディーズベルダは手際よく、牛の首輪を取り付けながら言う。
「……魔王城、すごいですね。」
エンデクラウスは呆然と立ち尽くしていた。
彼の紫の瞳が遠いどこかを見つめている。
(……考えたら負けな気がする……。)
彼はそう悟ったのか、それ以上何も言わなかった。
◇◆◇◆◇
牛の乳を搾る作業は意外とすんなり終わった。
研究室に置かれていたバケツに搾りたてのミルクを受けると、ほのかに温かい湯気が立ち上る。
「でも、このままだと菌が残ってる可能性があるわね……。」
ディーズベルダは慎重にミルクを見つめながら呟く。
「エンディ、火で熱湯消毒してちょうだい。」
ミルクを入れた鍋をエンデクラウスに手渡す。
彼は鍋を受け取ると、軽く手のひらをかざした。
シュワァァ……ポコポコ……
魔法の炎が柔らかく揺れ、ミルクがゆっくりと加熱される。
やがて、白い湯気が立ち昇り、乳独特の香ばしい香りが研究室に広がった。
「これで大丈夫でしょう。」
エンデクラウスが火を弱め、鍋をそっと台の上に置く。
しばらく冷まし、適温になったのを確認してから、ディーズベルダはミルクを小さな水差しに移した。
「はい、クラウディス。ミルクよ。」
赤ん坊の口元にそっと水差しを運ぶと、クラウディスはすぐにごくごくと夢中で飲み始めた。
「ふふっ、すごい勢いね。」
ディーズベルダは微笑みながら、小さな頭をそっと撫でる。
「まぁ、元気な証拠ですね。」
エンデクラウスも優しく微笑んだ。
しかし、そのまま少し沈黙し、何かを考え込むようにディーズベルダの方をじっと見つめる。
そして——
「で、でも……。」
彼は咳払いをして、少し改まった口調で言った。
「良い頃合いに、ちゃんとした方法で子供を作りましょうね。」
ディーズベルダはミルクを飲むクラウディスを見つめたまま、固まる。
「え……えぇ、まぁ……落ち着いたらね。」
彼女は視線を逸らしながら、曖昧に答えた。
(エンディには悪いことしたわね……本当に人間が作れると思ってなかったのよね。ごめんね。)
※貴族や王族の城の便所を指す言葉でガードローブと呼ばれていました。