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58.みんな大好きカレー

ぐつぐつと煮込まれたスパイスの香りが、海風に乗って辺り一帯に広がっていく。


 ようやく全ての鍋が完成し、お米もふっくらと炊きあがった。

 香ばしさとほんのり甘い湯気が立ちのぼり、食欲をこれでもかと刺激してくる。


「みんなー! お昼ができたから並んでー!」


 ディーズベルダの声が響くと、騎士たちや領民たちが一斉に列を作りはじめる。

 オルトと数人の補助班が、手際よく木皿にご飯をよそい、その上に黄金色の“謎のルウ”をたっぷりとかけていく。


 カレーの提供数――なんと五百皿。


 だが、作業は驚くほどスムーズだった。皆がこの時を心待ちにしていたのだ。


 ひと口食べた瞬間、どこからともなく感嘆の声が上がる。


「……な、なんだこれ……!?」


「初めて食べる味なのに、どこか懐かしいような……!?」


「うまっ! うまいっ! なんですかこれ、異国の料理!?」


「ご飯とこの“辛い汁”、一緒に食べると最高なんですけど!!」


 まさに前代未聞の味。

 誰もが未知の料理に舌を震わせ、目を見開き、感動に打ち震えていた。


 そのなかで、唯一落ち着いた様子でカレーを口に運ぶ男がいた。


「……久しぶりのカレーですね。相変わらず、美味しいです」


 エンデクラウスだった。


 彼だけは、ディーズベルダが前世の記憶を活かして作った“異世界料理”を食べ慣れている。

 それでも、海辺で食べる熱々のカレーは格別で、思わず目を細めて微笑む。


 そんな彼の足元では、クラウディスがじーっと木皿を見つめていた。


 視線は熱く、口は小さくもごもご動いている。


「……みぅ……」


「ごめんね、クラウ。これはまだちょっと辛すぎるわ。でも今日はこれよ」


 ディーズベルダはクラウディスのために、用意していたすりおろしリンゴの甘い離乳食をそっと差し出した。


 クラウディスはぱくりとひと口食べ、もぐもぐと味わったあと――ぱっと顔を輝かせて叫んだ。


「まっ! あんま!」


「甘いって言おうとしてるのかしら?」


 ディーズベルダが思わず微笑みながら尋ねると、クラウディスは一層うれしそうに手を振り上げて答える。


「あんま! あんまい!」


「ふふふ……」


 その場にいた全員が笑みをこぼすなか、最果ての浜辺には、今日いちばんの温かな空気が流れていた。


◇◆◇◆◇


 しばらくして――。


 異国の珍しい料理に満足した騎士たちや領民たちは、腹ごしらえを終えると、早くも帰りのルート整備に取りかかっていた。


 森に戻っていく背中には、ほどよい疲労と充実感が漂っている。


 一方で、ディーズベルダはまだ海辺に残っていた。

 足元を打つ波の音を聞きながら、ゆっくりと視線を水平線に向けていた。


「ディズィ?」


 後ろから、エンデクラウスが声をかけてくる。


 だがディーズベルダの眉は、かすかに寄ったままだ。


「……なんだか、おかしいのよ」


「え?」


 エンデクラウスは思わず隣に並び、彼女の視線の先を追った。


「あそこ……あの岩の辺り。なんだか不自然に盛り上がってると思わない?」


 ディーズベルダは、沖合に浮かぶ不揃いな岩の並びを指差した。


 素人目にはただの海岸の変化のようにも見えるが、彼女の目には違和感が強く残った。


「そうですか? ……正直、俺には海というものが初めてでして。岩があるのは普通なのでは?」


 エンデクラウスは首をかしげる。

 無理もない。内陸国であるグルスタント王国では、海の知識を持つ者などほとんどいない。


 だがディーズベルダには、どう見てもそれが“自然の岩”には思えなかった。


 あの岩の並びは、まるで防波堤。

 波を遮るように、意図的に積まれた“人工的な構造物”のように見えたのだ。


(まさか、そんなものがこの場所に?)


 胸の奥に、嫌な予感がじわりと広がる。


 けれど――。


「……まあ、今はいいわ。塩の方が先よね」


 そう言って、ディーズベルダはひとつ息をついた。


 今は開拓と食糧管理が最優先。

 疑問は疑問として覚えておくことにして、まずは予定していた塩の生産体制を整えることにした。


 彼女は腰に下げていた革のケースから、丸めた図面を取り出す。

 それは、太陽と海水を活かして塩を作るための“田塩”設計図だった。


「エンディ、ドルトール伯爵は?」


「騎士たちの指示を見て回ってました。すぐ呼びます」


 うなずいたディーズベルダは、図面を丁寧に広げながら、視線を遠くの岩場に戻す。


(……あの岩。いつか確かめる必要がありそうね)


 胸にひっそりと刻みつつ、彼女は塩の未来を語るべく、ドルトール伯爵のもとへと歩き出した。


◇◆◇◆◇


 「良いですよ! お安い御用です!」


 快活な声とともに、ディルコフ・ドルトール伯爵が袖をまくりあげると、地面に手をかざした。


次の瞬間――海辺の一角に、整然とした田塩用の浅い窪みがいくつも広がっていた。


 魔力で精密に整えられたその構造は、まるで神殿の床を思わせるような幾何学的な美しさを持っており、その美しさの裏には、実用性を極限まで高めた機能的な設計が宿っていた。


 海水を各区画に流し込み、太陽の熱でじっくりと蒸発させていく。

 やがて水分だけが抜け、底に白く結晶化した塩が残る――そうした自然の力を利用した回収方式だ。


「ま……魔法って、すごい!!!!」


 図面片手にその光景を見つめていたディーズベルダは、思わず素の声を漏らした。

 地属性の魔法の応用力に、内心では拍手喝采したい気分だった。


 そんな彼女に向かって、ドルトール伯爵はにこやかに振り返る。


「だって、あんなに美味しい料理をごちそうしてくれたんですよ? しかも、辛い物が苦手な人のために甘口まで用意してくださって……本当に感動しました!」


 彼の言葉には一切の嘘も飾りもない。

 昼食のあのカレーは、彼にとって完全に“未知との遭遇”でありながら、“人生を変える味”だったらしい。


「ですので、これくらいはさせてください! いくらでもやりますとも!」


 その熱量にディーズベルダは少し笑って、「じゃあ、遠慮なく」と手を合わせる。


「帰りのルートも、お望みどおりに仕上げてさしあげますよ!」


 宣言するドルトール伯爵の背後で、地面がまたしても変形しはじめ、既に数メートル分の地ならしが始まっていた。


 ……だが。


 この時の彼はまだ知らなかった。


 この“開拓意欲に満ちた一言”が、後に自分の首を締めることになるとは――夢にも思っていなかったのである。

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