56.ついに辿り着く海!
森の開拓は順調に進み、設置したランタンも淡く魔力の光を灯している。
ディーズベルダたちは道の整備と森林伐採を交互にこなしながら、時おり現れる魔物も手際よく討伐していた。
剣を振るうエンデクラウスの動きは鋭く、それでいて優雅さすら感じさせる。
彼の戦いぶりは、一撃一撃に無駄がなく、何より圧倒的に“強い”という事実を雄弁に語っていた。
……そして、ついに――。
「……っ、波の音だ……!!」
その瞬間、森の奥で手を止めていたディーズベルダが、ぱっと顔を上げた。
「波?」
エンデクラウスが首を傾げながら、静かに耳をすます。
たしかに、かすかに響いていた。木々のざわめきに混じる、さらさらと繰り返される音。
風に運ばれてくる、優しくリズミカルなその音は、まぎれもなく海の波が打ち寄せる音だった。
「エンディ! 行きましょう! 早く早く!」
ディーズベルダが少年のような笑顔で手を引く。
それまで冷静だった彼女の表情が、一気に華やいで見えた。
「……はい。行きましょう。」
エンデクラウスも、そんな彼女の勢いに思わず微笑んでうなずく。
ふたりと一人は、整備中の作業を中断し、まるで子どものように道なき道を駆け出していく。
草をかき分け、木の枝をよけ、風を切って、森の傾斜を抜ける。
そして――。
視界が一気に開けた。
「うわっ……!」
「……っ!」
そこには、まるで宝石を溶かしたかのようにきらめく、水と光の大地が広がっていた。
「海だあああああああああああああ!!!!」
ディーズベルダが叫び、両腕を大きく広げる。
潮風が頬を撫で、銀髪をふわりと揺らす。
眼前に広がるのは、限りなく青く、どこまでも広がる大海原。
白い砂浜がさらさらと輝き、陽の光を反射して、水面がダイヤモンドのようにきらきらと瞬いていた。
「うにーーーーーー!!」
クラウディスが意味不明な雄叫びを上げる。
でもその声には、彼なりの感動が込められているのが伝わってくる。
「……海……ですね。これが……」
エンデクラウスも立ち止まり、信じられないものを見るように視線を漂わせた。
その紫の瞳が、光を反射する波面に静かに吸い込まれていく。
彼にとっても、これは初めての風景だった。
グルスタント王国は完全な内陸国。
地理的に、海とは縁遠く、港や漁港というものは隣国や同盟国に依存してきた歴史がある。
そう、もしかしたら――王国の広い領地の中でも、唯一この“最果ての荒れ地”だけが、海と接しているのかもしれない。
輸入品としてしか触れてこなかった海産物。
その源が、今、自分たちの足元にあると思うと、ディーズベルダは胸が高鳴るのを感じた。
「うわ……私もはじめて見ましたよ」
遅れて追いついてきたディルコフも、驚いたように呟いた。
普段は余裕ある表情を崩さないディルコフでさえ、この壮大な海の景色には一瞬、言葉を失っていた。
潮風が髪を揺らし、海鳥のような鳴き声が遠くから聞こえてくる。
どこか懐かしいような、不思議な静けさに包まれていた。
ディーズベルダはふと、砂浜に降り立つと、手際よくブーツの紐をほどき、靴を脱ぎ始めた。
そして、そのままさらさらの砂を踏みしめ、裸足のまま波打ち際へと駆け出す。
「わあっ……あははっ! 冷たーい!!」
波が寄せては返すたびに、足元をくすぐるような感触が広がって、ディーズベルダは思わず笑い声を上げた。
その無邪気な姿に、後ろからやってきたエンデクラウスが息を呑む。
陽光に照らされた銀の髪が風に舞い、笑みを浮かべた横顔がまるで絵画のように美しい。
「……だめですっ……ディズィ、そんな……可愛すぎる……!!」
「は、恥ずかしいこと言わないでよ!!」
ディーズベルダが思わず顔を真っ赤にして振り返ると、エンデクラウスはどこか本気で悶えていた。
言葉にはしていないが、「尊い……」とでも言いたげな表情で彼女を見つめている。
そのそばで、クラウディスがディーズベルダに捕まりながら、小さな足で砂浜をぺたぺた足ふみしながら、海を指さして叫んだ。
「うにー! うにーーー!!」
どこで覚えたのか不明な謎の叫びも、今日はやけにしっくりくる。
そこへ、整備された山道を通って、騎士たちが次々と姿を現した。
ジャンとデール、ヴィシャル、そして従者たちも一様に、その目を見開いて海を見つめている。
「……本当に、海だ……」
「この最果てに、こんな場所があったなんて……」
誰もが息を呑み、言葉を失っていた。
それは騎士たちだけではなかった。
遅れて到着した領民たちも、次々と波打ち際へと歩み寄り、思い思いの反応を見せていた。
長かった――。
魔王城から始まった整備と開拓の旅は、今日で十四日目。
苦労の末に切り拓いた道の先に、この海があったのだ。
エンデクラウスは、そんな感動の渦の中でふと、冷静に距離を測る。
(道が整っている今なら……帰りは三日、いや、四日もあれば充分だな)
だが、隣で何かを考え込んでいたディーズベルダが、ふいに声を潜めて話しかけてきた。
「エンディ、ちょっと……こっそり、いいかしら」
「ん?」
二人は少しだけ人目を避けるように、波打ち際の岩陰へ移動した。
「帰り道、少しだけルートをずらして、今来た道と同じくらいの道をもう一本……開拓して帰りましょう」
ディーズベルダは真剣な目で、エンデクラウスを見上げる。
「……なぜですか?」
彼が不思議そうに尋ねると、ディーズベルダは声をひそめてニヤリと笑った。
「今のうちに、“電車”を通す道を作っておきたいの」
「で、電車……?」
エンデクラウスが眉をひそめた。
ディーズベルダは勢いよくうなずきながら、目を輝かせる。
「自動で動く馬車みたいなものよ! 魔力を使って走らせるの! ここの地形なら敷設もできるし、あのディルコフ伯爵がいる今がチャンスなの!」
そこでエンデクラウスも、ようやくその意図を理解した。
「なるほど……。今なら、道を作る戦力が確保できている。確かに、次に“捕まえる”のは難しそうですしね」
「でしょ!」
ディーズベルダが得意げに胸を張る。
それを見たエンデクラウスはふっと笑うと、すぐにその場から数歩下がり、声を張り上げた。
「――全員、集まってくれ!」
エンデクラウスの声に、騎士たちや作業班、領民たちが次々と手を止め、彼のもとへと集まってくる。
「帰りは、少しルートをずらして戻る。新たな道をもう一本、今と同じように整備する。時間も労力もかかるが、最果てを本当の意味で“道の通った土地”にするためだ。……協力を頼む」
場が静まり返り、やがてどこからともなく「おー!」という返事が返る。
海で使うための木材はその場に残すことになり、運搬の負担も少しは軽くなる。
そんな空気を察して、ディーズベルダが前へ出る。
「じゃあ、みんな! 残ってる整備作業はお願いね! 私はここで、皆のために料理を作って待ってるわ!」
その言葉に、ざわりと沸き起こる歓声。
「おおおーっ!!」




