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55.ダックルス家の人

朝日が差し込む森の中。湿った土の匂いがほんのりと鼻をくすぐる。


今日もディーズベルダたちは、海へと続く道の整備とランタン設置作業に取りかかっていた。


「ん……」


ディーズベルダの腕の中で、クラウディスが小さなあくびを漏らす。その髪は朝日を受けて銀糸のように輝き、紫色の瞳はきらきらと瞬いていた。


「エンディ、そっちは任せていいかしら?」


「もちろん。ここは俺が――」


低く呟いたエンデクラウスの手に、紫の炎をまとう刃が形作られる。音もなく、すっと抜刀するような仕草で構え、目の前の太い木の幹に一閃。


ボウッと炎が走り、木が崩れ落ちていく。


「みぅー!」


タイミングを見計らったかのように、クラウディスがディーズベルダの腕の中からちょこんと手をのばす。


「たやっ!」


彼の小さな手の先から、水の玉が弧を描き、残った火の粉をさらりと鎮火した。


「ありがとう、クラウディス。完璧よ」


そんな微笑ましい空気を切り裂くように、森の奥から蹄の音が響いた。


「……馬?」


ディーズベルダが振り向くと、一本の小道を駆けてくる馬影が見えた。騎乗しているのは、ブラウンの髪を風にたなびかせた上品な青年。服装も仕立てのいい乗馬服で、明らかに只者ではない。


「誰かしら……」


警戒しつつも、どこか気になるような声音でディーズベルダが呟く。


エンデクラウスも作業の手を止め、目を細めた。


「……あれは……」


馬はすでに周辺の警備兵に止められており、何やら会話を交わしている。その様子から、敵意がないことはすぐに分かった。


やがて許可を得たのか、青年は馬を降りてこちらへと歩み寄ってくる。背筋をまっすぐに伸ばし、貴族らしい気品を漂わせながら。


「失礼します。初めまして。わたくし、ダックルス辺境伯家の傍系にあたる――ディルコフ・ドルトールと申します。伯爵位を賜っております。」


落ち着いた声。年の頃は二十代半ばほどだろうか。優しげな目元と穏やかな表情が印象的な青年だった。


エンデクラウスとディーズベルダは、互いに一瞥を交わすと、すっと前に出て並ぶ。


「アルディシオン公爵家、最果ての荒れ地の領主――エンデクラウス・アルディシオン」


「同じく、ディーズベルダ・アルディシオンです」


 続いてディーズベルダも柔らかな笑みを浮かべながら挨拶する。


 そのとき、彼女の足元からぴょこんと覗いた小さな影があった。


「……みぅ?」


 クラウディスだった。小さな頭に銀色の髪がきらめき、好奇心いっぱいの紫色の瞳が、初めて見る貴族の男を見上げていた。


 その無垢な視線に、ディルコフは微笑みを深くする。


「……お子さまもいらっしゃったのですね。大変、お可愛らしい」


 ディーズベルダがクラウディスをそっと抱き寄せると、彼は話題を本題へと戻した。


「実は、ベインダル・アイスベルルク殿より話を受けておりまして……。学園時代からの友人でしてね。彼から、ここの開拓を手伝ってやってくれないかと頼まれたのです」


「えっ……お兄様の……?」


 ディーズベルダは目を瞬かせ、思わず問い返した。


「それは……本当に? よろしいのですか?」


 彼女の声には驚きが混じっていた。

 それも当然だろう。ダックルス家といえば、敵対国との境界に広大な領地を持つ、常に戦と隣り合わせの名家。


 特に地属性の魔法に関しては、王国随一の使い手を多く輩出しており、金をいくら積んでもそう簡単には雇えない、戦略的にも貴重な人材を多く抱える家柄だ。


 その傍系とはいえ、この若さで伯爵を名乗る者が、自らここまで足を運び、しかも手伝いたいと言ってくるなど……普通ならあり得ない。


「はい。アイスベルルク侯爵家やアルディシオン公爵家の皆さまは、これまでも数多くの戦にご参加くださっておりますし……」


 ディルコフはふっと視線をエンデクラウスに向ける。笑みを崩さぬまま、言葉を続けた。


「開拓が終われば、エンデクラウス様も、また前線に立たれるお立場……。その時に備え、今のうちから連携をとっておくのも、無駄ではないと考えております」


 そう言って、ディルコフ・ドルトール伯爵は柔らかく微笑んだ。


 その言葉はあくまで穏やかで、丁寧なものだった。

 しかし、裏に含まれた“お願いという名の前提”を、エンデクラウスは逃さなかった。


(……つまり、ここの開拓が終わったら、ダックルス家の戦争を手伝え、と)


 静かに、しかし確実に。エンデクラウスの眉がほんのわずかに動いた。

 それだけで、ディーズベルダには察せられた。


 彼の内側に、じわりと広がる「行きたくない」という強い拒否感が。


(あ、嫌そう……完全に“行きたくない”顔してる)


 目元は笑っているのに、どこかオーラがとげとげしい。

 内心では、剣も鎧も火の魔法も捨てて、ディーズベルダとクラウディスと、ずっとここで野菜でも植えていたいのだろう。


 実際、エンデクラウスにとって今の開拓生活は、“平和で理想的な日々”だった。

 そこに戦争の話を持ち込まれるのは、明らかに気乗りしない。


 だが、ディルコフにはそんな空気などお構いなしだった。


「一応、来た道を一通り整えておきました。移動の際、不便があっては失礼ですから」


 さらりとそう言って、ディルコフは森の奥を指し示す。


 ディーズベルダたちがそちらを振り返ると――思わず、息を呑んだ。


 そこには、先ほどまでぬかるんだ土だったはずの山道が、見事な石畳へと姿を変えていたのだ。


 大きさのそろった岩が一枚ずつ敷かれ、道の両脇には崩れ防止の斜面まで築かれている。

 まるで王都に続く街道のような仕上がりだった。


「す、すごい……っ!」


 ディーズベルダは、目を輝かせて駆け寄り、石畳の表面をそっと指先でなぞる。

 表面はすべすべで、足場も安定している。これなら重い荷馬車も楽に通れるだろう。


 彼女の反応に、ディルコフは満足げに微笑んだ。


「お褒めにあずかり光栄です。地属性魔法にはこういった使い方も多いのですよ。もちろん、戦場でも活かせますが……」


 ちら、と視線をエンデクラウスに向ける。その目は、“もちろんお力添えいただけますよね?”と語っていた。


 エンデクラウスはそんな視線を受け止めながら、内心で深く、重たいため息を吐いた。


(……これだけの力を見せられたら、無碍にはできないか)


 実力のある者は貴重だ。しかも戦場慣れしたダックルス家の人間が、わざわざこちらに出向いてきたとなれば、これ以上断れば外交的な角が立つ可能性もある。


 ……だが、それでもやっぱり、戦争には行きたくない。


(せっかくディーズベルダとこの最果てで静かに暮らしているというのに……。鍬と野菜と息子と妻、これが平和の理想じゃないか…。)


 そんな心の叫びを隠しながら、彼は口元に営業用の完璧な笑顔を浮かべた。


「……よろしくお願いします」


 その一言には、微かな苦味がにじんでいたが、誰もそれを指摘することはなかった。


 ただひとり、隣に立つディーズベルダだけが、彼の心のうちを静かに察していた。


 クラウディスが小さな手を引き、エンデクラウスの服の裾をぴょんと引っ張る。


「ぱぱ、つくぅー?」


「ああ、そうだな。続きをやろうか」


 その声に、エンデクラウスの表情が少しだけやわらいだ。

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