53.紫の業炎
先ほどまで元気いっぱいだったクラウディスは、お昼ごはんでお腹が満たされたとたん、すっかり力が抜けたようにディーズベルダの腕の中で眠ってしまった。
「ふふ、いっぱい頑張ったものね……」
その寝顔はまるで天使。額に貼りついた銀の髪をそっとかき上げると、クラウディスは「ん……」と小さく鼻を鳴らした。
すると隣にいたエンデクラウスが、穏やかな口調で言った。
「では、ここからはディズィにお願いしても?」
「え? ……お願いって、何を?」
首を傾げるディーズベルダに、エンデクラウスはひょいと手を伸ばし、器用にクラウディスを受け取った。
「ジャスミン。クラウディスを少し見ていてください」
「かしこまりました、旦那様」
抱っこ紐に包まれたクラウディスをジャスミンが受け取り、そっと木陰へ下がると――
エンデクラウスは真剣な眼差しを森の奥へ向けた。
目の前には、大きな倒木が道を塞ぐように横たわっている。幹の太さからして、簡単には手出しできなさそうだ。
「俺が燃やすので、根本を凍らせてください。できるだけ綺麗に折れるように」
「……了解。思い切りやってもいいのね?」
「もちろん。ディズィの本気でお願いします」
ディーズベルダは少しだけ笑みを浮かべ、エンデクラウスが距離を取って立つのを確認すると、集中したように両手を掲げた。
エンデクラウスの手のひらに宿る魔力が、まるで剣のように鋭い炎を形作る。それが一閃されると、木の幹はぐらりと傾き――
ドシーンッ!!
重たい音と共に、木が地面に倒れ込んだ。
「……すごい。さすが、威力が段違いね」
思わず目を見開くディーズベルダ。倒れたばかりの根元に魔力を注ぎこみ、冷気を吹き込んだ。
が、しかし――
じゅわっ、と音を立てて、水が流れ出す。
「あれ……? 私の氷……溶けた?」
目を瞬かせながら呆然とする彼女に、エンデクラウスは目元だけで笑いながら声をかけた。
「気を落とさずに。気温も高いですし、火であれだけ燃やしたあとですから。むしろ、水になるのは自然なことです」
「それにしても……本気だったのに……」
しょんぼりと肩を落とすディーズベルダを横目に、作業は淡々と続けられていく。
彼女は内心で(やっぱり火と氷は相性悪いわ……)などと呟きながら、次の倒木へ向かって足を踏み出した。
しばらくして、切り倒された木々がひとところにまとめられ、ひと段落ついた頃――
ディーズベルダはふと足を止め、思いついたように首を傾げた。
「ねぇ、なんで倒れた木、毎回あっちに倒れてるの?」
彼女の指差す先には、規則的に道の逆側へと横たわる倒木の列。
先程から気づけば、どの木も決まって“自分たちの方には倒れてこない”のだ。
「それは――そういうふうに斬っているからですよ」
涼しい顔で言ってのけたエンデクラウスに、ディーズベルダは目を瞬いた。
「……コントロールできるの?」
「ええ。魔力の流し方と角度を少し調整するだけです。木の重心を誘導するのは、炎を使う上での基本ですよ」
さらっと言いながら、手に残った木屑を振り払う仕草まで優雅なのが腹立たしい。
(すごいわ……これが、アルディシオン家の魔力操作の精度……)
内心感嘆しながら、ディーズベルダは自分の手のひらを見つめた。
「私にも……できるかしら、そういうの」
「ディズィは十分強いですよ。むしろ俺の方が…」
と、そのとき――
「エンデクラウス様!! 魔物です!!」
鋭い声が飛んだ。
前方の森の奥、陽の差し込まない暗がりの中から、ズシン……ズシン……と重たい足音が響く。
姿を現したのは――大きな爬虫類のような、トカゲともドラゴンともとれる魔物だった。 うろこのような皮膚が陽光を弾き、その細長い瞳がギラリとこちらを睨んでいる。
「……ああ、これはまた派手なのが来ましたね」
そう言って、エンデクラウスは一歩前に出ると、上着の裾を整えるように軽く払った。
「ディズィ。丁度いいので、見ていてください。俺の“本気の炎”を」
「え? 今、なんて……?」
ぽかんとしたディーズベルダの耳に、さらなる追い打ちがくる。
「周囲に氷の壁をお願いします。燃え広がる可能性がありますから」
「は、はぁ!? ちょっと、それどれくらいの火力出すつもりなのよ!?」
焦りながらも、ディーズベルダは息を整え、手を前に突き出す。 地面をなぞるように冷気が走り、トカゲの周囲を囲むように透明な氷の壁が次々と形成されていく。
(ちょっと待って。私の氷が耐えられなかったら、森ごと燃えるかも!?)
頭の中に非常ベルが鳴り響く中、それでも彼女は一層丁寧に魔力を込め、強度を高めていった。
そんな彼女の緊張をよそに――
「では、行きますよ」
エンデクラウスはさらりと袖をまくり、片手をそっと掲げた。 指先から紡がれる魔力が、空気を裂くようにほとばしり――
ごうっ、と炎が立ち上る。
「……紫?」
目の前に広がったのは、通常の火の色ではなかった。 紅でも橙でもなく――深く、禍々しいほどに美しい紫色の炎だった。
「なっ……炎の色が……紫!?」
その場にいた騎士も、領民も、思わず息を呑んで立ち尽くす。
炎は、まるで意思を持っているかのように、獲物を狙う蛇のようにうねり、トカゲ型の魔物を中心に内側だけを正確に焼き尽くしていく。
(――まずい!)
ディーズベルダは、焦りと共にさらに魔力を注ぎ、氷の壁をもう一層、上から重ねる。
ごうっという音がさらに大きくなり、紫炎が一段と激しく暴れたかと思うと――
次の瞬間、ぴたりと静まり、炎を放っていたエンデクラウスの手がすっと降ろされた。
「ディズィ……どうでしたか? 俺の“本気”は」
シュウゥ……と魔力が引き、空気がゆっくりと元に戻っていく。
「か、カッコイイ通り越して、もはや恐ろしいわよ!」
「でも覚えててくださいね。これが――俺の“本気”です」
にこりと優雅に微笑むその顔に、ディーズベルダはぞくっと肩を震わせた。
(ちょっと……夢に出そうよ……)