52.森林開拓
翌朝――。
小さな揺れと車輪の音が、リズムよく続く。
最果ての地を進む馬車の中、ディーズベルダは揺れる窓の外を眺めながら、ふと隣のエンデクラウスに視線を向けた。
「……ねぇ、どうして今日は馬車で行くの? 森林の入口までなら、徒歩でも行ける距離じゃなかった?」
そう尋ねると、エンデクラウスは膝の上でぐっすり眠るクラウディスの頭をそっと撫でながら、小さく笑った。
「そうですね。昨日は色々とドタバタしていて、説明が抜けていました。申し訳ありません」
彼は丁寧に一度言葉を区切ってから、いつもの落ち着いた口調で続ける。
「森林の奥地を開拓して、最終的には“海産物を最果てに持ち帰る”という目標がある以上―― 当然、荷馬車や運搬用の馬車が通れるように、道を広く整備しておく必要があります」
「あっ、なるほど……!」
ディーズベルダは思わず膝を打つ。
「確かに、海まで道を繋ぐなら、まずは馬車が通れるか試しておくべきなのね。 でも……クラウディスを連れていくのは、やっぱり危なくない?」
心配そうに抱きかかえたクラウディスを見ると、彼は小さな寝息を立てて、まるで天使のようにすやすやと眠っている。
エンデクラウスは少しだけ視線を落とし、そのまま目元に微笑みを浮かべた。
「えぇ、もちろん安全は最優先にします。 ですが……少しくらい、父親らしい姿を見せておきたかったんですよ」
「え?」
「たまには、格好いい父に憧れてもらわないと……将来、他の男に懐かれてしまいますからね」
「なっ……!!」
ディーズベルダの顔がぽっと赤くなった。
「もう……何を言ってるのよ……」
「事実です。母親が素敵すぎるので、クラウの目も自然と高くなるでしょう」
そんな冗談めいたやりとりの中でも、エンデクラウスの指はずっとクラウディスの髪を優しく撫でている。
(……ほんと、過保護なんだから)
ディーズベルダは小さく笑いながら、クラウディスの小さな手をそっと握りしめた。
その温もりが、ふわっと胸の奥に広がっていく。
子どもを連れての外作業は、やっぱり不安もある。
けれど、エンデクラウスと一緒なら――ふたりでなら、きっと大丈夫。そう思えた。
馬車の窓から見えてきたのは、木々が密集した森林の入り口。
誰も踏み入れていない荒れ地の奥――その先に、未来への道がある。
やがて馬車が止まり、エンデクラウスが最初に扉を開けて降り立った。
後ろから、ディーズベルダもクラウディスを抱いたままそっと地面に足をつける。
「俺が先に確認します」
そう言って、エンデクラウスは彼女の腕の中にいたクラウディスを片手で抱き上げ――そして、軽々と抱えたまま、前へと進み出た。
(さすがに慣れてきてるわね……)
その逞しい背中を見つめながら、ディーズベルダはふわっと息を吐いた。
エンデクラウスは森の縁に立つと、やや古びた大木の根元へ手をかざし、小さく囁いた。
「――道を作っていきます。少し離れて」
そう言って指先を振ると、空中に浮かぶ魔力の刃が燃えるような赤に輝き、炎の剣のような軌跡を描いて木の根元をなめた。
ごぅ、と低くうなるような音とともに、木が見事に切り倒される。
直後に、
「クラウ、水だ」
と一言。
エンデクラウスの腕の中にいたクラウディスが「みぅ!みぅ!」と元気に答え、小さな手を前に突き出す。
すると――
クラウディスの手のひらから、透明な水が現れ、炎が残る切り口を正確に、まるで熟練者のように濡らしていった。
「……良い子だ」
エンデクラウスは満足そうに微笑み、クラウディスの頭を優しく撫でる。
「えっ、えぇっ!? な、なにそれ……いつの間にあんなに上手に!?」
ディーズベルダは思わず駆け寄って声を上げた。
(まさか……あの毎朝の日課。お散歩って言ってたけど……まさか、これ、訓練も兼ねてたの!?)
エンデクラウスはちらと視線を送ってきたが、何も言わない。
代わりに、クラウディスがドヤ顔で「んふっ!」と笑っている。
「もしかして……天才なの?」
自分の子どもながら、ちょっと驚きを隠せない。
その間にも、後ろから数名の騎士や領民たちが木材を抱えて運んできていた。
一本、また一本と伐採され、木の根元にはクラウディスの水で火が鎮火される――見事な連携だった。
やがて、ある程度の道幅ができたと判断したエンデクラウスが振り返り、頷いた。
「……準備を。ランタンを設置します」
エンデクラウスの低く落ち着いた声が、森に静かに響く。
その言葉を合図に、数人の技術者たちが素早く動き出した。
彼らは森の中でも特に太く、真っすぐに伸びた木を選び出し、そこへランタンを取り付けていく。
それはディーズベルダが装置で錬成した、魔除けのランタン。
外見は一見どこにでもある普通のランタンだが、内部には聖属性を帯びた魔石が内蔵されており、周囲の魔物を寄せつけない力を秘めている。
表向きには、“天才発明家ディーズベルダの新作魔道具”として世間に知られているが、実際には魔王城地下の研究室で錬成された特異な産物。
ランタンが一本、また一本と木に吊るされるたびに、ぽうっと淡い神聖な光が灯る。
昼過ぎになると、エンデクラウスがふと手を止め、あたりを見回す。
「……ここで休憩にしましょうか」
森の道沿いに、あらかじめ広く整地しておいた空間があった。
騎士たちが簡易テントを張り、布を広げて即席のキャンプスペースをつくる。
木漏れ日が降り注ぐその場所に腰を下ろすと、どこかピクニックにも似た、和やかな空気が流れはじめた。
ディーズベルダは持参していた籠を開き、中から焼きたてのパンで作ったサンドイッチと、小さな保存瓶に詰めたかぼちゃの練りご飯を取り出す。
「はい、クラウ。あーん」
スプーンで一口分をすくって差し出すと、クラウディスは「まぁ!」と元気な声をあげ、ぱくりと口を開けた。
もぐもぐと幸せそうに頬を動かすその姿は、まるで小動物のように愛らしい。
「……この子、あれだけ魔法を使ったのに、元気ね」
感心したようにディーズベルダが言うと、隣に座っていたエンデクラウスがさらっと答える。
「俺に似たんでしょう。……俺もこのくらいの歳で、一度アルディシオン公爵家の本館を燃やしていますから」
「……え?」
あまりにもさらりと言われたせいで、ディーズベルダの手が止まる。
「ちょ、ちょっと待って。本館って……あの、お城並みの豪邸よね?」
「えぇ。三階の書庫から燃え広がって、正面のバルコニーまで全焼しました」
「えええええ!?」
あまりの声の大きさに、クラウディスが飲み込んだスプーンを口にくわえたまま、ぽかんと見上げている。
「その後は、ずっと別館暮らしでしたが……十四歳になるまでは、何かしら燃やしてましたね」
まるで他人事のように語るその姿に、ディーズベルダは言葉を失う。
(う、うーん……。さすがに可哀想だけど……いや、でも本館燃やしてたら……そりゃ別館に監禁されるわよね……)
思わず内心で頭を抱えた。
エンデクラウスは、そんな彼女の困惑などどこ吹く風で、抱いていたクラウディスの頬に手を添えて微笑む。
「……お前は水でよかったな。クラウ」
「たや?」
クラウディスは小首をかしげながら、ぱちぱちとまばたきをする。
その無垢な仕草に、場にいた誰もがふっと肩の力を抜いた。
(……火の子だったら、この森、今ごろ半分くらいなくなってたかもしれないわね)
ディーズベルダは心の中で小さくため息をつきながらも、クラウディスの頭を優しく撫でていた。




